書籍目録

「パリ・イリュストレ『日本特集号(第45・46号)』」

林忠正 / ジロー

「パリ・イリュストレ『日本特集号(第45・46号)』」

全16号(第40号から61?号)が合冊 1886年 パリ刊

Hayashi, Tadamasa / Gillot, Charles.

PARIS ILLUSTRÉ: LE JAPON.

Paris, Charles Gillot, 1886. <AB2019141>

Sold

16 issues(No.40-61?) bound together in 1 vol.

Folio (32.0 cm x 43.0 cm), 収録号、詳細な書誌については下記解説文を参照, Contemporary half leather on marble boards.
「日本特集号」は下部に破れが見られる紙葉があるが欠損はなく、概ね良好な状態。裏表紙とテキスト本体が外れてしまっているので要修復。他については下記解説文を参照 

Information

日本美術と西洋美術の架け橋となった林忠正が手がけ、ゴッホにも衝撃をもたらした「日本特集号」

 本書は、雑誌『パリ・イリュストレ(Paris Illustre)』の1886年1月号から1887年4月号と思われる全16号を合冊したものです。『パリ・イリュストレ』は、非常に美しい多色リトグラフ 印刷を用いた多くの挿絵で好評を博した雑誌で、世紀末パリを代表するビジュアル雑誌でした。本書が非常に興味深いのは、収録されている1886年5月号(第45、46号)が、「日本特集号」となっていることです。この特集号は、江戸後期の浮世絵師、渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」を意匠に用いた厚紙のカバーが特別に付されていて、この表紙に衝撃を受けた画家ゴッホ(Vincent Willem van Gogh, 1853 - 1890)が、この表紙を模写して「日本趣味:花魁」を作成したことで知られています。テキストと特集号全体の編集に携わったと考えられている林忠正は、パリ在住の優れた美術商として、明治初期のヨーロッパに日本美術を広く、深く伝えると共に、印象派画家たちとも交流を深め黒田清輝ら明治初期の西洋画家を支援しており、東西美術の架け橋として先駆的な役割を果たしたことで知られています。林忠正による流麗なフランス語で書かれたテキストは、日本の文化、歴史、美術を伝える内容で、編集長シャルル・ジロー(Charles Gillot, 1853 - 1903による極めて秀逸な誌面デザインとともに、日本についての正確な基本知識を愉しみながら知ることができる内容となっています。

 林忠正は、1878年に開催されたパリ万博に起立工商会社の社員として渡仏以来、そのままパリに滞在し、自力で日本美術を伝える活動を展開し、自ら美術商社を立ち上げて「ジャポニスム」に沸くパリを中心としたヨーロッパにおいて、一過性の流行に帰さない、日本美術の本格的な紹介を行なった先駆的人物として知られています。ゴンス(Louis Gonse, 1846 - 1921)や、ビング(Samuel Bing, 1838 - 1905)らをはじめとして各界の日本美術愛好家を支援し、当時の日本ではほとんど評価されることなく、散逸、流出が著しかった優れた日本美術品を多方面に渡って蒐集、保護し、それらを投げ売るのではなく、顧客をより深い日本美術理解へと誘いました。優れた審美眼と理解力を持った顧客を厳選して、その顧客に最善と判断する逸品を個別に販売するという独特の販売方式をとっていたことが知られており、それは、林の願いであった欧米おける日本美術の理解と地位を向上させることに大きく貢献しました。また、印象派画家らとの交流を深め、傑出した印象派コレクションを構築(残念ながら死後散逸)する傍ら、黒田清輝ら明治日本の西洋画の萌芽を担った若手を積極的に支援もしています。1900年のパリ万博において、伊藤博文と西園寺公望らの強い要望を受けて、一民間人でありながら事務官長に就任したことが、日本の各界での嫉妬を惹起し、帰国後まもなく逝去してしまったことも災いして、不当な誹謗中傷が寄せられることがしばしばありましたが、最近の研究者らによる優れた多くの研究成果によって、近年は再評価が急速に進んでいます。昨年2019年2月には、研究者にして林忠正の義孫でもある木々康子氏が研究と再評価のために蒐集、整理した膨大な関係史料を中心とした特別展示「林忠正:ジャポニスムを支えたパリの美術商」が国立西洋美術館で開催されています。

 この「日本特集号」については、優れた先行研究がいくつかありますが、先述の木々康子氏の『林忠正:浮世絵を超えて日本美術のすべてを』(ミネルヴァ書房、2009年)では、下記のように解説されています。

「1886年の『パリ・イリュストレ』5月1日号は、「日本特集」として、雑誌のほとんどが、林の執筆したエッセー「日本」で占められている。日本の歴史、気候風土、宗教、ハラキリ、日本人の性格、衣服、習慣、芝居など13項目に分けて書かれ、所々に「日本の諺」の抜粋、歌麿、北斎などの浮世絵、光琳のデッサン、ジョルジュ・ビゴーの「日本のスケッチ」などを加えて、約20頁を「日本」が独占している。といって林が雑誌を編纂したわけではないが、この長いエッセーを掲載するための図版の選定や構成など、編集にも参画したと考えられる。このときは編集長ジロー(Charles Gillot, 1853 - 1903、『パリ・イリュストレ』をはじめとした多色リトグラフ 印刷を用いた出版活動を精力的に行いつつ、浮世絵の熱心なコレクターで林の顧客であった;引用者注)、編集者はA・ラユールとL・バシェと記されているが、主筆のシャルル・ジローの監修のもと、2人の編集者が編集を行い、また、編集者は販売もとりしきっていたと見える。
 華麗な歌麿の浮世絵で飾られた表紙には、英泉の花魁の姿が描かれたカバーがかけられている。日本に憧れ、浮世絵に夢中になって、ビングの店に通っていたファン・ゴッホが、これを模写していることは有名である。」
(前掲書、120頁より)

また、2007年2月に本書を購入した関西学院大学図書館の図書館報『時計台』第78号(2008年4月)には、加藤哲弘氏による詳細な解説(「『パリ・イリュストレ』45-46号」が掲載されており、下記のように本書のことが紹介されています。

「ジローに依頼された林は、テクストの冒頭で、自分には学識はないけれども美術品に関しては専門家なので、その点で、簡潔かつ性格な記述を求める編集者からの期待になんとか応えたいと述べ、さらに、現在の日本はあまりにも大きな変化を遂げている時期なので、ここで紹介するのは、この新しい文明が侵入する以前の日本の文化であると断っている。以下、日本の歴史から始まり、国土と気候、大名と藩、ハラキリ、日本人の性格、宗教、教育、風俗、習慣、服飾、結婚、食事、芝居と見世物、最後に日本美術について、きわめて具体的で分かりやすい記述が続く。現代のわたしたちから見ても、ちょっと意外で興味深い解説が多い。
 江戸時代の日本人の、とくに庶民たちの生活を記述する、ユーモアも感じられる明快で親しみやすい林の文章を読んでいると、この記事が「日本趣味(ジャポネズリ)」の拡大に大きな役割を果たしたことがよくわかる。しかし、言うまでもなく、強い影響力を行使したのは文章だけではない。読者たちはあちこちに挿入された画像にも深く魅了されたに違いない。カラーでページ全面に掲載されているのは、北川歌麿《江戸及花娘浄瑠璃》、葛飾北斎の《富嶽三十六景甲州三島越》、シャルル・ダウ《日本の幻想:魚とり》と《日本の幻想:ブランコ》。
 歌麿《台所美人》は、見開き2ページに、また勝川春英と歌川豊国の役者絵は2点で1ページ。このほか、風刺画で知られるジョルジュ・ビゴーが描いた薬売りや役人などの典型的な日本人の姿や、フランシス・ステナケルによって1885年にフランスで出版されたばかりの河鍋暁斎の《狂斎百図》(『日本の100のことわざ』)などがプレートの形でページを飾る。また、林のテクストが印刷されているページの左上や右下などには、尾形光琳による花鳥の図案が自由に散らされるとともに、文章の理解を補うために、庶民の日常生活を描いた、春信、歌麿、北斎らによる多くの浮世絵がモノクロームで挿入されている。しかし、なんといっても、ここで最も注目すべきは、表紙(正確に言えばカバー表紙)に配された浮世絵である。日本に憧れ、すでに多くの浮世絵を収集していた画家のゴッホは、この着物の女を、方眼紙を使って丁寧にトレースして《日本趣味:花魁》という作品に仕上げた。(中略)
 以上のようにこの資料は、美術史や異文化交流を考える上でたいへん貴重なものであるばかりでなく、掲載されている作品の芸術的な価値もきわめて高い。また、雑誌であるために、カバー表紙の裏には不動産屋靴、ボイラーや薬、ガラスや陶器の装飾品の広告も掲載されており、当時の人たちの生活の様子が窺える。そして、なんとカバーの裏表紙は、日本の陶磁器や屏風などの商品カタログとなっている。さまざまな意味で興味深いこの雑誌が、大学図書館で見られることを喜びたい。」
(前掲論文17-20頁より)

 このように非常に高い評価を受けている本書の「日本特集号」ですが、木々康子氏の前掲書で、林自身が実家に送った本の表紙に「たちまち2万5千部を売り尽くした」と記していることが明らかにされていて、本書が各界に与えた影響力の大きさが窺い知れます。『パリ・イリュストレ』は、編集長ジロー自身が熱心な日本美術の愛好家であっただけでなく、書物作りにも相当のこだわりがあったものと見られ、誌面デザインはもちろんのこと、用紙の選択や印刷の品質にもかなりの気を配っていたことが本書からも窺えます。ジローは本書に先立つ1885年に、ジュディット・ゴーティエ(Judith Gautier, 1845 - 1817)が西園寺公望と光明寺三郎の助力を得て、古今和歌集など日本の伝統的な詩を翻訳した『蜻蛉集(Poëmes de la libellule.)』を刊行しており、この書物は山本芳翠による美しい挿絵を配して「画文一体で日本美を伝えた傑作」との高い評価を受けていました。「詩は絵のごとく-Ut pictura poesis」という『蜻蛉集』作成の基調となった考え方は、この「日本特集号」にも存分に応用されているように見受けられます(大森健吾「パリへ飛んだトンボ」『国立国会図書館月報』(673号、2017年5月号)所収を参照)。本書は、『蜻蛉集』と違って、あくまで雑誌の特集号であるという媒体の違いがありますが、雑誌ならではのフォリオ判の大型の紙面いっぱいを使って、林のテキストと最も合致する挿絵を効果的に配し、上質な用紙に美しい印刷するという、ジローと林の美学を看取することができます。本書を実際に手に取ってみると、この特集号が、多くの読者に強烈な衝撃を当時与えたであろうことは、非常によく分かりますし、デジタル媒体になじんだ現代の感覚からすると、迫力あるフォリオ判の見開き大に展開される、物質的な表現形態が直接もたらすインパクトが一層大きく感じられます。

 本書に合冊されている前後の号に目を向けますと、この「日本特集号」に限らず、ジローが手掛けた誌面は、いずれも細部に至るまで非常によく考えられた意匠が施されており、各号のテーマを最大限に引き出す工夫が随所になされていルことがわかります。前後の号を見る限り、同時代の挿絵入り新聞と比べても、政治や経済の話題よりも、文芸色が濃い誌面づくりとテーマ選択がなされているようで、この新聞そのものが一つの工芸書物となることを意図しているかのように思われます。当時は、挿絵本や子どもの絵本を中心として、「美しい書物」の復興と実践が欧米各国で実践されていた時期であり、また日本では長谷川武次郎による「ちりめん本」が、それに呼応するかのごとく続々と刊行されていましたので、「画文一体」を追求した書物の理想型を追求する中で、東西文明を合流させた実践例の一つとして、本書を捉えることもできるでしょう。

 「2万5千部を売り尽くした」と言われる「日本特集号」ですが、どれほど上質な誌面づくりがなされていたとしても、やはり新聞という、読み捨てられやすい運命にある媒体が災いしてか、その発行部数に対して、現存している部数は相当少ない印象を受けます。本書は、前後号と合冊する形で当時の豪華な製本が施されて保管されてきたことが幸いして、この「日本特集号」がカバーも含めて完全な形で保管されているたいへん貴重な一冊ということができるでしょう。

 本書に収録されている内容と書誌、状態の詳細は下記の通りです。

1886年
1月(第40号)
pp.[1(Title. of Jan.1886, No.40)-3], 4-[16],
2月(第41、42号)
pp. [17(Title. of Fev.1886, No.41 & 42)], 18- 24, Folded color plate, 25-32,
3月(第43号)
pp.[33(Title. of Mar.1886, No.43)], 34-48,
4月(第44号)
pp.[49(Title. of Avr.1886,No.44)], 50-64,
5月(第45、46号)
1 leaf(Special cover for No.45 & 46), pp.[65(Title. of Mai 1886)], 66-[88], 1 leaf(Special cover for the same),
6月(第47号)
pp.[89(Tite. of Juin 1886, No.47)], 90-[104],
7月(第48、49号)
pp.[105(Title. of Juil. 1886, No.48 & 49)], 106-[128],
8月(第50号)
pp.[129(Title. of Aout 1886, No.50)], 130-[142], LACKING 3 leaves (pp.143-148), 149-[150],
9月(第51号)
pp.[151(Title. of Sep.1886, No.51)], 152-[166],
10月(第52、53号)
pp.[167(Title. of Oct.1886, No.52 & 53)], 168-190,
11月(第54、55号)
pp.[191(Title. of Nov.1886, No.54 & 55)], 192-[214],
12月(第56、57号)
1 leaf(Special cover for No.56 & 57), pp.[215(Title. of Dec.1886, No.56 & 57)], 216-[226], 2 leaves(double pages color plate), pp.227-[242], 1 leaf(Special cover for the same),

1887年
1月(第58号)
pp.[1(Title. of Jan.1887, No.58)-3], 4-[24],
2月(第59号)
pp.[25(Title.of Fev.1887, No.59), 26-48
3月(第60号)
pp.49(Title. of Mar.1887, No.60)-72,
4月?(第61号?)*表紙欠損のため不明
LACKING 1 leaf(Title. of Avr.1887, No.61?), 75- [96]

第50号の3葉欠損あり。
第51号タイトルページ下部に大きな破れがあり一部内容が欠損。
第52、53号は全体的に下部に破れ(欠損なし)あり。
第59号 pp.45,46下部に破れ(欠損なし)あり。 第60号タイトルページ下部に破れ(欠損なし)あり。
第61号と思われる本書収録最終号はタイトルページが欠損しており、本体から綴じが外れかかっている状態。95,96ページに大きな破れ(欠損なし)があり、本体から綴じが外れている状態。

フォリオ判のかなり大型本。「日本特集号」を含む1886年全号と1887年の前半数号が合冊されている。
見返しには美しいマーブル紙が用いられている。
「日本特集号」カバー表紙。本来の表紙とは別に、特集号のみと思われるカバーが付されている。このカバーに衝撃を受けたゴッホが模写、加筆して自らの作品を書き上げたことは非常に有名。
左がカバー表紙裏面、右が本体表紙にあたる。歌麿を配した印象的な表紙。
テキストとイラストが一体的な効果を持つように工夫が凝らされた誌面づくりがなされている。
右はシャルル・ダウ(Charles-Edmond Daux, 1817 - 1888)による『日本の幻想:魚とり』と題された作品。
随所にテキストを補足するモノクロ挿絵も盛り込まれている。
テキストと組み合わされる挿絵は、尾形光琳からとったものが多い。左ページノド付近に破れが見られる。
喜多川歌麿の「台所美人」は見開き大で掲載。
ジョルジュ・ビゴーの描く特徴的な日本の人物像も掲載している。
挿絵とテキストの最適な配置を考え、テキストの段組みさえも自在に変えてしまう誌面作りは、見る者に強い印象を与える。
シャルル・ダウの同じシリーズ「日本の幻想:ブランコ」とステナケルの『日本のことわざ』からとった河鍋暁斎「狂斎百図」。日本のことわざをイラストで紹介している。
上掲のことわざの丁寧な解説がある。
本体最終ページ(左)は、春英と豊国。右はカバー裏表紙の裏面で、日用品の広告となっている。
カバー裏表紙。木々康子史の前掲書によると「ヴィカンの店」というビングと並んで当時最も繁盛していた日本美術、東洋骨董商店の広告である。
「日本特集号」と合冊されている前後号もジローの卓越した編集能力が発揮された誌面を見ることができる貴重な資料。上掲右は劇場を特集した号の表紙。
乗馬大会を特集する号ではテキストの周りを乗馬隊の列が取り囲むという粋なデザインが施されている。
乗馬大会特集号の見開き大の彩色イラスト。ジローの印刷技術が非常に高度であることがよくわかる。
パリを特集した号の表紙。特にパリを象徴するセーヌ川沿いの風景にまつわる記事が多い。
上掲記事に収録されている彩色イラスト。いずれも現在も観光名所として有名な場所。
同上。
右は各国の軍隊を特集した号の表紙。戦争や軍隊をテーマにしていても、政治、軍事を直接主題とするのではなく、装備や制服などに焦点を当てた独自の編集方針が採られている。
上掲記事に収録されている彩色イラスト。
「カフェ・コンサート」特集号は、パリの華麗な文化の代表として特に力が入っているように感じられる。
上掲記事に収録されている彩色イラスト。
右はロンドン特集号。当時からパリと並ぶメトロポリタンとして多くの人を惹きつけていた。
上掲記事に収録されている彩色イラスト。
1886年12月はクリスマス特集号として、「日本特集号」と同じく本体とは別にカバー表紙が付されている。
上掲記事の一部。
クリスマス特集号だけあって、彩色イラストが特に多く収録されている。
上掲続き。
上掲続き。
遊戯用の楽譜も凝った意匠とともに掲載されている。
収録されている数多くのイラストを描いた画家は驚くほど多彩で、ジローが自身が最適と考えた様々な画家に依頼していたことが窺える。
「ダンス」特集号は、「カフェ・コンサート」特集号と並んでパリ文化の花形として特に力が入った誌面作りがなされている。
上掲記事に収録されている彩色イラスト。
同じ記事内であっても全く違う画風の絵を誌面に応じて多彩に使い分けている。
大型本であることによる自重による痛みで、背表紙と本体の綴じが外れてしまっている状態だが、修復は比較的容易と思われる。