書籍目録

『世界誌 第2巻:古代と現代のアジア』

マレー

『世界誌 第2巻:古代と現代のアジア』

ドイツ語訳版 第2巻(全5巻中) 1719年 フランクフルト刊

Mallet, Allain Manesson.

Beschreibung des ganzen Welt=Kreises, Anderer Theil: Worin das alte und neue Asia,….

Frankfurt am Main, Johann Adam Jung, MDCCXIX(1719). <AB2019129>

Sold

German edition. Vol. 2 of 5 vols.

4to (16.5 cm x 20.0 cm), Front., pp.[1(Title.)-5], 6-276, 12 leaves, Maps and Plates: [121], Contemporary vellum.

Information

豊富な図版と地図によって描かれた日本、非常に珍しいドイツ語版

 本書は、フランスの地図製作者、軍事工学者であったマレー(Alain Manesson Mallet, 1630 – 1706)が編纂した『世界誌(Description de L’Univers. 1683)』のドイツ語訳版で、全5巻のうちのアジアを対象とする第2巻にあたるものです。マレーは、当時ヨーロッパに知られていた世界各地の歴史、文化、風俗、地理情報を、数多くの最新文献を駆使して網羅的に纏め上げましたが、アジアを対象とする第2巻では、日本が取り上げられており、独特の形状を有する日本地図や複数の図版とともに解説されています。

 パリで1683年に刊行された『世界誌』は、翌年に早くもフランクフルトで再版が刊行されると同時に最初のドイツ語訳版が刊行されています。続く1685年には、ドイツ語訳再版が刊行され、少し期間を空けて1719年におそらく最後と思われるドイツ語版が再び刊行されています。本書は、この最後に刊行されたと思われる1719年のドイツ語訳版です。1683年の原著初版と、それ以降のフランス語再版本、ドイツ語訳本は、いずれも内容はほぼ同じではないかと思われますが、本文構成が若干変更(例えば、フランス語版にはない「朝鮮」の部が独立して第4章となっており、これを受けてフランス語版では第4章だった「日本」の部が第5章となっている)されていたり、本書に特徴的な地図や図版が、同じ図柄、地図でありながらも細部が微妙に異なっているなど、比較考証の余地のある相違点を見出すことができます。『世界誌』の諸版刊行の経緯と図版の相違点については、ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』では、次のように解説されています。

「ヨハン・ダーヴィト・ズナー(Johann David Zunner, ? - 1704;引用者注)は1684〜1685年にマネッソン=マレーの著作(『世界誌』のこと;引用者注)のドイツ語訳を5巻本で再出版した。これを追ってすぐさま(1685〜1686年)フランスで出たオリジナルを忠実に写したフランス語版 Suivant la Copie Imprimé a Paris が出た。シャーリー(2004)(Shirley, Rodney. Maps in the Atlases of the British Library: a descriptive catalogue c. AD 850-1800. London, British Library. 2 vols. 2004. のこと;引用者注)はこのフランス語版について「フランクフルト・アム・マインから刊行されたことのフランス語本文には表題がドイツ語になった新しい銅板があり、そのいくつかに見える署名から彫版者はJ・J・フォーゲル(J.J. Vogel, ?- ?;引用者注)であると思われる」と記している。
 1684〜1685年以来一貫してズナーの銅板を使っているこの本は、アントン・ハインシャイト(Anton Heinscheidt, ? - ?;引用者注)によって印刷され、ヨハン・アダム・ユング(Johan Adam Jung, ? - ?;引用者注)により1719年にフランクフルトで再版された。」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、282頁(地図番号053番)より)

 マレー『世界誌』は、フランス語原著、ドイツ語訳版のいずれの版も現在では非常に稀覯となっており、特徴的な図版や地図を完備したものは極めて珍しいと言えます。特にドイツ語版については、国内研究機関での所蔵が皆無ではないかと思われ、日本関係欧文史料としてこれまで研究された形跡がない書物のようです。

 マレーは、はじめ軍人としてのキャリアを積み、軍事工学の知見を買われてからは、ルイ14世の宮廷付き数学侍講となりました。その後世界各地の地理学の知見も深めた彼の代表作とされるのが、全5巻からなる『世界誌』で、世界各地の地誌、歴史、文化を多くの銅版画、地図を盛り込んで紹介しました。収録された多くの図版は先行する著作に範をとっていますが、その多くをマレー自身が描き直したとも言われています。『世界誌』第1巻は、地理学総論で、本書である第2巻はアジアを対象とし、中国、日本、その他の東アジア地域、フィリピン、バタヴィアやモルッカ諸島といった東南アジア地域、インド、アラビアなどを扱っています。第3巻はアフリカ、第4巻と第5巻はヨーロッパと南北アメリカを扱っています。『世界誌』はその特徴として、網羅的に世界各地の情報を収集するだけでなく、古代における各地の様子と、現代の様子とを対比しながら解説していることが挙げられます。ルネサンス期に再発見されたプトレマイオスをはじめとする古代の地理学書の再検討と、いわゆる大航海時代の進展によって次々ともたらされる新しい地理情報とを組み合わせることで、16世紀以降のヨーロッパではそれまでにない豊富な地理情報を得ることになりましたが、マレーはこうした文脈を踏まえ、古代地理学において知られていた情報と、現代の情報とを比較しながら歴史地理学としても本書を編纂していることが分かります。

 本書第5章は、日本を扱った独立した章となっており、17世紀後半のヨーロッパにおける日本情報の一例として非常に興味深いものです。日本は1542年にポルトガルによって発見されたとする一方で、古代のプトレマイオスの時代より Jabadii の名でその存在が知られていたいう説も紹介しています。また多くの貴金属を産出すると伝えられていために Argentieres とも呼ばれていたとも述べています。Artentieres とは、銀(すなわち富)を意味するラテン語 Argentum に由来する言葉ですので、マレーはここで(マルコ・ポーロに象徴されるような)極めて豊かな国として古くから伝説的に伝えられた日本を紹介しているものと思われます。

 古代からの日本情報に続いては、(本書刊行当時の)現代ヨーロッパにおいて知られている日本情報の解説があり、まず地理的な外観の紹介から始めれています。ここでは、マレーが苦心して作成した日本図が掲載されていることが目につきます。この日本図は、マレー特有のユニークな日本図として知られており、ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』では、次のように紹介されています。

「アラン・マネソン=マレの5巻からなる世界史の第2巻に含まれているこの日本地図は、これまでに出てきた地図のほとんど全ての型の特徴をあわせ持っており、特定の型に分類してしまうことはできない。それゆえ、直接彼の型を引き継いだものはいないようだが、ここでは独自の型として取り上げた。ヤンソン型同様、関西と関東は西から東へと伸びており、東北は後のアッフェルデンや、もっと後のケンペル/ショイヒツァーのように、ほとんど直角に北を向いている。本州北端及び能登半島、房総半島はタヴェルニエのもとにおけるブランクス/モレイラ型になっている。琵琶湖はそことはまた違って、瀬戸内海につながる湾としては扱われず、能登半島の少し南の内陸部に置かれていて、ダッドレー/ヤンソン型のように川によって瀬戸内海とつながっている。四国および特に九州は非常に簡略化されていて、コロネリのマルティーニ/モレイラ型を思い起こさせる。」
(ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』社団法人OAG・ドイツ東洋文化研究協会、1993年、解説196頁(地図番号56番)より)

 テキストでは、マルコ・ポーロによってジパング(Zipangri)と紹介されるようになったことや、JaponともNiphonとも呼ばれることを紹介しながら、本州(Nipphon)、四国(Xicoco)、九州(Ximo)の主要な島々からなる国であるとしています。また国割や主要都市についての解説もなされており、これらの記述は主に、モンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625 – 1683)が1669年に刊行した『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy aen de Kaiseren van Japan)』の記述を参考にしているようです。

 日本全体の概説に続いては、京都の説明記事が続いています。「都(Micaco)という都市について」と題する記事では、モンタヌスの書物の図版を参考にしたと思われる京都の街並みを描いた図版が添えられています。モンタヌスの前掲書は、京都の街並み全貌を描いた見開き大の折込図を収録していますが、この図を1枚図になるように縮小しています。モンタヌの京都図は、テキスト情報だけに基づいて描かれているため、ディテールはかなり奇異な印象を受けますが、その印象に反して、描かれている地理的配置は比較的正確であることが指摘されています(クレインス『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年参照)。テキストでは、京都が日本の歴史において重要な位置を果たしてきたことが解説されており、家康(Daifusama、大府様)や秀吉(Taicosama、太閤様)との関わりについても紹介されています。続いて、「内裏の宮殿」と題した一節があり、これは現在の京都御所のことを指しています。ここでもモンタヌスを参照しながら、京都(Meaco、都)に住む天皇(Dayro,内裏)の象徴的重要性を解説するとともに、御所を描いた図版が掲載されています。

 また、宗教的な観点から関心の高かった仏教寺院については、「大仏(Daibuth)の寺」と題した一節を設けて解説しています。ここでは、当時京都に存在していた巨大な大仏(現在は焼失)が図ととともに紹介されていて、仏教における坊主(Bonzes)の役割などが解説されています。ここに掲載されている仏教寺院の図もやはりモンタヌスの書に由来するものです。

 続いて、世俗の皇帝が所在する首都である江戸(Iedo)と江戸城を紹介する一説がそれぞれ設けられており、モンタヌスの書に由来する江戸の外観と、江戸城を描いた図が付されています。ここでは、巨大な権力と富を象徴する江戸城と多くの人口を抱える大都市江戸の様子が簡単に解説されています。

 その後、再び宗教的な話題に戻り、日本における仏教と並ぶもう一つの宗教として、阿弥陀(Amida)信仰が挙げられておりその寺院(社)を描いた図が付されています。モンタヌスの書においても、仏教寺院と神社を描いたとする図と解説は、一際目を引くものですが、その影響が、本書のように当時の日本を紹介する様々な書物にも及んでいることが分かります。

 このように本書に収録されている多くの図版はモンタヌスの書物に由来するものですが、その中にあって異色の存在と言えるのが、日本の皇帝、すなわち将軍(Xogunsama)を描いたとする図です。この図は、着物を描こうとしたと思われるローブのような衣装を纏い、大小日本の刀を左腰にさした人物が描かれていますが、アラブ風の衣装(特に帽子)が奇妙に混ぜ合わされており、非常に独特な図となっています。この図については、モンタヌスの書物に類似するものが見つけられないことから、他の何らかの文献によったものか、あるいはマレーが独自に作成したものかと思われますが、ヨーロッパにおいて日本の将軍を描いた視覚資料として、非常にユニークなものといえるでしょう。

 最後には、日本に住む人々の気質、習慣、宗教を紹介する一節が設けられており、男女の日本の人物像を描いた図が付されています。この図についても、類似したものをモンタヌスの書に見出すことができなくはありませんが、大きくアレンジが施されており、しかもそれが一定の写実性を備えていることから、あるいはマレーが独自に手を加えたものかもしれません

 日本についての記述は、単独で日本を扱う第4章に集中してみることができますが、それ以外にも、冒頭のアジア全域の概説と地図や、中国についての章の中に掲載されている地図などにもみることができ、当時のヨーロッパ人から見たアジアの中における日本としての位置づけも垣間見ることができます。

 また、上述のように本書では、日本以外の多くのアジア諸国の解説がなされていて、ゴアやバタヴィアといった日本との関係の深い地域についても記述も興味深いものと言えます。加えて、古代と現代と両方の地理的知識を組み合わせた本書らしく、バベルの塔や、ロードスの巨人像といった伝説的存在についても図版とともに紹介しており、これらも当時のヨーロッパにおいて、彼らの外部である「アジア」が歴史的、地理的にどのように認識されていたのかを示す資料として活用することができそうです。

 マレーの『世界誌』は揃いで見つかることが極めて珍しい上に非常な高価なことで知られており、またそれぞれの図版や地図が切り抜かれてしまうことが多いですが、本書は豊富な地図や図版を完備しており、日本を含むアジア地域を扱った第2巻の完本として、非常に貴重な学術資料ということができるでしょう。


 「アラン・マネソン・マレー(1630-1706)はもとフランスの軍事技術者。ポルトガル王に仕えたのち母国でルイ十四世の数学侍講となっていますが、本書のほか軍学書 Les Travaux de Mers (1671)が知られています。
 この『世界誌』は天体論にはじまり地球全体の地理を概説したのち極地地方(第一巻)、アジア(第二巻)、アフリカ(第三巻)、そしてヨーロッパ・アメリカ(第四・五巻)各国の地理・風俗を詳細に記しています。総計六百八十四点にも及ぶ挿画は当時のヨーロッパ人が抱いていたイメージを如実に伝えるものとして貴重。例えば第二巻で一章を割かれている日本の項では、エキソティックな山谷のかなたに見える江戸や京都の遠景はともかく、ゴシック教会の中に安置された大仏像、邪教の雰囲気を漂わせる阿弥陀如来像、あるいはトルコ風の衣裳をまとった将軍など、実証的正確さにはもとより遠いものながら、十七世紀末における極東の小国がどのように理解されていたか、その答をここに見出すことも不可能ではありません。なお日本の章の本文はモンタヌスに、中国はタッパー、キルヒャー、あるいはダヴィティなどに依拠しています。」
(放送大学附属図書館「西洋の日本観 24. マレー『世界誌』1683年」より)

 「この日本地図はアラン・マネッソン=マレーの5巻からなる『世界地誌』の、第2巻に含まれている。
 マネッソン=マレー(1630〜1706)は、技師であった。ポルトガル国王軍に入隊し、砲兵隊工兵から上級曹長となった。フランスに帰還すると、ルイ14世の近習の数学講師に任命された。みずから体験した世界の様々な地域への航海で集めた多数の図面を含む、全5巻の『世界地誌』をはじめとし、要塞造りを扱った最初の著作 Les Travaux de Mars (マレーの業績)、後期の書物では、4分冊となった測量と地図作成を主題とする Le Gëometrie Pratique, divisée en quatrelivres(幾何学の実践)で知られている。」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、269頁(地図番号050番)より)

刊行当時のものと思われる革装丁で状態は非常によい。
口絵。
タイトルページ。
ドイツ語版序文冒頭箇所。
本文冒頭箇所。アジア全体の概論から始まる。
古代アジア図。
現代アジア図。北海道(Jesso、蝦夷)は大陸(Terre)と表記されており、日本とは異なる地域として認識されているため、本書中では扱われていない。
中国図。
中国の皇帝夫妻を描いた図。
日本を扱う第5章冒頭。古代における日本についての情報の解説から始まっている。
第5章に掲載されている日本図は、前後の年代に類似のものが見られない本書特有のユニークな日本図として知られている。
京都図。
「天皇(DAIRO,内裏)の宮廷」と題された一節。
内裏の宮殿(御所)の図。
「都(Miaco、京都)の大仏(Daibuth)の寺」と題された一節
大仏の寺院。当時京都に存在していた大仏を描いたもの。
江戸図。
江戸城図。
阿弥陀寺院の図。
「日本の皇帝」と題された一節。
日本の皇帝図。この図版は他の図版と異なり、モンタヌスの書物に類似のものが見られない。
(参考)フランス語版に掲載されている同図。微妙に細部が異なることがわかる。
日本の人々の図。
(参考)フランス語版に掲載されている同図。
目次は巻末に備えられている。フランス語版と比べると章立ての構成が微妙に変更されていることがわかる。
巻末には索引も備えられている。