書籍目録

『イリス:ピアノ・ヴォーカル楽譜集』(楽譜)

マスカーニ

『イリス:ピアノ・ヴォーカル楽譜集』(楽譜)

[1898 / 1918年?] [ミラノ刊]

Mascagni, P(retro).

IRIS: Libretto di luiGI-ILLICA CANTo e PIANOFORTE.

[Milano], G.Ricordi & C, [1898 / 1918?]. <AB2019125>

Sold

20.0 cm x 27.4 cm, Illustrated Title., Front., 4 leaves, pp.1-124, 1 leaf, pp.125-254, 1 leaf, pp.255-308, 1 leaf(blank), Original pictorial card boards.

Information

「蝶々夫人」に先駆けて日本を題材にしたオペラとして欧米を席巻した作品の楽譜集

「(前略)《ミカド》や《芸者》よりやや遅れて、このオペラ王国で、イギリスとはまったく趣を異にする2つの名作が作られた。その1つがマスカーニのオペラ《イリス》(全3幕)であり、その台本は、有名なルイジ・イッリカによってかかれた。
 ピエトロ・マスカーニ(1863〜1945)は、ミラノ音楽院を出た後、半ば放浪的な生活を送っていたが、1890年まだ27歳の時のオペラ《カヴァレリア・ルスチカーナ》が懸賞付きのオペラの応募作品として一等となり、翌年ローマでの初演が大当たりとなって一躍その名を広めた。(中略)1898年、35歳の時に発表したこの《イリス》は、その題材もさることながら、彼の作風に新しい境地を開いた作品としても注目される。」

「イリッカという人は、既にプッチーニの名作オペラ《ラ・ボエーム》の台本を提供した人として知られていて、後に《トスカ》や《蝶々夫人》でもプッチーニと協力することになる。イッリカは、マスカーニに会って、日本を題材にした悲劇の台本を書くことを約束した。(中略)マスカーにはこのオペラの創作にはかなり熱が入り、次々に霊感がわいたといっている。このオペラに、旧作にない独創性や洗練さを持たせたいと考えたマスカーには、本腰を入れ、時間をかけて作曲に取り組んだ。そして、1898年10月にやっとオーケストレーションが完成した。イッリカがこの題材を思い立ってから、4年以上もの歳月が流れていた。
 《イリス》は、これまでの日本物と異なって、日本の山村と江戸の町を舞台にした悲劇的なオペラという点で注目される。ヒロインのイリスの名は、ギリシャ神話における虹の女神を表わすが、普通名刺になると、「虹」または「アヤメ科の植物(菖蒲、杜若、一八などを含む)」を指す。英語では、これをアイリスと呼び、日本では最近この名称の方が親しまれているようである。そして、この花は、古典文学や絵画でも好まれた対象である。このオペラの中では、第三幕でヒロインの死に際し、死体から菖蒲の花が芽生えるという具合に、この花を象徴的、幻想的に描いていて、一つ見せ場となっている。当時のポスターにも、日本髪の女性を囲むかのように、菖蒲の花がアール・ヌーヴォ調で大きくあしらわれている。
 このように、シリアスな筋書きと設定をもったオペラではあったが、いかんせん100年以上前のイタリアでは、日本はまだ遠い幻想の国であったようで、かなり不自然な点が見られるのも否めない。物語は、江戸時代の日本(江戸とその近郊の山村)ということになっているが、遊里の吉原が富士山麓にあるという馬鹿げた設定はお笑いものであり、主役の2人の男性の名前が、オオサカとキョウトという地名になっているのもご愛嬌である。」

「(前略)この《イリス》は、いくつかの点で特色があるオペラである。それは、マスカーににとっても、彼の看板であったヴェリスモ・オペラから脱皮しようとする意欲的な作品であったばかりでなく、オペラ史上でもユニークな位置を占める作品といえる。
 まず、イタリアではこれが日本を舞台にした最初のオペラであったということと、そのドラマが、《ミカド》や《芸者》のような茶番的ものでなく、また、西洋男性と日本女性の恋という定番的なものでもなく、日本の貞淑な女性の生き様と彼女の悲劇的な死を扱っていることが挙げられる。風俗などに多少の誤認はあるけれども、これが6年後のプッチーニの《蝶々夫人》の誕生につながっていくという点での意義は大きい。
 次にドラマとしての描き方であるが、これまでに挙げたフランスやイギリスの作品に比べて、日本の風俗がかなりリアルに描かれている点も注目したい。(中略)
 イッリカとマスカーには生々しい現実の世界を、ファンタスティックに、しかもシンボリックに描くことで、そこにひじょうに不思議な世界を現出することに成功した。特に第3幕は、ほとんどドラマ的な展開がなく、ヒロインのイリスの死を、太陽と菖蒲の花でもって象徴的に美化していくことに終始しているのが特色である。このような象徴主義は、19世期の後半に、フランスの文学界でボードレールやマラルメらによって始められたもので、内面的な分析しがたい感情や情緒を。自然や日常的な光景のような具象的なものを象徴して表わそうとする考えに基づいている。この考え方は、芸術の分野にも及んで、この《イリス》が書かれた19世紀末には全ヨーロッパに広がっていた。このオペラでは、イリスは、俗世のみにくいものに打ち勝つ不滅の「芸術」を表わすのに対し、オーサカは、「色恋」、キョートは「金銭」を象徴するとされている。(中略)
 もう一つは音楽についてである。マスカーには、この《イリス》について、音楽がドラマに従属したものでなく、音楽それ自体の力でドラマを発展させるべきであると述べているのが注目される。(中略)当時ヴェリスモ・オペラが自邸していたワーグナー風の陶酔的な音楽が随所に鳴り響き、加えて大胆な転調や和声も用いられている。日本の旋律を使った形跡はないけれども、第1幕の人形劇の場面は、非常にユニークな試みとして興味深い。ここでは、日本の三味線や東洋風の打楽器(タムタムや鐘など)を使って、異国的なカラーを出そうとする試みがうかがわれ、さらに芸者の1人が東洋風なメロディーをハミングする場面もある。(後略)」

「《イリス》の初演は、1898年11月22日に、ローマのコンスタンツィ劇場で行われた。指揮は当時売り出し中のアルトゥーロ・トスカニーニであり、タイトル・ロールは、ルーマニアのソプラノ、ハリクレア・ダルクレ(彼女は2年後に《トスカ》の主役を歌うことになる)であった。初演前からすでにこのオペラのうわさが広まっていたせいか、当日はイタリア音楽界の錚々たる御仁が大勢集まっていた。その中には、プッチーニを始め、ボイート、スガンバーティ、そして《イリス》の作曲を蹴ったフランケッティも含まれていた。さらに、各国の有力新聞の音楽批評担当者たちも多く列席していたというから、鳴り物入りの初演であったことがわかる。従来のオペラとは一種趣の異なるオペラではあったが、初演は概ね好評であり、その後マスカーニのオペラとしては、《カヴァレリア・ルスチカーナ》に次ぐ位置を占める作品となった。
 (中略)なお、翌年のロンドン初演はあまり成功とはいえなかった。またこの年に改訂版が作られ、その版での初演は同年ミラノ・スカラ座で行われた。間もなくこのオペラは大西洋を越え、メトロポリタン歌劇場でも上演された。ローレンス・ギルマンは、『マスカーニ本人はそう思っていないかもしれないが、この作品によって彼の名は記憶されるべきである』と評した。」

(岩田隆『ロマン派音楽の多彩な世界』朱鳥社、2005年、169-177頁より)