書籍目録

『ペリー艦隊日本遠征記録』

ペリー / ホークス(編)

『ペリー艦隊日本遠征記録』

上院版 全3巻(下田混浴図収録) 1856年 ワシントン刊

Perry, Matthew Calbraith / Hawks, Francis Lister (ed.)

NARRATIVE OF THE EXPEDITION OF AN AMERICAN SQUADRON TO THE CHINA SEAS AND JAPAN, PERFOREMED IN THE YEARS 1852, 1853, AND, 1854, UNDER THE COMMAND OF COMMODORE M.C. PERRY, United States NAVY,… 

Washington, Beverley Tucker(, Senate Printer), 1856. <AB201972>

Sold

Senate edition.

3 vols. 4to (22.5 cm x 29.5 cm), Vo.: 1 leaf(blank), pp.[i[Title.) -iii], iv-xvii (verso: ERRATA), pp.[1-3], 4-244, 2[I.e.245], 256-537, 1 leaf(blank), Plates & Charts:[92], Folded maps & plates: [4] / Vol.2: 1 leaf(blank), Title., 3 leaves, pp.[1-2], 3-196, 1[i.e.197], (198-201), 202-318, 19[I.e.319], 320-414, 1 leaf, 8 leaves, pp.[I-III], IV-XI, 1 leaf, Plates & Charts: [43], Folded charts & maps: [16] / Vol.3: 1 leaf(blank), pp.[I(Title.)-III], IV-XLIII, pp.[1], 2-705, 1 leaf(blank). Original cloth bound.

Information

 ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794-1858)による1853(嘉永6)年の浦賀来航と翌年の日米和親条約の締結は、江戸幕府が欧米諸国と外交条約を結んでいく端緒となりました。この日本遠征に関するあらゆる記録をまとめたものが本書です。本書は、アメリカ議会文書として1856年の刊行年表記をもって(実際の刊行は巻ごとにずれがありました)刊行されたもので、全3巻からなります。議会文書として発行されたため、上院版と下院版の二種類が存在しており、内容は同一ですが、それぞれの出版社や発行部数は異なっており、本書は上院版にあたるものです。上院版は、下院版に比べて発行部数が少なかったと言われており、現在の古書市場で流通しているものの多くは下院版となっています。
 
第1巻は、ペリーが遠征中に記していた航海日記および政府要人と交換した公式書簡を中心にして編纂したものです。日本遠征記の中でも最もよく知られているもので、遠征の出発から帰国までの記録を時系列に沿って記述した、本書の中核となる内容です。また、ペリーの記録だけでなく、アダムス艦長(Henry A. Adams, 1800 - 1869)ら他の多くの関係者の日記や報告書も本書には用いられています。ただし、それらをそのまま書物にするのではなく、牧師にして教会の歴史書の著者として評判の高かったホークス(Francis Lister Hawks, 1798-1866)が全てを編纂、執筆する形態をとっています。序文では、ペリーによる日本論が述べられており、日本の歴史、政治、経済、文化、芸術と多方面にわたってペリーが日本に関する知識を出発前に得ていたことが伺えます。多くの先行文献にも言及していますが、その関連で、日本の開国はロシアとオランダによる長年の貢献の成果によるものというシーボルトの主張に対しては、あからさまな不快感を表明しています。ペリーは、遠征隊に優れた画家や写真家も同乗させ、視覚記録も豊富に採取し、それらを石版画として第1巻に多数収録しています。自身も画集『日本遠征図録』や遠征記『世界周航日本への旅』を残したハイネ(Peter Bernhard Wilhelm Heine, 1827-1885)による、各地の風景を描いた美しい図版や、交渉に関する重要な場面を描いた図版は、本書の内容の中でも特に有名です。第1巻は、幕末にすでに日本語訳が行われており、日本遠征記録の中でも、早くから日本でもその内容が知られています。

 なお、本書第1巻に収録されている下田浴場の図は、当時一般的であった男女混浴の図を描いたものであったことから、議会文書に収録する図版としてふさわしくないとされ、印刷初期の段階で収録を取りやめることになったと言われており、現存する第1巻の多くはこの図を収録していません。


 第2巻は、遠征中に行われた学術記録を中心に構成されたものです。ペリーは、遠征隊派遣に際して、外交成果だけでなく、既存のあらゆる日本研究をも上回るような学術的成果をあげることも意図して、多くの学者や研究者を船に同乗させています。第2巻では、琉球、日本、中国の農業に関する報告書や、彼らにとって重要であった石炭の産地や品質に関する報告書、台風と気象に関する報告書など多くの学術報告書が掲載されています。鳥類、魚類、貝類、植物についての報告書には、多くの彩色図版も収録されています。航海上、また以降の来航に際して極めて重要であった水路や、江戸をはじめとする沿岸の詳細な測量数値を記した海図や地図類も巻末に収録されています。また、第1巻に関連する内容として、ペリーによる、アメリカと東アジア、ならびに日本との通商政策の意義と展望を論じた論説2本や、神奈川条約の日本文の写しと英訳もテキスト巻末には収録されています。第1巻に比べて知られることの少ない第2巻ですが、ペリーが企図した壮大な遠征計画の全体を知る上では、欠かせない貴重な資料が数多く収録されています。

 第3巻は、海軍準軍牧師で天文学者であったジョーンズ(George Jones, 1800 - 1870)によって書かれたものです。ペリーは、日本遠征を単なる外交目的だけでなく、それまでのあらゆる日本研究を凌ぐ成果をあげるための機会として捉えており、多くの学者や研究者を船に同乗させて、多方面にわたる学術研究を行いました。本書は、牧師兼学者であるジョーンズが、航海中に記録した黄道光(Zodiacal light)についての記録と報告からなります。黄道光とは、天球上における見かけの上での太陽の通り道である黄道沿いに見ることのできる、帯状の淡い光(光芒)のことです。日没後の西の空、ないしは夜明け前の東の空に出現する不思議な、また美しい現象ですが、緯度の高い北アメリカよりも、南半球の方がより鮮明に観測を行うことができるため、ジョーンズは航海中に多くの記録を取ることができました。ジョーンズ自身は、黄道光について、出発前には観測対象としてほとんど意識していなかったと本書で述べており、航海中に観測を始めたことが伺えます。ジョーンズによると、航海中にあまりにも黄道光がはっきりと見えるために、ミシシッピ号が夜明けの号砲を誤って打ちそうになるほどであったと言います。本書では彼が航海中に観測した350枚を超える天文図と黄道光に関する論文が掲載されており、ペリー遠征隊が天文学分野において残した学術成果を読むことができます。

 本書第1巻は、アメリカ議会図書館の旧蔵書だったもので、日米開戦後の1943年10月1日付で、「重複のため交換」との印が押されています。この時期に本書が議会図書館から放出されることになった経緯は不明ですが、時局との関連を思わせる興味深い来歴を有する一冊とも言えます。

全3巻構成で上院版と下院版との二種類が存在するが、本書は発行部数がより少ないとされる貴重な上院版。
第1巻
第1巻タイトルページ。日本国内で最もよく知られているのはこの第1巻。
第1巻は1943年10月1日にアメリカ議会図書館から重複のため放出されたもの。
下田混浴図は、アメリカの公式議会文書に収録するにはふさわしくないとされ、印刷途中で削除されることになったため、本書のように収録されているものは貴重とされる。
第2巻。装丁に痛みが見られるほか、補修の跡がある。
第2巻タイトルページ。第2巻は日本の動植物や気候、産業といった様々な日本研究論文が収録されている非常に重要な巻。
日米和親条約の日本文ファクシミリも収録している。
第3巻
第3巻タイトルページ。第3巻では黄道光を中心とした天文学研究がなされている。