書籍目録

「日本帝国に関する公式文書、並びに現存するアメリカと日本帝国との諸関係を説明するために有益な文書についての大統領教書」

(アメリカ議会文書)

「日本帝国に関する公式文書、並びに現存するアメリカと日本帝国との諸関係を説明するために有益な文書についての大統領教書」

1852年 (ワシントン刊)

32nd Congress, 1st Session. [Senate] Ex. Doc. No. 59.

MESSAGE FROM THE PRESIDENT OF THE UNITED STATES, COMMUNICATING, In compliance with a resolution of the Senate, certain official documents relative to the empire of Japan, and serving to illustrate the existing relations between the United States and Japan

(Washington), No publisher stated, April 12, 1852 Orderd to be printed. <AB201742>

Sold

13.8 cm x 21. 5 cm, pp. [1], 2-87, Disbound.
未製本の本体のみの状態。綴じ紐に緩みが見られる。

Information

ペリー日本遠征隊に至る前史を纏めたアメリカ上院議会文書

 本書は、ペリー(Matthew Carlbarith Perry, 1794 -1858)による日本遠征隊までのアメリカと日本との交渉に関する公文書を纏めたもので、上院の要請により、ペリー派遣の約7ヶ月前の1852年4月に刊行されたものです。ペリー遠征隊派遣を目前に控える中で、当時のアメリカ政府が国内向けに日本との関係について発表した公式情報であり、またグリンによる初めての本格的な日米交渉について公にしたもので、日米交渉史において非常に重要な位置を占めるものです。

 ペリーの日本遠征隊は、突如として計画されたものではなく、当然ながらそこに至るまでの複雑な文脈がありました。アメリカ捕鯨業の発展による太平洋進出、カリフォルニアの領土獲得と金鉱発見による西海岸経済の爆発的発展、それに伴う太平洋横断航路への商業的期待、中国を主とする東アジア地域でのイギリスとの経済的覇権をめぐる熾烈な競争、等々といった多くの複雑に入り組んだ経済的、政治的、外交的文脈の微妙なバランスの上で実現したものです。後年から見ると、アメリカが「一貫して」「確固たる意志と目的を持って」日本遠征隊を計画していたと思ってしまいがちですが、実際には、むしろ当時のアメリカ国内におけるミクロ・マクロ双方の様々な条件が織りなす中で、辛うじて実現されたといったほうが正しく、それだけにその背景にあった文脈を一つ一つ丁寧に読み解くことが、日本遠征隊の全貌を理解する上では欠かせません。

 ペリーによる日本遠征隊の派遣は、出発する1852年になっても公式には明らかにされておらず、関係者による噂が先行して流布する状況でした。遠征隊への期待を背景に、日本に関する書物やパンフレット、遠征隊へのロビイングに類する論説などが大量に発表され、次第に国内でも、政府による公式の説明を求める声が高まっていきます。

 本書は、1852年3月に、日本についての情報を開示することを要請した上院の決定に応じて刊行されたもので、ペリーによる日本遠征隊派遣に至る、アメリカと日本との交渉に関する公式文書を纏めているほか、ペリーの前に日本派遣を命じられマカオに到着しながらも、政争に巻き込まれ解任された東インド艦隊司令官オーリック(John H. Aulick, 1787 01873)へのウェブスター(Daniel Webster, 1782 - 1852)国務長官からの命令書、そしてフィルモア(Fillard Fillmore, 1800 - 1874)大統領からの日本皇帝への国書を収録しています。

 アメリカと日本との交渉に関する公式文書は、主に1846年にコロンブス号で日本開国のための交渉に来航したビドル(James Biddle, 1783 - 1848)提督の試みに関するものと、1849年に長崎で抑留されているアメリカ船員の救出のために派遣されたグリン(James Glynn, 1800 - 1871)の交渉に関するものが中心で、特に初めて日本との交渉に成功したとされるグリン関連文書が多く含まれています。

 グリンは、1848年に座礁した捕鯨船ラゴダ号の船員が長崎で抑留されているとの報告を受けた東インド艦隊司令官ガイジンガー(David Geisinger, 1790 - 1860)の命を受けて、1849年長崎に向かい、ビドル提督による柔和な交渉での失敗経験を踏まえて、幕府に対して強硬な態度で臨み、全員の解放を実現しました。彼はこの交渉の成功によって自信を深め、帰国後に日本開国のためにより大きな遠征隊を組織すること(そして、自分がその責任者に適任であること)を主張し、ペリー遠征隊派遣の機運を盛り上げる一因ともなりました。本書には、グリンの日本での交渉に関する文書が網羅的に多数収録されており、長崎での役人との交渉の様子を筆記した記録や本国とのやり取りが含まれています。また、カントンのアメリカ公使とオランダ領事とのやり取りも含まれており、交渉において長崎のオランダ商館が果たした役割についても本書の記録から、ある程度辿ることができます。

フィルモア大統領からの日本皇帝への国書
長崎でのグリンと日本役人との交渉の様子を記録したもの。Serai Tatsunosenが誰なのかは未確認。