書籍目録

フォスマール

『日本に住む東インドのこれまで記録されていない極めて貴重なヤマネコの記録』

フォスマール

1773年 アムステルダム刊

Vosmaer, A(rnout).

BESCHRYVING VAN EENE ZELDZAAME OOSTINDISCHE NOG NIET BESCHREEVEN BOSCH - KAT, IN JAPAN VALLENDE. BESCHREEVEN EN UITGEGEEVEN DOOR A. VOSMAER,...

Amsterdam, Pieter Meijer, MDCCLXXIII (1773). <AB201940>

¥165,000

4to (20.4 cm x 24.9 cm), Title, colored plate with a tissue guard, 2 leaves (text), Disbound.
未製本の状態。

Information

250年近く前にヨーロッパに渡った日本のツシマヤマネコ?

2017年11月、京都市動物園で同年5月に誕生した日本の天然記念物ツシマヤマネコの子猫2匹が、初めて一般公開され大変な人気を呼びました。ツシマヤマネコはその名の通り、長崎県の対馬にだけ生息するヤマネコで、日本国内ではイリオモテヤマネコと並んで絶滅の恐れにある天然記念物に指定されています。戦後ごろまでは多くの生息が確認されていましたが、その後の環境破壊により今日の生息数は100頭未満とも言われており、懸命の保護活動と人口繁殖が試みられています。それだけに京都市動物園での人工繁殖の成功は、本州初という画期的な出来事と言われています。誕生した2匹の子猫は、それぞれ勇希(ゆうき),優芽(ゆめ)と名付けられ期間限定で公開され、公開期間が延長されるほどの大変な人気ぶりでした。
 
 さて、このように大変な話題となったツシマヤマネコですが、驚くべきことに250年近くも前に生きたままオランダに渡って紹介されていた可能性があることを示唆しているのが本書です。
 
 著者のフォスマール(Arnout Vosmaer, 1720 - 1799)は、18世紀にオランダ、主にハーグで活躍した博物学者、博物学コレクターとして有名な人物です。商売で財を成しつつ、自身の博物学コレクションを早くから構築し始め、1751年にハーグに移ってからは国内外からも注目を集める一大コレクションを築いていきます。彼のコレクションはオランダ王室も知るところとなり、オラニエ公ウィレム5世(Willem V van Oranje-Nassau, 1748 - 1806)のもとで、オランダ共和国の博物館責任者に任命されます。また、彼はアムステルダムの高名な博物コレクターであったセバ(Albertus Seba, 1665 - 1736)のThesaurusの出版(全四巻のうち、第3巻と第4巻を彼が出版)にも尽力し、その過程で、リンネ(Carl von Linné, 1707 - 1778)に強い影響を受けた博物学者ホッタイン(Maarten Houttuyn, 1720 - 1798)とも親しくなり、博物学サークルでの地位を高めていきました。オランウータンの生体展示を初めて行ったのも彼だと言われています。
 
 フォスマールが自身のライフワークとして30年余にわたって刊行を続けたのが、『最も貴重で驚くべき自然の生物の自然誌的、歴史的記述(Allgemeene natuurkundige en historische beshryving des zeldzaamste en verwonderenswaardigste schepsel in der natuur)』で、これは彼が入手した貴重な世界各地の生物について、1冊につき1種を紹介するというシリーズ企画です。1767年から30年以上をかけて刊行を続け、最終的にそのタイトル数は30を超えるものとなりました。本書は、この企画の中の一冊にあたるもので、日本で採取され、はるばる東インド会社の船で生きたままオランダにまで送られてきたという「日本のヤマネコ」について紹介したものです。冒頭には手彩色が施された、「日本のヤマネコ」の銅版画が掲載されており、当時の姿を今に伝えています。テキストでは、ヤマネコとイエネコの類似点と相違点を論じながら、その生物的特徴を細かに記述しています。オランダに持ち込まれたこの猫は、どうやら子猫だったようで、到着時は非常に状態も良かったことが報告されていますが、残念ながら数ヶ月で亡くなってしまったようです。

 本書は、図版1枚、テキスト4頁からなる小冊子ですが、彩色図版を交えて「日本のヤマネコ」を18世紀にヨーロッパに伝えていたという、大変興味深い文献です。この「日本のヤマネコ」とされるヤマネコがいかなるヤマネコであったのかについては、その記述と図版からある程度推測が可能かと思われますが、当時の日本の対外交渉の窓口の一つでもあった対馬のヤマネコ、すなわち「ツシマヤマネコ」であった可能性が高いのではないかと思われます。

タイトルページ
図版には手彩色が施されている。
本文冒頭箇所。
本文末尾。本書は未製本の状態。