書籍目録

『太平洋航海水路誌』全2巻

フィンドレー

『太平洋航海水路誌』全2巻

初版 1851年 ロンドン刊

Findlay, Alexander George.

A DIRECTORY FOR THE NAVIGATION OF THE PACIFIC OCEAN; WITH DESCRIPTIONS OF ITS COASTAS, ISLANDS, ETC., FROM THE STRAIT OF MAGALHAENS TO THE ARCTIC SEA, AND THOSE OF ASIA AND AUSTRALLIA; ITS WINDS, CURRENTS, AND OTHER PHENOMENA. IN TWO PARTS.

London, (Printed for) R. H. Laurie, 1851. <AB201926>

Sold

First edition.

2 vols. 8vo (15.0 cm x 24.5 cm), Vol.1(Part 1): double pages world map, Title.(Verso: ERRATA), with an advertisement leaf, pp.[I-v], vi-xxvi, xxvi[i.e.xxvii], xxviii-xlvi, 1 leaf(THE COLUMBIA RIVER, ETC.), pp.[1], 2-650, 17 leaves(INDEX), Vol.2(Part s): pp.[I(Title.), ii(ERRATA), iii], i, Contemporary embossed purple cloth boards.
見返しとタイトルページに旧蔵機関の蔵書印の押印あり。背に日焼け、第2巻の製本に緩みが見られるが、刊行当時の装丁を保持しており、概ね状態は良好と言える。

Information

日本を含む太平洋海域の水路誌として初めて刊行され、ペリーによる日本艦隊の基本情報源となったと思われる重要文献

 本書は、1851年というペリー来航直前の時期にあって、太平洋航路に関して必要とされる水路情報を2巻本にまとめ上げたもので、日本そのものやその近海についての情報や、捕鯨、石炭補給といった、ペリー来航の極めて重要な背景事情を詳細かつ正確に記した書物です。日本を含む太平洋航路について、信頼できる最も権威ある海事情報源として、ペリー艦隊をはじめとして、当時の航海士にとって必携の文献であったと思われる資料です。

 著者であるフィンドレー(Alexander George Findlay, 1812 - 1875)は、当時世界最大の海洋帝国を築いていた大英帝国を代表する、海事関係を中心とした著作を精力的に数多く出版しています。大英帝国を代表するということはつまり、世界で最も信頼できる海事関係の情報源となっていたということができ、その意味において彼の著作が当時の航海事情にもたらした影響は実に多大なものがありました。王室地理学協会のフェロー会員であったことが示すように、フィンドレーの海図製作者としての評価は極めて高く、当時のほとんどの航海士が彼の著作の影響を受けていたのではないかと思われます。フィンドレーによる海事関係の出版物は、海図、水路誌をはじめとして、灯台設備に関するものも含まれており、世界のあらゆる地域、あらゆる関連する海事事項を扱っています。本書の出版社であるローリー社(Richard Holmes Laurie)は、18世紀に遡る歴史を有する、地図、海図出版を中心に活躍していた老舗ですが、1858年にフィンドレー自身がローリー社の事業を継承しており、フィンドレー自身と彼による企画著作は全てこのローリー社から出版されています。

 本書は、このように海事分野における最も権威ある出版社であったフィンドレーが、当時最も注目が高まっていた海域である日本を含めた太平洋海域に関する水路誌として満を持して刊行したものです。その序文において、フィンドレーは、太平洋航路に関する様々な先行文献が多々存在する一方で、それらが膨大な量に上り、また異なる言語で書かれており、その信憑性が不明であること、異なる情報源が同じ主題について相矛盾する情報を提供している等、実際上の航海において実用に足る水路誌が存在してこなかったという、本書刊行の基本背景を的確に説明しています。こうした問題に応えるものとして企画されたものが、まさに本書で、八つ折り本全2巻という実際の航海において携行可能な分量に、必要とされる正確な情報源をコンパクトに纏め上げた意義を強調しています。また、それぞれの地域の水路情報を提供するだけでなく、当該地域に関する歴史、文化についての基本情報も提供することが述べられています。

 本文は、全2巻で1,400ページ弱という分量に2部構成で執筆されています。第1部(第1巻)は、太平洋を中心とした世界地図を冒頭に掲載し、主に南北アメリカ(現在の中米地域含む)の太平洋沿岸、中国、日本近海を中心として、樺太、千島列島といった東アジア北辺海域に関する水路情報が掲載されています。日本についての情報は、まず、第1巻の624ページから独立した章を設けて詳細に論じられています。そこでは、極めて広大かつ重要な国であるにも関わらず、日本は、これまでヨーロッパ人にとってあたかも「未知の大陸(terra incognita)」であり続けてきたことや、ヨーロッパ人との交流史をマルコ・ポーロにまで遡って概説しています。また、その地理的位置や、日本、九州、四国という3つの主要な島々から構成されていること、その北方にある蝦夷島(現在の北海道)については、その地理情報が長らく未解明であったが、ゴローニンやブロートン、クルーゼンシュテルンらがもたらした情報によって、かなり正確かつ詳細な情報が入手できるようになったことが述べられていて、そうした情報を各種の典拠を示しながら掲載しています。本州(ISLAND OF NIPPON)、四国(ISLAND OF SIKOK)、九州(ISLAND OFKIUSIU)については、それぞれ独立した項目を立てて、その主要都市や特筆すべき自然・人文地理情報が述べられていて、特に九州については、比較的ヨーロッパ人にとっても情報の蓄積があった対馬(TSUS-SIMA)、平戸(FIRA-TO)、長崎(NAGASAKI)を詳細に説明しています。ここで記されている内容は、当然、日本への航海に際して有用となる地理情報が中心ですが、それと同時に、太平洋海域の他地域と比べて「未知の大陸」となっている日本そのものについての基本情報を提供しようとしており、こうした情報がペリー艦隊をはじめとした多くの航海士に読まれていたことは、大変興味深いことと言えるでしょう。

 第2部(第2巻)は、主に東南アジア近辺や、オーストラリア、ニュージーランド、タスマニアといった南太平洋、南洋諸島近海に関する水路情報が掲載されています。また、第2部後半(1171ページ)からは、太平洋海域全般に関する重要な水路情報を、風向き、海流、気候といった主題ごとに扱っています。風向きやその強さについてはクルーゼンシュテルンがもたらした情報に多くを依拠しつつ詳細に説明しています。気候については、主に太平洋海域で頻繁に発生する台風についての情報に焦点を当てています。海流については、特筆すべき主要な海流の一つとして「日本海流(JAPANESE CURRET、黒潮のこと)」が特に詳細に解説されているだけでなく、日本や樺太(SAGHALIN、サハリン)近海を流れる潮流についても別個に論じており、こうした情報は日本近海への後悔を実行するに際して極めて有効な情報となったことが伺えます。こうした基本情報に加えて、個別地域への実際の航路設定に有用となる指示や情報も第2部後半には盛り込まれているだけでなく、捕鯨に適している海域や石炭補給が可能な地域といった、当時の太平洋航海の主要な関心となっていた事項についても、補遺として盛り込まれており、こうした記述を読み解くことによって、当時なぜ太平洋航路が次第に重要になっていったのかという背景を垣間見ることができるものと思われます。

 フィンドレーによる本書は、初版刊行以降も最新情報を次々とアップデート(改訂版からは太平洋を南北に分けてそれぞれ版を重ねています)していきながら、海域をより細かに分割した形で、20世紀に至るまで繰り返し版を重ねており、航海士にとって最重要の必携資料の地位を保ち続けることになりました。その意味でも、ペリー来航直前の1851年に、初めて日本を含めた太平洋海域の水路誌として刊行された本書は、ペリーのみならず、後年続々と日本に来航することになるヨーロッパ各国の艦隊に大きな影響を及ぼした海事情報の原点となった文献としても、極めて重要な文献であるということができるでしょう。

 幕末から明治にかけて日本が体験した世界変動は、急速な航海技術の発展によってもたらされたものでもありますが、蒸気船の登場といった船舶の劇的な変化だけでなく、実際に列強各国の船舶がどのような情報を共有して、航路を選択し世界を行き来していたのかについては、これまであまり注目されていないように思われます。海図や水路誌といった海事関連文献は、当時の航海にとって(つまり、各国、各地域、各商社、各人の政策立案にとっても)必要不可欠であった最重要の情報が、何によって、どのようにもたらされていたのかについて、重要な示唆を提供してくれる興味深い資料と言えましょう。

 なお、英国海軍水路部による公式の水路誌に日本が登場するのは、1855年に刊行された中国沿岸地域を対象とした水路誌 The China Pilot (初版)が最初だとされています。The China Pilot は、1858年(第2版)、1861年(第3版)、1864年(第4版)と改訂を重ねており、その都度最新の情報に基づいた増補修正が行われています。The China Pilot は1873年に The China Sea Directory という全4巻構成の新しい水路誌に全面改訂されており、さらに1894年には第2版へとさらなる改訂を重ねています。こうした細かな改訂はこの海域に対する関心の高さに応じたものと思われますが、英国海軍水路部の公式水路誌に先駆けて、日本近海を扱った水路誌となった本書は、こうした後年の水路誌の基礎となったということもできるでしょう。

第1巻タイトルページ。
第1巻タイトルページには、本書が出版社からオランダ海軍水路部に供されたことに対するオランダ海軍水路部からの謝意と本書の意義を賞賛した書簡文が(広告の一環として)綴じ込まれている。本書の各国への影響力を大きさ示す一例として興味深い。
冒頭に掲載されている太平洋海域を中心とした世界地図。
フィンドレーによる序文冒頭。
第1巻目次①
第1巻目次②
本文冒頭箇所。
日本について独立した章を設けて解説した記事冒頭箇所。
第2巻タイトルページ。
第2巻目次①
第2巻目次②
太平洋海域の主要海流の中でも、日本海流(黒潮)については特に詳細に解説されている。
補遺として収録されている太平洋海域における石炭補給に関する記事冒頭箇所。
同じく補遺として収録されている太平洋海域における捕鯨に関する記事冒頭箇所。