書籍目録

『極東におけるフランシスコ会伝道活動の起源』

ペレス

『極東におけるフランシスコ会伝道活動の起源』

雑誌『スペイン領アメリカ資料誌』収録連載記事を独立した書籍として刊行したもの 1916年 マドリッド刊

Perez, P. Lorenzo.

ORIGIN DE LAS MISIONES FRANCISCANAS EN EL EXTREMO ORIENTE (Extracto del “ARCHIVO IBERO-AMERICHNO” Núms. I, II, IV, V, VII, IX-XI, XIII, XV, XVIII.).

Madrid, G. López del Horno, 1916. <AB201921>

¥22,000

8vo (15.7 cm x 24.0 cm), Half Title., Title., pp.[1], 2-290, I leaf(INDICE / ERRATAS), Original paper wrappers.

Information

イエズス会に次いで日本で積極的な布教活動を行なったフランシスコ会の東アジア伝道史

「本書の著者ロレンソ・ペレス師について簡単に紹介しておきたい。師父は、1867年9月5日に、イスパニアのグアダラハーラ県、パストゥラーナ村に生まれた。1882年、フランシスコ会に入会し、8年後の9月、バルセローナを発ってフィリッピンに向かい、10月、マニラに到着、12月に司祭に叙せられた。翌年、セブの司教、ドン・マルティン・ガルシア・アルコセールの秘書となった。1899年、米西戦争後の騒乱で同司教と共にマニラに移り、1903年、病気の司教に随行しフィリッピンを離れ、翌年11月、母国のパストゥラーナに戻った。フィリッピン滞在中から既に文筆によって名声を博していたペレス師は、パストゥラーナに落着いて研究生活に入った。その後、管区評議会より年代記編集係に任命され、管区長の命をうけ、1908年、管区文書館全史料の目録を作成した。この年、マヨルガ・デ・カンポス(バリャドリッド)の修院長となり、次々と布教史に関する著作を発表した。例えば、”Origen de las Misiones Franciscanas en Extremo Oriente(極東に於けるフランシスコ会宣教の発端)"(本書のこと:引用者注)、"Fr. Jerónimo de Jesús, restaurador de la Misiones del Japón: sus cartas y relaciones (1595-1604)(日本宣教の再興者ジェロニモ・デ・ジェズーズの書簡並びに報告)"など。そして、マドリッド及びローマ駐在、サン・グレゴリオ管区総代理の活動を発表する予定であったが、内乱のためにこの計画は無に帰した。師父は、1936年2月の国会選挙ののち、『イベロ・アメリカ文庫』の本部、カルデナール・シスネーロ学院に住んでいたが、フランコのクーデター宣言のあった、7月8日の数日前に、平静な生活を求めてパストゥラーナに戻った。共産党がフランシスコ会住院を明け渡し移転するよう求めたので、師父は、義兄弟の邸に身を寄せ、そこで最後の数ヶ月を過ごした。民兵が2番目の弟トマス神父の連行を求めた時、年をとって半ば中風病みのロレンソ師は、弟の身代わりに牢に入ることを申し出たが、健康状態と老齢を理由に拒否された。そして、肉親の弟や修道会同志たちの死、修道院が襲撃をうけ剥奪され、またシスネーロ学院が破壊された消息、師の努力した仕事とがすっかり駄目にされてしまったことなど、真に苦悩に満ちたその夜の事件で、師は全く憔悴して、余命いくばくもないのを感じた。1937年6月1日未明、エドゥアルド・バルバシール神父からの終油の秘跡をうけ、姪にあたるマリア・デ・ヘスース修道女にみとられて、永遠の世界に旅立った。ロレンソ・ペレス師の著作は、歴史関係(一般、フィリッピン、シナ、インドシナ、日本…)の発表されたものだけでも173篇、未刊のものを加えれば190篇の大きにのぼり、いずれも高く評価されている。」
(ロレンソ・ペレス / 野間一正訳『ベアト・ルイス・ソテーロ伝−慶長遣欧使節のいきさつ–』東海大学出版会、1968年、訳者あとがきより)