書籍目録

『普遍史ハンドブック 第1巻第2部』

ガッテラー

『普遍史ハンドブック 第1巻第2部』

1764年 ゲッティンゲン刊

Gatterer, Johann Christoph.

Johann Christoph Gatters, ordentlichen Lehrer der Geschichte zu Göttingen…Handbuch der Universalhistorie nach ihrem gesamten Umfange bis auf unsere Zeiten fortgesetzt. Des zweiten Teils erster Band.

Göttingen, Wittwe Vandenhoeck, 1764. <AB201920>

Sold

8vo (11.5 cm x 19.0 cm), Title., 16 leaves, pp.[1], 2-432, pp.[1(Half title.)-3], 4-522, 9 leaves(Register), Contemporary three-quarter calf.
(ALT-JAPAN-KATALOG: 555) 背革の表紙部分とマーブル紙の剥離あり。ところどころに栞に用いられた花弁?が炭化した破片が貼り付いている箇所あるが、概ね判読は可能。

Information

聖書に基づく「普遍史」の枠組みに日本史を位置付けようとした最後の試み

 本書は、「普遍史(Universalhistorie)」という、現代ではあまり聞きなれないタイトルを持つ書籍の第1巻第2部にあたるものです。中国、朝鮮、日本の歴史を主に扱った内容で、ヨーロッパの大学で最初の独立した歴史学研究室を創設したガッテラー(Johann Christoph Gatterer, 1727 - 1799)によって独自の方法で編纂されていて、聖書に基づく歴史観が揺らぎつつあった18世紀にあって、東アジア諸国の歴史をどのように位置づけるかという難問に挑んだ大変ユニークな書物です。

 普遍史とは、キリスト教圏における代表的な歴史観の一つで、元来は聖書に依拠して天地創造と人の歴史を記述したものです。聖書に書かれていることを、あらゆる地域、あらゆる時代を包摂しうる普遍的事実として理解し、聖書に基づいて「普遍的な」歴史を描こうとする試みで、中世以降の長い伝統を有しています。

 聖書に基づいて普遍的な歴史を描くという試みは、ルネサンスにおける、聖書よりも古い歴史を持つエジプトの「再発見」、大航海時代における「新大陸の発見」により、時間的にも空間的にも、それが「普遍的」であることを維持することに大きな危機を迎えながらも、修正を施しながら17世紀に入ってなお、その力を維持し続けていきます。しかしながら、イエズス会による中国布教の副産物として、聖書を圧倒的に遡る歴史を記した書物の存在とその記述の正確さがヨーロッパに17世紀半ばに伝えられると、普遍史は決定的な危機に瀕します。それ以降も普遍史を維持しようとする試みは懸命に続けられていきますが、18世紀に入ると次第にその世俗化は避け難くなっていき、聖書記述を普遍的真理として歴史を描くことから、時間的にも空間的にもあらゆる地域と人の歴史を網羅するという、百科全書的な歴史記述へと、その性格が徐々に変化していきます。この変化に決定的な一歩を踏み出したとされているのが、本書の著者であるガッテラーです。

「普遍史はついに崩壊しなければならない時にきていた。その決定的な一歩をふみ出したのがガッテラーである。ヨハン・クリストフ・ガッテラー(1727〜1799)は、1759年以後その死まで、ゲッティンゲン大学で歴史学教授をつとめ、この間にこの大学をドイツ歴史学の中心的位置に押し上げた。(中略)
 ゲッティンゲン大学は、「歴史学研究室」を1766年に設立し、歴史学をアカデミズムのなかで専門的学問として認知したドイツ最初の大学となったが、この研究室を設立したのは、ガッテラーである。(中略)
 彼は、ほぼ10年ごとに4種類の枠組みの異なる世界史記述を著している。『普遍史教科書』(1761)(本書のことと思われる;引用者注)、『普遍史序説』(1771)、『世界史』(1785)、最後に『世界史試論』(1792)がそれである。前期の2著には「普遍史(Universalhistory)」のなが冠せられているが、後期の2著では「世界史(Weltgeschichte)」という名称が使用されている。もちろんこの変更は、ガッテラーの立場の変化を反映している。」(岡崎勝世『聖書vs.世界史:キリスト教的歴史観とは何か』講談社現代新書、1996年、216-218頁より)

 本書はこのように評価されているガッテラーの初期の作品、すなわち、彼が聖書に基づく年代記の枠組みをかろうじて維持しようと奮闘していた「普遍史」に取り組んでいた時期の作品にあたるものです。ガッテラー初期の「普遍史」の枠組みは、前掲書によりますと、人類の歴史を大きく4つに分類しており、第1期が天地創造に始まる、ノアの大洪水の時代、第2期がバベルの塔の事件と諸民族の発生期、第3期が「中世(Mittlere Zeit)」と呼ばれるアジアとヨーロッパがそれぞれ分立し複数の諸民族が成立し、アメリカが発見されるまでの時代、そして第4期がアメリカ発見に続く今で言うところの大航海時代から現代(今で言う18世紀)まで、とされています。では、こうしたガッテラー初期の「普遍史」の枠組みにおいて、本書で扱われる中国や、朝鮮、日本はどのように位置付けられるのかと言うと、ヨーロッパがこれらの地域を「発見」した第4期に位置付けられています。こうした位置付けは、ヨーロッパから見て東アジア地域を認識することができた時期を示しているにすぎず、本書において、ガッテラーは、聖書に基づくヨーロッパを中心とした歴史観において、中国をはじめとするヨーロッパと異なる文明、歴史を築いてきた地域の史実をどのように位置づけるのかと言う根本的な問いを回避してしまっています。これは逆言すれば、この問いに正面から答えることがいかに困難(事実上不可能)であったことを示しており、本書における苦悩が、後期のガッテラーが聖書に基づく歴史観を放棄していく契機になったとも言えます。

 こうした苦悩の上に成り立っている本書ですが、その内容は、中国史、朝鮮史、日本史の3部構成となっていて、中国史が冒頭から432ページまでと、後半(新たにページづけがなされている)冒頭から344ページまでとかなりの分量を占め、続く朝鮮史が後半346ページから412ページまで、そして日本史が後半413ページから522ページまでとなっています。ガッテラーの日本史の記述は、非常に科学的と言えるもので、先行する信頼に足る文献を列挙することから始めています。ここでは、古くはイエズス会士らの各種報告、教会史を、そしてカロンやモンタヌス、ヴァレニウスといった17世紀を代表する重要文献に続いて、18世紀の日本研究の金字塔とも言えるケンペル、シャルルボワなどの著作を列挙しており、こうした文献を相互に参照し、最も整合性の取れる日本史を構成しようとしていることがわかります。その上で、日本という国の名称、地理的特徴を五畿七道に分けて説明し、人口、主要都市、対外交渉といった日本についての基本情報を丁寧に説明しています。そして、神話時代、未知の時代、歴史と見なせる時代とに日本の歴史を分類し、年代記として描く時代の出来事を列挙していきます。天皇家を中心とした歴史が、鎌倉幕府による将軍政治の開始によって重層化していく様もとらえており、年号の不正確さはともかくとして、できるだけ史実に基づいて日本史を構成しようという誠実さが見て取れる内容となっています。

 本書における日本史の記述に見られるように、ガッテラーの試みは、現代的な意味での歴史学に近い歴史観に基づくもので、現代の視点から見ても科学的と言える姿勢で、日本を含む東アジアの歴史を誠実に構成しようとしていたように見受けられます。それだけに、自身が苦心して正確に構成した東アジアの歴史を、聖書の記述に基づくヨーロッパ中心の歴史観の中に整合性を持って取り組むことの困難さは、誰よりもガッテラー自身が一層痛感することになったのではないかと思われます。本書は、18世紀ヨーロッパから見た日本の歴史記述の様相を知らせてくられるだけでなく、どのような歴史観と苦悩の上に日本史が位置付けられていたかを知ることができる、大変興味深い文献と言えるでしょう。