書籍目録

『教皇グレゴリオ13世偉業要略』

チャッピ / (天正遣欧使節)

『教皇グレゴリオ13世偉業要略』

改訂版 1596年 ローマ刊

Ciappi, Marc(o) Antonio.

COMPENDIO DELLE HEROICHE, ET GLORIOSE ATTIONI, ET SANTA VITA DI PAPA GREG. XIII.

Roma, Nella stamperia de gli Accolti, CIƆ IƆ XCVI(1596). <AB201917>

¥770,000

4to(15.0 cm x 19.7 cm), Title.(Verso: Front.), 3 leaves, pp.[1], 2-109, 100[i.e.110], 111-120, 4 leaves(TAVOLA), Contemporary parchment(Rebound).
NCID: BB2402073 / Laures ID: JL-1596-KB6

Information

天正遣欧使節と教皇との謁見の場面や当時国内にあったセミナリオ等の施設図を初めて収録 

 本書は、天正遣欧使節が謁見したことで知られるグレゴリオ13世(Gregorius XIII, 1502 - 1585)の伝記で、1591年に刊行された初版の改訂版として1596年にローマで刊行されています。日本との関係における本書の最も興味深い点は、天正遣欧使節とグレゴリオ13世の謁見の場面や、有馬や安土のセミナリオ(神学校)を描いた木版画掲載されていることです。グレゴリオ13世の最晩年に謁見を果たした天正遣欧使節のローマ訪問は、当時のヨーロッパにおける最大級のニュースとなるほどの反響を呼び、本書中でも、グレゴリオ13世の数ある事績の中でも最も重要な出来事の一つとして強調されており、使節を描いた木版画が本書に採用されていることの意義は極めて大きいものです。また、有馬のセミナリオをはじめとしたイエズス会が日本に設置した教育機関を描いた木版画は、想像に基づくものとはいえ、当時日本にあった神学校を視覚情報で紹介したおそらく唯一のものです。

 グレゴリオ13世は、イタリアのボローニャ出身で同地の大学で法学の教鞭を執っていましたが、その優秀さが認められローマに招聘されました。得意とする教会法に関する実務をこなしながら枢機卿に選出され、カソリックの対抗宗教改革の基本方針を定めたトリエント公会議(1563年)にも出席しています。1572年に新教皇となり、グレゴリオ13世を名乗り、以降様々な教会改革を実行していきました。トリエント公会議の決議事項を基本方針とし、禁書目録の作成や、不在司教問題の改善策、教会法の整理、改訂、編纂を行い、中でも現在なお世界中で用いられている「グレゴリオ暦」の採用は、グレゴリオ13世による施策として最もよく知られているものでしょう。また、学問活動にも深い関心を寄せ、ヨーロッパ各地の神学校の整備にも尽力しています。

 日本との関係でグレゴリオ13世が最も強く記憶されている出来事は、天正遣欧使節がローマを訪ねる最大の目的の一つであった教皇との謁見が行われたことでしょう。グレゴリオ13世はイエズス会の世界各地への宣教活動を積極的に支援し、彼らの東西インドにおける宣教活動権の承認や、日本において各種神学校を維持、設立するための資金提供、そして最晩年の1585年には日本における宣教活動の独占権をイエズス会に付与しています。天正遣欧使節の4人は、有馬のセミナリオで教育を受けていたこともあり、1585年3月に行われた使節との謁見では、当時の西欧諸国における大使級の待遇でもって行われました。この出来事は、当時のヨーロッパでも一大センセーションを巻き起こし、その様子を伝える書物が70以上も出現したと言われています。謁見の直後に教皇が崩御したこともあり、天正遣欧使節とグレゴリオ13世との謁見は、教皇治世最後のハイライトとしても深く記憶されることになりました。

 本書はグレゴリオ13世の生涯をチャッピ(Marco Antonio Ciappi)が詳細にまとめたもので、グレゴリオ13世の伝記として最も権威ある文献として高い評価を受けています。タイトルページにある紋章は、教皇を示す教皇冠と鍵(ペトロの後継者である天の国の鍵)に加えて、グレゴリオ13世の生家であるブオンコンパーニ家の紋章(邪悪の象徴である尻尾を切断された龍)を描いています。また、冒頭の口絵にはグレゴリオ13世の肖像画があります。

 本文中では、グレゴリオ13世の生い立ちと教皇在位時代の様々な事績が紹介されていますが、世界各地にセミナリオをはじめとした各種神学校を積極的に設置したことを紹介する第4章(25ページから)において、日本で設置された神学校が木版画とともに紹介されています。臼杵(Vxuqui)のノヴビシャド(修練院)と府内(Funai)のコレジョ(学院)、有馬(Arima)のセミナリオ(神学校)と安土(Anzucci)の神学校を描いた木版画は、いずれも西洋建築の装いで描かれており、想像に基づいて描かれていることがわかりますが、ここで重要なのは写実性の程度よりも、日本で神学校が設置されていることがこのような形で全ヨーロッパに向けて広く紹介されていることにあります。また、第9章(70ページから)では、グレゴリオ13世在位時代に数多くの使節が教皇の元に送られたことが紹介されており、その中でも日本から送られた天正遣欧使節のローマ訪問は最大のハイライトとして大きく取り上げられています。81ページには使節が教皇と謁見する場面を描いた木版画収録されており、謁見ができなかった中浦ジュリアン(病気のためとされているが真偽不明)を除く3名の姿を見ることができます。本文でも彼らが終わりのない障害と苦労とを乗り越えて、遥か遠くから教皇の元に参じたことや使節の肩書や所領地などが紹介されています。こうした記述や木版画からは、天正遣欧使節が当時のヨーロッパにもたらした熱狂が、グレゴリオ13世没後10年以上を経た本書刊行時点(1596年)でも冷めることがなかったことが伺えます。

 本書は、グレゴリオ13世の伝記として最も権威ある文献として高く評価されているだけでなく、天正遣欧使節や日本各地の神学校を木版画とともにヨーロッパに広く紹介した重要史料として、国内外の博物館等の展示で活用されることが多い書物です。現在では市場に出回ることが少なく、国内の所蔵機関も決して多くないことから、本書のように状態のよい完本は極めて貴重ということができます。


「グレゴリウス13 世(Gregorius XIII, 1502-1585, 在位1572-1585)はイタリアのボローニャ(Bologna)に生まれた。本名をウーゴ・ブォンコンパニ(Ugo Buoncompagni)といい、同地で法律学の教授を務め、その後スペイン駐在教皇特使を経て枢機卿となり、1572 年に教皇の位に就いた。在位中はトリエント公会議令の完遂に努め、1582 年にはユリウス暦を改正して、所謂グレゴリオ暦を制定し、グレゴリオ聖歌集を改訂した。また聖職者養成のため教育事業を強力に推進して多くの神学校をヨーロッパに設立し、ローマにはその中心となるグレゴリア大学を創設した。
 教皇はインドやアジアでの布教にも熱心であった。1585 年、83 歳の折に地球の果てと思われていた日本から3 年をかけて天正遣欧使節がローマに到着したが、彼等に対する歓待や寵愛ぶりは尋常ではなかったとされている。本書はこの少年使節のことに言及し、病気のために先んじて特別に謁見を許された中浦ジュリアンを除く伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノの3 名が、教皇の足下に跪き接吻する情景を図版に掲げている。
 教皇在位中に、日本では1580 年にイエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano, 1539-1606)によって三種の教育機関が設置された。これは同教皇の方針に沿ったもので、安土と有馬の二つの神学校(セミナリオ)と府内(大分)の学院(コレジオ)と、臼杵の修練院(ノビシャド)の四校が建築された。
 なお、本書に掲げられているその四校の木版画は、三階建ての洋風建築であるが、他の頁にも全く同じものが使われており、画家の想像による建築画と思われる。」
(京都外国語大学附属図書館展示目録 『日本をヨーロッパに紹介した戦国期の宣教師たち』 より)

 「本書はローマ教皇グレゴリオ13世(1502~1585、在位1572~1585)の業績と生涯を述べた伝記である。1596年刊行、初版(1591年刊行)を訂正増補したものである。挿図を全く掲載していない初版本と比べると、1596年版は41点の木版画の挿図を掲載しており、注目に値する。本書には、日本に建設された4つのキリスト教教育施設(豊後臼杵のノヴィシアド、豊後府内のコレジオ、安土と長崎のセミナリオ)に関する記述や、天正遣欧使節のローマ教皇謁見の場面の説明がある。これらは、日本のキリスト教伝来期の様相を伝えると同時に、日本がヨーロッパに如何に紹介されたかを指し示すものである。本資料は、日本国内では数箇所の機関が所蔵するにとどまり、非常に希少な資料である。」
(文化遺産オンライン 九州国立博物館所蔵 チャッピ「グレゴリオ13世伝」解説より)

「シエナの名のある薬屋として財を築いたマルカントニオ・チャッピ(1577以前-1601以後)は、本書においてボンコンパーニ家出身のグレゴリウス13世について的確に概略を述べている。教皇はさまざまな偉業を成し遂げるとともに、ローマをカトリック改革の中心地とすることに寄与した。またイエズス会が主導したような、宣教師たちによる布教活動の拡大のために経済的、政治的な支援を惜しまず、イエズス会には優先的に特権を与えた。1573年には彼らに西インド諸島と東インド諸島で説教を行う特権を与えた。1583年6月には日本のセミナリオとコレジオを維持するために膨大な援助を与えた。さらに1585年には、日本と中国での布教活動をイエズス会士にのみ許可した。こうした教皇の勢力的な活動について、チャッピは本書の第4章の全てを割いて述べている。同賞には、グレゴリウス13世の時代にイエズス会士たちが日本に設立した主な教育機関について、つまり府内(豊後)に設立されたコレジオや臼杵のノビシャド(修練院)、下[訳注:当時の九州]の有馬と都の安土に設置されたセミナリオについて言及がみられる。また本文の記述を補うために、そのすべてに小さな木版挿絵が付されている(pp.39-40)。
 天正遣欧使節団の4人の少年たちは、まさにこの有馬のセミナリオ(1580年設立)で初等教育を受けた。彼らはローマでグレゴリウス13世から礼を尽くした歓待を受け、1585年3月23日には、公式の大使にのみ許される教皇への謁見に臨んだ。チャッピはこの出来事についても簡潔に触れ、版画挿絵を付している(p.81)。そこには、多くの枢機卿や聖職者、兵士たちが周囲で見守る中、日本の使節団が玉座に座す教皇の前で跪いている。」
(リッカルド・ジェンナイオーリ著 深田麻里亜訳 「遥かなるルネサンス展 作品解説27番」 池上英洋責任編集『遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア』所収)

タイトルページにある紋章は、教皇を示す教皇冠と鍵(ペトロの後継者である天の国の鍵)に加えて、グレゴリオ13世の生家であるブオンコンパーニ家の紋章(邪悪の象徴である尻尾を切断された龍)を描いている。
タイトルページ裏面にはグレゴリオ13世の肖像画
本文冒頭箇所。
臼杵のノヴビシャド(修練院)と府内のコレジョ(学院)
有馬のセミナリオ(神学校)と安土の神学校
天正遣欧使節と教皇との謁見の場面