書籍目録

『インド旅行記』

ベックマン

『インド旅行記』

私家版 / 著者直筆献辞本 1893年 ベルリン刊

Böckmann, Wilhelm.

Reise nach Indien aus Briefen und Tagebüchern zusammengestellt und meinen Freunden…

Berlin, Self Published, 1893. <AB20198>

¥55,000

Large 8vo.(18.3 cm x 26.0 cm), 2 blank leaves, Title., 2 leaves, pp.[1], 2-96, Photo leaves: [19], with 1 folded map, Original decorative maroon cloth.

Information

『日本旅行記』のあとがきを収録したベックマンのもう一つの旅行記

 本書は、明治東京の官庁街設計のため1886年に招聘されたドイツ人、ベックマン(Wilhelm Wöckmann, 1832 - 1907)がインド渡航時の日記をもとに著した書物です。ベックマンの東京官庁街設計案は、当時のヨーロッパ諸国の主要都市設計に強い影響を与えた、パリに代表されるバロック都市設計を発展させた壮大なもので、その大半は実現に至りませんでしたが、明治東京の都市設計に大きな足跡を残した人物として知られています。中でも、近年の研究成果が明らかにしたように、現在の国会議事堂を永田町一丁目にすべきであることを最初に提言した点は、現在に至る国会議事堂を中心とした永田町の官庁街設計の基本軸を打ち出したものとして高く評価されるべき点でしょう。

 ベックマンの日本滞在時の記録を中心とした一次資料としては、私家版でごく少部数のみが発行された『日本旅行記(Reise nach Japan aus briefen und tagebüchern Zusammengestellt…1886)』があり、これはベックマンの官庁街設計をはじめ、ベックマンと日本の関わりを研究する上での最重要文献とみなされています。本書はこの『日本旅行記』に続いて後年に同じく私家版として刊行された『インド旅行記』ですが、本書が大変興味深いのは、『日本旅行記』のあとがきとして、これを補う貴重な記事が収録されていることです。

「ベックマンは『日本旅行記』とは別に、のちに日本の回想録(本書に収録されている記事のこと;引用者注)を書いた。そこに興味ある記述があるので、以下引用しよう。

「1887年の春、エンデは完成図面を東京に持参した。そうこうする間に、政治の状況がすでに変わっていた。我々のプランのために、当時の政府があらわした熱狂を(注・ベックマンの来日時のこと)、エンデはもはや見出せなかった。度重なる攻撃をする反対勢力は、その建物(エンデ&ベックマンによる官庁建築案)を浪費とみなし、全権を有する外国人による仕上げを、反国民的なものと説明した。伊藤・井上の内閣の立場は、主として新しいものに敵対する反動的な党の扇動によって揺れ動いた。」

ホープレヒトとエンデの来日時に、官庁集中計画自体が大きく揺さぶられていたのであった。井上馨が進めていた条約改正は、1886年5月から列国共同のもとで審議され、翌1887年4月22日に、裁判所管轄条約案が議了された。これは、外国人に大きな特権を与えるもので、以後、条約改正反対の機運が盛り上がった。内国法律顧問のボワソナード、農商務大臣の谷干城、さらに板垣退助らによって意見書が出された。やがて全国的に建白運動が起こり、9月17日、ついに井上は外相を辞任した。
 井上馨が非難の矢面に立たされた以上、官庁集中計画の縮小も免れることはできなかった。つまり、計画の変更は単に財政の問題であったのではなく、広く政治的な領域とも関係していたのであった。」
(堀内正昭『明治のお雇い建築家エンデ&ベックマン』井上書院、1989年、203-204頁より)

 ベックマンの官庁街計画は、その多くが頓挫する憂き目にあいましたが、本書に収録されている記事は、ベックマン自身が、その間の経緯について記したもので、『日本旅行記』刊行後の後日談として大変興味深いものです。『日本旅行記』と本書に収録されている当該記事を合わせ読むことで、ベックマンによる官庁街設計の歴史的経緯をより立体的に浮かび上がらせることが可能になるものと思われます。