書籍目録

『東西インド諸島報知』

シーボルト / メルヴィル(編)

『東西インド諸島報知』

第1巻(揃い)、第2巻(揃い)、第3巻第1冊〜第4冊(全12冊のうち) 1847年〜1848年 ハーグ / バタヴィア刊

Siebold, Philip Franz / Servil van Carnbee, Pieter. (eds.)

LE MONITEUR DES INDES-ORIENTALES ET OCCIDENTALES. I-III(No.1-4).

(La Haye (Hague) / Batavia), (Belinfante Fréres / A L’imprimerie de l’etat(Belinfante Fréres / A L’imprimerie de l’etat), 1847-1848. <AB2018219>

Reserved

Vol.1: 12 issues bound in 1 vol., Vol. 2: 12 issues bound in 10 vols., Vol.3: 4 issues bound in 3 vols. (About details, see the last part of following article), Vol.1: Contemporary half calf on marble boards, Vol.2 / 3: original paper wrappers.
刊行当時の紙装丁のままである第2巻、第3巻の各号には破れ、イタミあり。各巻(号)の書誌詳細については解説記事末尾を参照。

Information

これまで注目されてこなかったシーボルト記事を収録する蘭領東西インドに関する稀覯総合学術雑誌

 本書は、1847年から1848年にかけて全3巻で刊行された雑誌『東西インド諸島報知』のうち、第1巻(全号を1冊に合冊)と第2巻(全12号、10分冊)の全部と第3巻の第4号(全3分冊)までという、大部分が揃っているものです。シーボルト(Philip Franz von Siebold, 1796 - 1866)と蘭領インド地域の陸海地理に精通していたメルヴィル(Pieter Melvill van Carnbee, 1816 - 1856)によって創刊され、シーボルトによる第1巻序文や日蘭貿易史についての論考などの貴重な記事が多数掲載されている他、日本関係記事を含めた当時の蘭領東インド情勢の最新情報をあらゆる角度から高い精度で収集した唯一無二の雑誌と言える大変貴重な資料です。シーボルトの編者としての関わりは第1巻までですが、第2巻、第3巻にもシーボルトによる記事の続編や日本に関係する興味深い記事が多数掲載されており、これらはこれまでの研究において知られることがなかった非常に貴重で重要な学術資料ではないかと思われます。

 『東西インド諸島報知』については、その第1巻の編者がシーボルトであることが比較的早くから知られていましたが、国内所蔵機関が皆無であることも影響してか、その具体的な内容については近年まで知られていませんでした。2003年に桂ゆりえ氏によって、第1巻のシーボルト関連記事の翻訳と紹介(桂ゆりえ訳編「<資料紹介>『東西インド諸島報知』−アジアとアメリカにあるオランダ領に関する科学的産業的記録と回想、重要な情報および事実の収録」石山禎一ほか編『新・シーボルト研究 II 社会・文化・芸術編』八坂書房、2003年所収)がなされたことによって、第1巻のシーボルト関係記事の具体的な内容や、『東西インド諸島報知』の紙面構成や他の記事について明らかにされました。この論文では、第1巻全体とシーボルト関連記事について下記のように紹介されています。

「(『東西インド諸島報知』第1巻の;引用者註)構成は第一部、第二部からなるが、全文フランス語文(但し、一部オランダ語文とラテン語文併記)で、その第一部の最初が「内容索引目次」である。目次は主題別にまとめて表示してあることに注目される。
 第一部では、シーボルトの「日本」に関する記述は、次の通りである。「序文」、「通商と航海のうち「日本の通商に関する歴史的統計的政治的概述」の「第1章 対外通商禁止策により発達した国内産業、ヨーロッパに対する日本の通商上の独立」、「第2章 対日オランダ通商、その起源から現在まで」を、「内容索引目次」に従い訳出した。(後略)
 第二部に掲載のシーボルト記述箇所は、次のとおりである。(中略)「日本情報」(ニュースと様々な事実)、「告知」(オランダ王立園芸奨励協会、ライデン)、「植民地と植民地通商最新情報」、「情報と重要事項」、「情報と様々な事実」、「日本問題」である。
 なお、本書の巻2(1847-48年)および巻3(1848−49年)は、シーボルト自身は執筆に協力していない」(前掲書402,403頁)

 後述するように、「第2巻以降にはシーボルトは執筆協力をしていない」とありますが、本書の第2巻を見ると分かるように、第1巻に掲載された「第2章 対日オランダ通商、その起源から現在まで」は、18世紀半ばまでの歴史しか扱っておらず、18世紀半ば以降を扱った続編は、第2巻に掲載されています。編者としてのシーボルトの関与は確かに第1巻のみ(第2巻以降は編者としての名前が記載されない)であったので、これまで第2巻以降には、シーボルトによる記事や日本関連記事は含まれていないものと想定されてきたことによるものと推察されますが、それだけに本書の第2巻以降の記事は興味深いものと言えます。

 桂氏による紹介においては、シーボルト関連記事の訳出だけでなく、第1巻全体の目次についても訳出がなされており、これは『東西インド諸島報知』の編集方針を知る上で、非常に重要ものです。桂氏が訳出された第1巻全体の目次は、上掲引用文にあるように、ページ順に記事を列挙したものではなく「主題別にまとめて表示して」あり、本書がどのような諸分野を組み合わせて構成されていたのかを知ることができます。『東西インド諸島報知』は、分冊形式のまま残されている本書第2巻、第3巻から分かるように、年間で計12号を発行するという、ほぼ月刊誌(時折2号が合冊刊行されることもあり)と言える頻度で刊行されていたようです。そして、各巻の最終号(第12号)の末尾に、巻全体のタイトルページと目次が合冊されていたことが伺えます。そして、購読者がそれぞれで独自に各号を合冊する際に目次を巻頭に挟み込んで製本したものと思われます。本書第1巻は、全12号が当時の所有者によって合冊されたものと思われますが、製本時に巻全体のタイトルページと目次を綴じ込まなかったようで、残念ながらこれらを欠いています(ただし第1巻全体の構成については第2巻以降の各号の裏表紙に掲載されているため、そこから知ることができる)。第1巻の目次(主題別構成)を桂氏の翻訳に基づいて整理すると、下記のようになります。

内容索引目次
序文(シーボルト執筆)

・歴史的伝記的回想録
・天文学的地理学的考察
・山岳学、地質学、物理医学による地勢論
・植物学・動物学
・民族学
・考古学
・工芸
・マレー文学
・政府と官公庁
・奴隷制度
・海賊
・統計
・政治
・農業と産業
・通商と航海(この項目に上掲のシーボルトの日蘭通商史が掲載されている)
・旅行関係
・伝記・植民地文学
・植民地雑誌(この項目に上掲の「日本情報」が掲載されている)
・昇級、勲章、年金、死亡者一覧等
・地図と図版

 これらの主題構成から、蘭領東西インドの政治、文化、経済、科学の諸分野のあらゆる学問を網羅的に収集しようとする編者の意図を明瞭に見てとることができます。これほど網羅的にあらゆる分野の最新かつ高品質な論説を集め、毎月刊行することには、相当な労力と熱意が必要と思われ、こうした高い志のもとで『東西インド諸島報知』が編集されていたということは、本書の性質を読み解く上で非常に重要な視点であると思われます。

 桂氏が紹介されているように、『東西インド諸島報知』は、上記の項目を第一部と第二部とに振り分ける(項目毎に画一的に振り分けるのではなく、同じ項目にある記事であっても第一部に振り分けられるものもあれば、第二部にも振り分けられるものもある)全二部構成をとっており、合冊以前の状態である本書第2巻以降を見てわかるように、各号の前半が第一部、後半が第二部となっていて、それぞれ独立したページづけ(折丁記号も部毎に独立)がなされています。全号が合冊されている本書第1巻では、製本時に各号の第一部、第二部それぞれを別々に通読できるように、ページ順に並び替えられてから綴じられたことが分かります。

 シーボルトが執筆した記事のうち、最も大きな分量を占めているのは、「日本の通商に関する歴史的統計的政治的概述」の「第1章 対外通商禁止策により発達した国内産業、ヨーロッパに対する日本の通商上の独立」、「第2章 対日オランダ通商、その起源から現在まで」です。これらの記事は、シーボルトの主著で当時分冊形式で継続刊行中であった『日本(Nippon)』の第12回配本(第6章)に該当する部分のフランス語訳ではないかと思われます。シーボルト『日本』のフランス語訳のテキストは、第1巻、第3巻、第5巻のみが分冊形式で刊行され未完に終わっていますが、『日本』フランス語訳の刊行されたテキストに、本書収録シーボルト論文に該当する箇所があるかどうかについては、店主は確認できていません。何れにしてもシーボルト『日本』のフランス語版は原著ドイツ語版以上に極めて稀覯とされているため、『東西インド諸島報知』に収録されているシーボルトのこれらの論文は極めて重要な資料と言えます。

 上述のように桂氏が編訳されているのは、本書の第1巻のみですが、本書第2巻以降のシーボルト、および日本関連記事について、店主が確認し得た限りでは、下記のようなものを見ることができます。

第2巻第1号
シーボルトの本誌への貢献に言及したメルヴィルによる序文掲載
第2巻第6号
平戸商館と初期日蘭貿易についての記事
第2巻第7号
シーボルトによる王立園芸協会主催の展示会開催予定についての記事
第2巻第8号、第9号
シーボルト「対日オランダ通商、その起源から現在まで」第1巻掲載分の続編
第2巻第11号、第12号
シーボルト「対日オランダ通商、その起源から現在まで」第1巻掲載分の続編(完結)
*本号には第2巻全体のタイトルページと総目次が巻末に合冊されている。
第3巻第4号
アメリカ東洋艦隊ビドル提督の本国宛日本報告書

 シーボルトによる記事で、最も分量があり重要と思われる「対日オランダ通商、その起源から現在まで」は、第1巻だけでなく、第2巻に掲載された2本を合わせて初めて完結するもので、その意味においてシーボルトが編集者として関与していないことを理由にして、これまで等閑視されてきた本書第2巻は、シーボルト研究において欠くことのできない極めて重要な資料ということができます。また、シーボルト研究のみならず、当時最新にして最良の蘭領インドの総合学術誌であろうとした『東西インド諸島報知』において掲載された日本関係記事がどのような位置を占めているのかを知ることもできる本書は、日本研究全体においても大変重要な資料ということができます。

 『東西インド諸島報知』は、バタヴィアで刊行された複数の学術雑誌の中にあって、極めて短命でありながら、その企図の壮大さから他誌にはない極めて貴重な情報の宝庫となっており、シーボルト研究のみならず、日本研究、蘭領インド史研究にとって大変重要な学術資料と言えるものです。刊行当時から極めて高額であったことも災いしてか、現存するものは大変少なく、また上述したように国内の研究機関における所蔵期間は、ほぼ皆無と言える状態にありますので、本書を活用した今後の研究の進展が待たれます。

なお、各巻、各号の詳細な書誌事項は下記の通りです。

TOME I.
Half Title., Front., pp.[I], II-VI, Half Title. of Premiére Partie, folded chart, pp.[1], 2-42, folded map, 43-48, folded map, 49-86, map, 87-128, folded map, 129-190, plate with tissue guard, 191-262, (lacking plate ?), tissue guard, 263-342, colored plate with tissue guard, pp.[1(Half Title. of Deuxiéme Partie)-3], 4-94, 97-128.

TOME II.
(No.1): Title., Half Title. of Premiere Partie, Front., pp.[I], II, [1], 2-32, pp.[1(Half Title. of Deuxiéme Partie)-3], 4-12.No.2: Title., pp.[33], 34-64, [13], 14-24, folded map.
No.3: Title., pp.[65], 66-96, 25-40, folded map.
No.4: Title., pp.[97], 98-128, 41-48, plate.
No.5: Title., pp.129-156, 49-68, plate.
No.6: Title., pp.157-188, 69-80, plate.(No.7: Title., pp.189-232, 81-88, Advertisement leaf.
No.8, 9: 2 issues bound in 1 vol., Title., pp.233-288.
No.10: Title., pp.289-332, 89-92, folded map.
No.11, 12: 2 issues bound in 1 vol., Title., pp.333-392, 93-115, folded map, pp.[I(Half Title. of TOME II)-III( Title. of TOME II), IV), [V], VI-VIII(TABLE DES MATIÉRES).

TOME III.
No.1: Title., pp.[1], 2-40, 1-12.
No.2, 3: 2 issues bound in 1 vol., Title., pp.41-96, 13-16, LACKING map.
No.4: Title., pp.97-148, 17-32.

第1巻は全12号が1冊に合冊されている。
第1巻全体のタイトルページと目次は綴じ込まれておらず、仮表題紙のみ。
口絵とシーボルトによる序文冒頭箇所。
序文末尾にはシーボルトの記名がある。
第1巻第1部の表題紙。
第1巻第1部の「通商と航海」の項目に収録されている、シーボルト「日本の通商に関する歴史的統計的政治的概述」の「第1章 対外通商禁止策により発達した国内産業、ヨーロッパに対する日本の通商上の独立」冒頭箇所。
上掲の続きとなる「第2章 対日オランダ通商、その起源から現在まで」の冒頭箇所
シーボルトが引用している重要な一次資料についてはオランダ語(髭文字部分)も併記されている。
記事の末尾には「続編は近日中に掲載」とあり、記事がこれで完結しているのではなく、続編があることが明記されている。
第1巻第2部の表題紙。
第1巻第2部「日本情報」(ニュースと様々な事実)。フランスのインドシナ艦隊提督セシル(Jean-Baptiste Thomas-Médée Cécille, 1787 - 1873)の率いる二隻のフランス軍艦の日本への航行に関するシーボルトの記事。記事の末尾に D. S.とあるのがシーボルトの記名。
第1巻第2部「告知」(オランダ王立園芸奨励協会、ライデン)。議長シーボルトと書記ホフマン(Johann Joseph Hoffmann, 1805 - 1878)の記名がある。
第1巻第2部「植民地と植民地貿易に関する最新情報」の項目に掲載されたクーパー(Mercator Cooper, 1803 - 1872)による日本の漂流民送還のための日本来航に関する記事。クーパーは公式の来日アメリカ人として最初の人物とされる。
第1巻第2部「情報と重要事項」の項目に掲載された、上掲クーパーに関する日本来航の続報。
第1巻第2部「情報と様々な事実」の項目に掲載されたアメリカの対日遠征計画に関するシーボルトの記名記事。
第1巻第2部「日本問題」と題されたシーボルトの記名記事。米仏による日本への航海を称えつつ、その礎を築いたとしてウィレム2世(Willem II, 1792 - 1849)とオランダの無私の貢献の偉大さを強調している。
第2巻第1号の表紙。第2巻以降はこのように各号が刊行された当時のままの合冊前の形態を残しており、痛みが見られるものの本誌の出版形態を知る上で極めて貴重である。表紙を見てわかるように、編者からシーボルトの名前が消えている。
第2巻第1号の表紙裏面。各号の表紙裏面はそれぞれの目次となっている。
第2巻に収録されている口絵と第2巻第1部表題紙。
第2巻の序文。第1巻のシーボルトと共に編者であったメルヴィル(Pieter Melvill van Carnbee, 1816 - 1856)によるもの。シーボルトについても好意的に言及していることから、両者間のトラブルによってシーボルトが第2巻以降の編者を辞めたわけではなさそうである。
上掲続き。末尾にメルヴィルの記名がある。
第2巻以降の裏表紙は第1巻の内容目次となっていて、第1巻全体の構成を見ることができる。
裏表紙の裏面は蘭領インドに関する刊行物のカタログとなっている。
第2巻第6号に掲載されているオランダ平戸商館に関する記事。第4代オランダ東インド会社総督クーン(Jan Pieterszoon Coen, 1587 - 1629)についての記事中に見出すことができる。
第2巻第7号に掲載されているシーボルトによる王立園芸協会主催の展示会開催予定についての記事。
第2巻第8号、第9号に掲載されているシーボルト「対日オランダ通商、その起源から現在まで」第1巻掲載分の続編。第1巻掲載論文の続編であることが明記されている。
前掲論文の末尾には、「続編は近日中に掲載」とあり、記事がこれで完結しているのではなく、続編があることが明記されている。
第2巻第11号、第12号 シーボルト「対日オランダ通商、その起源から現在まで」の上掲記事の続編。
末尾には続編に関する記載がなく、この論文で完結したことが分かる。
第2巻第11号、12号(合冊)の末尾には、第2巻全体の仮表題紙、目次などが綴じ込まれている。
第2巻全体のタイトルページ。
第2巻全体の目次①
第2巻全体の目次②
第2巻全体の目次③
第3巻第1号の表紙。
特に序文などはなく、最初から本文が始まる。
第3巻の裏表紙も第2巻のそれと同じく第1巻の内容目次。
裏表紙の裏面もやはり同じく蘭領インド関連資料のカタログ。
第3巻第4号に掲載されているアメリカ東洋艦隊ビドル提督(James Biddle, 1783 -1848) の本国宛日本報告書。
ビドルは1846年に来日し開国を試みたが失敗したことで知られる。