書籍目録

「1780年2月10日に読み上げられた、ジョゼフ・バンクス卿に宛てられたツンベルク医師による1775年と1776年の日本帝国への航海・滞在日記抜粋」『哲学的論考集』第70号第1部所収

ツンベルク / (ジョゼフ・バンクス)

「1780年2月10日に読み上げられた、ジョゼフ・バンクス卿に宛てられたツンベルク医師による1775年と1776年の日本帝国への航海・滞在日記抜粋」『哲学的論考集』第70号第1部所収

1780年 ロンドン刊

Thunberg, Carl Peter. / (Banks, Sir Joseph).

Ett kort utdrag af en journal, hållen på en resa til och uti Kejsardömet Japan, gjord af Doctor Thunberg åren 1775 och 1776, Skrivit til Herr Joseph Banks, praeses uti Royal Society, i London. Read Feb. 10, 1780. [IN ] PHILOSOPHICAL TRANSACTIONS, OF THE

ROYAL SOCIETY OF LONDON. Vol. LXX. For the Year 1780. PART I. London, (Sold by) Lockyer Davis, Peter Elmsly, (Printers to the Royal Society), MDCCLXXX.(1780). <AB2018199>

Sold

4to (23.0 cm x 30.0 cm), pp.[i(Title.) , ii], iii-viii, [1], 2-306, i-xiv, Folded plates: [6], Original paper wrappers.
刊行当時の簡易装丁のまま。表表紙とタイトルページ、裏表紙と最終ページはテキスト本体から外れている。紙端は断ち切りされておらず、ところどころ封切りされていない箇所あり。

Information

ツンベルクによる最初の「日本旅行記」が収録された王立協会雑誌

 本書は、イギリスの王立協会(Royal Society)が発行している学術雑誌『哲学的論考集(Philosocphical Transactions)』第70号第1部で、1780年にロンドンで刊行されています。王立協会は、17世紀以降に急速に発展した科学的知見を結集させるために設立されたもので、「言葉に拠らず(Nulius in verba)」という会の原則が示すように、経験科学と実証主義を重視し、それまでのスコラ的な思弁を退けることに特徴があります。ニュートン(Sir Isaac Newton, 1642 - 1727)や、ロバート・フック(Robert Hoooke, 165 - 1703)といったそうそうたる科学者たちが初期の会員に名を連ねており、以降もイギリスを代表する科学者達によって運営されています。王立協会が発行する雑誌『哲学的論考集』は、1665年に刊行が開始され、会員による最新研究成果を発表する媒体として、現在も刊行されて続けています。

 本書である第70号第1部は、1780年に刊行されたもので、大変興味深いことに、1775年から1776年にかけて、オランダ商館付き医師として来日したスウェーデン人医師ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 174 - 1828)が、当時の王立協会会長ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1743 - 1820)に宛てた「日本滞在日記」の抄録が掲載されています。ツンベルクは1775年8月に来日し、1776年春からの江戸参府にも同行し、同年中に離日しましたが、短い滞在期間にも関わらず、日本の植物、医学研究、調査に勢力的に取り組み、当時勃興しつつあった日本の蘭学研究の指導にも尽力したことで知られています。ツンベルクは、近代植物学の祖とされるリンネ(Carl von Linné, 1707 - 1778)の直弟子でもあったことから、リンネの近代植物学の最大の特徴である分類法をいち早く日本に伝える役目も果たしました。ツンベルクは、ヨーロッパに戻ってから1778年に王立協会のフェローに選出されており、ロンドンにも短期間滞在していたようですが、王立協会フェロー選出とロンドン滞在には、協会長バンクスの強い後ろ盾があったことがこの記事から読み取ることができます。ツンベルクによると、ロンドン滞在中にバンクスから多くの知識人を紹介されたようで、その際にしばしば日本についての質問を受ける機会があり、その都度記憶を頼りにしてしか答えられていなかったが、このたび『哲学的論考集』に寄稿する機会を与えられたので、日本への航海、滞在中に認めた日記を抜き出す形で、こうした質問に答えたいと、しています。ヨーロッパに戻ったツンベルクはスウェーデンのウプサラ大学で植物学教授となった1781年頃から雑誌への寄稿を勢力的に開始しており、『日本植物誌(Flora Japonica. 1784)』、『ヨーロッパ・アジア・アフリカ紀行(Resa uti Europa, Africa, Asia förrattad Aren. 1770 - 1779)』、『日本動物誌(Fauna Japonica, 1822 - 1823)』といった著作を生み出しましたが、本書に掲載された論文は、これらに先駆けるものでおそらくヨーロッパに戻ってからツンベルクが最初に発表した日本についての論文ではないかと思われます。

 テキストはスウェーデン語で書かれていて、本文143頁から156頁にかけて掲載されています。また、英語読者のために英訳版も同時に作成されていて、巻末の補遺には英訳版が掲載されています。テキストは、ツンベルクの日本への航海、滞在について概ね時系列に沿って説明する内容となっています。ヨーロッパを発ってから南アフリカの喜望峰、バタヴィアを経て日本に到るまでの1775年の航海を簡単に述べてから、長崎に上陸する際の様子はかなり細かに描写していて、上陸時の取り調べは厳格を極めたもので、生卵の中まで調べられるほどであること、以前はこれほどまでに厳しくなかったが、密貿易(いわゆる抜け荷貿易)があとを絶たなかったことから幕府が厳しい方針に転じたことなどが述べられています。以降は、滞在中にツンベルクが見聞した事項が大変簡潔に述べられていて、日本に住み人々の外見上の特徴、男女の髪型、衣類(と性別、階級によるその相違)、住居、家具(極めて簡素で家具が全くない)、冬の厳しさと暖房設備、ポルトガル人がもたらした煙草が広く愛好されていることや、非常に清潔であること、上位階層者に対する下層階層者の振る舞い、刑罰が厳格である一方、犯罪が極めて少ないこと、商業活動が非常に活発であること、オランダ、中国との貿易の概観、そしてオランダ商館長の江戸参府のことなどが説明されています。以降は、ツンベルクも同行した1776年春からの江戸参府の行程が記されていて、立ち寄った町のことや移動に用いた籠(乗り物、Norimons)のことなどが報告されています。

 ツンベルクによるこの記事は、王立協会でも好評を博したようで、エドマンド・バークが1758年に創刊した『年鑑(Annual Register)』の1781年号をはじめ、複数の雑誌に転載されています。英訳本文は本書収録のものといずれも同じようですが、スウェーデン語原文は本書以外には掲載されていません。この論考が王立協会長であったジョゼフ・バンクスに宛てて提出されたものであることを明示しているのはスウェーデン語原文の方ですので、原文と英訳文の相違の調査だけでなく、そもそもこの論考が提出されることになった経緯を正確に知るためにも、本書は大変重要な資料ということができるでしょう。