書籍目録

「日本のソテツについて」ほか『ゲルマン医理学アカデミー論集 1695/96年号』所収

クライアー / メンツェル / ヴァレンティニほか

「日本のソテツについて」ほか『ゲルマン医理学アカデミー論集 1695/96年号』所収

1696年 ライプチッヒ、フランクフルト刊

Cleyer, Andreas / Mentzel, Christian...[et al]

Dn. D. ANDREAE CLEYERI. De Arbore Japonensium Tschooditsoo sive Tschoot - Itzu. and others IN MISCELLANEA CURIOSA SIVE EHPEMERIDUM MEDICO-PHYSICARUM GERMANICARUM ACADEMIAE CAESAREO-LEOPOLDINAE NATURAE CURIOSORUM DECURIAE III. ...

Lipsiae(Leipzig) / Francofurti(Frankfurt), Thomam Fritschium(Leipzig) / Joh. Philippum Andream(Frankfurt), 1696. <AB2018181>

Sold

4to (16.0 cm x 21.4 cm), Half Title., Front., Title., 8 leaves, pp.1-336, Plates: [12], Title. of Appendix, 1 leaf, pp.[1-2], 3-18, 16[i.e.19], 20-45, 64[i.e.46], 47-168, 7 leaves, Plate: [1], Contemporary parchment.
本文中に経年変化によるやけ、しみあり。所々に当時のものと思われる書き込みあり。補遺C3(21/22pp.)余白下部に1cm大の穴あり。補遺U3(157.158pp.)下部に破れ(ごく一部テキスト箇所)

Information

 本書は、ベルリンの学術協会が刊行していた雑誌で、植物学に限らず、自然科学全般に関する幅広い学術論文を多数掲載しています。医学、動物学、天文学も含めた当時最新の学術成果を発表する媒体となっていた雑誌で、多くの銅版画によって解剖図や図表を収録している点にも特徴があります。この雑誌が大変興味深いのは、西洋人による日本の植物の本格的研究の端緒となった数多くの論文が収録されている点にあり、本書にもそうした論文を見ることができます。

 クライアー(Andreas Cleyer, 1634 - 1697)は、2度に渡って(1683−84年、1685−86年)オランダ商館長を務めた優れた植物学者で、離日後もバタビアにとどまり、当地や東アジア地域の植物収集と研究を続けました。ヨーロッパで最初の日本の植物と庭園の紹介書である『東洋園芸師(Der orientalish-indianische Kunst-und Lust Gärtener, 1692)』を著したマイスター(George Meister, 1653 - 1713)の植物採集者としての優れた才能を見出し、ともに研究を進めたことでも知られています。クライアーは、ベルリンのプロイセン王室図書室の責任者にして博物学者であったメンツェル(Christian Mentzel, 1622 - 1701)と文通によって、日本の植物を紹介しており、このことが日本とヨーロッパとの植物研究交流の先駆けとなり、その基礎を築く役割を果たしました。クライアーは、600枚近くに上る日本の植物画の収集を行い、それらをマイスターを通じてフリードリヒ3世に献呈しており、これらは今もベルリン国立図書館に保管されています。クライアーと交流を続けていたメンツェルは、クライアーが送ってくる日本やバタビア、東アジアの植物についての研究論文を、本書において発表するとともに、自身でも多くの論文を発表していました。

 本書には、クライアーによる日本の植物に関する記事が3本(208頁〜)掲載されており、そのいずれにも対応する植物の図ならびに、当時の日本での呼称を日本語の仮名文字とローマ字とで記した銅版画(5枚)が掲載されています。当時の日本(長崎近辺での)の呼称を採用する独特の命名法は、先述したマイスターによるものと一致しており、これはケンペルにも影響を与えたと言われています。店主には解読が困難がものが多いですが、ソテツ(Tschooditsoo / Tschoot-Itzu / ショテツ)などは比較的容易に理解できるもので、他にも主にツリフネソウ科の植物が扱われているようです。当時のヨーロッパにとって、日本を含めたアジアに植生する様々な植物は、食料品、医薬品、嗜好品、学問研究の素材として極めて重要な産品であったため、これらに関する最新で正確な知識というものが渇望される社会的背景がありましたので、これらの記事においても主に薬用としての有効性が論じられているようです。これらの論文は、ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)による、日本の植物研究に先駆けるもので、また、銅版画によって初めて日本の植物をヨーロッパに伝えた最初期の視覚資料としても大変重要な文献と思われます。また、当時の日本語での音読みをそのままローマ字に転記し、さらには仮名文字を併記(活字ではなく銅版画で)している点は、来日したヨーロッパ人による日本語研究の資料としても非常に興味深い資料と言えます。本書にはクライアーによるこれらの論文以外にも多数の興味深い論文が収録されており、一例を挙げますと、古今東西の薬品、医療法についての研究を行ったことで知られるヴァレンティニ(Michael Bernhard Valentini, 1657-1729)による中国の植物研究を中心とした小論(補遺41頁〜)などがあります。クライアーによる論文以外では特に日本を集中的に取り扱った論文は内容ですが、どのような同時代的文脈で日本の植物研究が扱われていたのかを理解するために有用な様々な論文が本書には収録されています。


 「17世紀を通じて数多くのドイツ人がオランダ東インド会社の役員として東洋を訪れ、日本についての見聞記を残した。その中で最も学問的に評価の高い資料を集めたのは、1682年から1683年(天和2-3)と1685年から1686年(貞享2-3)年の二度にわたって、出島の商館長として来日したアンドレアス・クライアーと、そのクライアーの下で庭園技師として働いたゲオルク・マイスターである。二人は日本の植生を初めてヨーロッパに紹介したが、彼らがヨーロッパの知人や友人たちに送った植物画、学術論文、そして植物標本や押し花のコレクションは、ドイツ、イギリス、ポーランドに現在も残っている。彼等は、ケンペル、ツュンベリー、そしてシーボルトの先駆者といえるだろう。」
(ドイツ日本研究所編『ドイツ人の見た元禄時代:ケンペル展』(ドイツ日本研究所、1990年より)