書籍目録

「京都とその近郊の地図とガイド」

ジャパン・ツーリスト・ビューロー / (杉浦非水?)

「京都とその近郊の地図とガイド」

1915年? 東京刊

Japan Tourist Bureau / Sugiura, Hisui.

MAP & GUIDE OF KYOTO AND ENVIRONS.

Tokyo, The Tokyo Tsukiji Type Foundry, 1915?. <AB2018180>

Reserved

10.0 cm x 22.1 cm, pp.1-20 with a folded map, Original pictorial paper wrappers, bound in Japanese style, tied.

Information

「ビューロー発行印刷物発売の嚆矢」となった英文京都ガイド

日本交通公社の前身である、ジャパン・ツーリスト・ビューローは、1912(明治45)年に設立された、来日外国人観光客の誘致と応対を目的とする団体です。以前から活動していた喜賓会(Welcome Society of Japan)をより発展的に継承した団体で、鉄道院や帝国ホテルをはじめとした外国人向けホテル、日本郵船など関連業界からの賛同を受け設立された半官半民の組織で、現在の日本交通公社の前身にあたるものです。ビューローの設立については、鉄道院の木下淑夫が中心的な役割を果たしており、喜賓会の渋沢栄一と鉄道院総裁であった原敬への木下の積極的な提案により、鉄道院の出資とビューローの設立が可能となったとされています。

 ビューローは設立の翌年(1913年)に、英文での日本ガイドブックを刊行し、来日した外国人観光客にむけたガイドブックを積極的に配布しています。ビューロー発足時には、サトウやチェンバレンをはじめとした外国人の手になる本格的なガイドブックがすでに数種類存在しており、また鉄道院による全5巻からなる記念碑的なガイドブック(An Official Guide to Eastern Asia.)もすでにその準備が進められていました。従って、ビューローとしては、こうした本格的な大部のガイドブックとは目的が異なる、簡便ながらも外国人来日観光客にとって必要な情報をコンパクトにまとめた小冊子のガイドブックを発行しました。

 本書は、ビューローが販売用の印刷物として最初に刊行したという、英文京都案内です。下記に示すように、先行ガイドブックを比較参照し、実地踏査を経て作成するという大変熱の籠った出版物で、印刷屋意匠にも様々なこだわりが見て取れます。

 内容としては、最初に京都の概観を紹介し、京都の地理的位置、範囲、人口、宗教、教育、商業、主要な生産物(西陣織など)、気候、ホテル(外客向けの)、旅館とその料金、レストラン、ビアホール、カフェ、移動手段(人力車を推奨)、劇場、郵便と電信、銀行の情報が簡潔に掲載されています。続いて、年間のお祭りや見どころをカレンダーで紹介してから、9日間を費やすサンプル観光プランを紹介(店主の見る限り相当詰め込んだ内容に思えますが。。。)しています。京都各地の案内は、地域を4分割して下記の見どころ紹介していてます。

中央(Central)
祇園、都をどり、女紅場、四条大橋、三条京極、六角堂

南西、南東(South-East and South-West)
八坂神社、円山公園、知恩院、粟田御所、将軍塚、東大谷、八坂の塔、清水寺、西大谷、豊国廟、智積院、京都帝国博物館、豊国神社、大仏殿、三十三間堂、壬生寺、東本願寺、西本願寺、東寺、泉涌寺

北東(North-East)
平安神宮、武徳殿、動物園、市立勧業館、平瀬貝類博物館、京都帝国大学、吉田山、真如堂、黒谷光明寺、銀閣寺

北西(North-West)
御所、仙洞御所、二条離宮、相国寺、同志社大学、護王神社、神泉苑、北野天満宮、平野神社、金閣寺、建勲神社、大徳寺、今宮神社

 また、京都近郊の見どころとしては、嵐山、保津川下り、美濃王保津川下り、三尾(高雄、槙尾、栂尾の総称)、愛宕山、伏見と宇治、下鴨神社、修学院、八瀬、大原、琵琶湖、比叡山、坂本、大津、石山、八幡神社、長岡天神を掲載しています。

 巻末には2枚の折り込み地図が収録されていて、京都とその近郊を示した折り込みの彩色地図は、本文で紹介した各地を示す番号と名称を明示しています。もう一枚はより詳細な3万分の1縮尺の市街図となっていて、京都市街の地理把握に必須となる烏丸通、四条通りといった東西南北の通り名がローマ字で示されています。裏表紙は発足したばかりのビューローの広告となっていて、このガイドブックの価格(30銭)も記されています。


「案内記の作成に就ては生野氏はすぐれた意見を持っていた。自分もビューロー入所早々京都案内の作成を命じられたが、実地踏査の前に生野氏から京都に関する文献にひと通り眼を通すこと、就中、モーレーとテリーの案内記に注意すること、距離、見物所要時間、料金等を的確にすること、出先では市役所やホテルに於て最新の各種統計や外人に特に興味ある資料を得ること、出発前大体の組骨をつくり、それを携行して実地踏査せよと親切に教えられた。京都では都ホテルに濱口守介氏がいて大きな手をひろげ5本の指を楓の葉に譬え、5日間の京都見物を説明してくれた。その上女紅場(芸者学校)を紹介して是非参観せよという。当時女紅場は教師20名生徒700余名を擁しなかなか盛んなもので真面目な優秀な生徒諸君がいた。世間見ずの自分は非常に感心し習字や絵画の作品を2,3枚記念に貰って帰り復命と共に生野幹事に供覧して微苦笑されたものである。この京都案内は英訳の上間もなく出版されたが三六判、表紙は清水の舞台に舞扇を手にせる京美人を配したもので7度刷の豪華版、30銭で発売することとなった。是がビューロー発行印刷物発売の嚆矢である。」
(山中忠雄『(ジャパン・ツーリスト・ビューロー25周年)回顧録』ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1937年、82.83頁より)