書籍目録

『リスによる製薬、処方、治療の薬局方』(『三法方典』)

リス / (橋本宗吉)

『リスによる製薬、処方、治療の薬局方』(『三法方典』)

改訂第2版 ラテン語・オランダ語併記 1764年 アムステルダム刊

Lis, Wouter van.

GUALTHERI VAN LIS, M.D. PHARMACOPOEA GALENO- CHEMICO- MEDICA Probatissimis Auctoribus, ratione & experientia fundata. / MENG- SHEI- EN GNEESKONSTIGE ARTSENY-WINKEL; Op de beste Schryvers, de rede en ondervinding gebouwt;....

Amsterdam, Jan Morterre, MDCCLXIV(1764). <AB2018174>

Sold

2nd ed.(Twede Druk).

4to (21.7 cm x 26.7 cm), Half Title., Front., Title., 14 leaves, pp. [1], 2-436(text printed in double column), 1 plate, 29 leaves(Index), Original blue card boards.
Aaa3(pp.373,374)に約5mm大の小さな穴あきあり。

Information

西欧薬学導入において先駆的役割を果たした橋本宗吉『三法方典』の底本改訂第2版

 本書は、日本における最初期の西欧製薬化学紹介となった橋本宗吉の『三法方典』の原著となったオランダ語で著された薬学書の改訂第2版に当たるものです。初版はロッテルダムで1747年に刊行されていますが、改訂版である本書は1764年にアムステルダムで刊行されています。

 ヨーロッパでは薬学の発展とともに、公共機関による公式の医薬品の規格制定制度、すなわち薬局方(Pharmacopoea)制度を生み出しました。この制度は古くは16世紀にまで遡るものと言われていますが、日本における西欧薬学の導入に際して最大の影響を与えたオランダにおいても、18世紀にはアムステルダム、ロッテルダム、ライデンといった主要都市において、薬局方が作成、刊行され、これらの書物は当時最新の西欧薬学を伝える文献として、蘭学者の間でも読まれました。蘭学者らによって読まれたこれらの文献は翻訳され、いわゆる「オランダ局方」文献として写本や刊本の形で流布し、蘭学に親しんだ医療関係者の手に広く渡ってたようです。

 本書は、こうした当時のヨーロッパと日本の蘭学の興隆を背景として、大阪を代表する蘭学者、医者である橋本宗吉が翻訳した『三法方典』の底本となった文献の改訂版にあたるものです。橋本宗吉の『三法方典』は、一定の時代的制約はあるものの、当時最新のヨーロッパの製薬化学を日本に伝えた文献として、高く評価されており、この分野における先駆的役割を果たした文献とされています。

 橋本宗吉の『三法方典』の底本となった本書初版は、薬学博士であったリス(Wouter van Lis, 1709 - 1784)が、ロッテルダムの薬局方をもとに、自身の解説や独自の処方を付け加えて著したもので、公式の薬局方と言えるものではありませんが、リスの優れた注釈や処方、読みやすいテキストとその配置は、当時のオランダでも有用な手引書として大変好評を博し、広く読まれることになりました。リス自身が学者であると同時に薬局を営み、ビール醸造所も経営するというユニークな経歴を有していたため、多方面に渡る実践的知識に裏付けられたリスのテキストは当時のオランダはじめ、(ラテン語でも併記されていたことから)ヨーロッパでよく読まれたようで、それが本書である1764年の改訂版の誕生につながったものと思われます。

 本書の構成は、初版と大差なく、全6部の構成をとっており、橋本宗吉の『三法方典』も原著に忠実な6巻構成となっています。テキスト本文は1ページを左右に分割して、左にラテン語、右にオランダ語で記載されており、後者が蘭書として橋本宗吉が翻訳し得ることに貢献し、また前者は、オランダ国内にとどまらずヨーロッパで広く読まれることに貢献したものと思われます。本書の構成を店主が大意をとって纏めたものと、『三法方典』のそれとを併記すると、下記のようになります。

第1部
薬学に関わるものが留意すべき5点、ならびに植物から得られる単剤薬品について。
(巻之一:医学須知五事)
第2部
(オランダ)内外で用いられている生薬について
(巻之二:内外諸薬古今称験之法方)
第3部
化学薬品とその精製について
(巻之三:諸薬溶薬変化之方)
第4部
実際的な薬剤の配合について
(巻之四:諸薬配剤法)
第5部
薬学に関わるものが見逃すべきでない要点について
(巻之五:処方製薬二法須知)
第6部
薬学に関する用語と記号について
(巻之六:羅甸語譯及竒字釋辯)
 
 概ね、本文の構成と一致しており、細かな検証が必要ではありますが、橋本宗吉による翻訳は、テキストに忠実な逐語訳であったと言えそうです。橋本宗吉の『三法方典』は、上述のようにこれまで日本の蘭学史、薬学史において非常に高く評価されてきた文献ですが、底本となったリスによる原著が大学をはじめとした研究機関にほとんど所蔵されていないため、両者の比較作業が容易ではなかったものと思われます(この分野で先駆的な研究をなされてきた宮下三郎氏による研究(「薬学の先駆医者としての橋本宗吉」『科学史研究』第100号、1973年所収)で、原著との比較考証が行われているようですが、残念ながら店主未見)。本書は、橋本宗吉が用いたテキストの改訂版ではありますが、初版と概ね構成を同一としているもので、『三法方典』との比較考証において一定の活用が可能な文献と言えます。そもそも、薬局方(ないしは本書のようなそれに類する)文献は、新刊書が刊行されるたびに古いものは廃棄されることがほとんどでしたので、現存していることが国内はもちろん、ヨーロッパにおいても極めて限られてしまっているものと思われます。その意味でも、刊行当時の良好な状態を保って残されていた本書は大変貴重な資料と言えるでしょう。

「本書(橋本宗吉『三法方典』のこと;引用者註)の例言で宗吉は次のように記している。
「原書ハ西医ウヲウテルハンリスノ著ナリ。我元文二年ニ当テ和蘭ノ一都ロットルダムノ地ニ於テ版行ス」
また、書名については
「此書題シテ三方ト謂モノハ製薬、処方、治療ノ三法ナリ。法典トハ効験古今ニ称著ナルヲ肆ニスルノ謂ナリ。即(チ)原書標名スル所ノ義ヲ訳ス」
とあり、原書は Wouter van Lis の Pharmacopoea Galeno-Chemico-Medica Probatissiminis Auctoribus, ratione & experientia fundata, of Meng-Schei-en Geneeskonstige artsenijwinkel, op de reden en de ondervinding gebouw…, Rotterdam, MDCCXLV II. で宗吉のいう1737年刊ではなく、10年後の1747年刊本である(宮下三郎:科学誌研究第II期第10巻〈No.100〉1971)。」
(中略)
「本書は原書の題名から知れるように、オランダ都市薬局方の一つであるロッテルダム局方(Pharmacopoea Rotterdamensi III 〈Galeno-chymica〉, 1735)の第3版に準拠して編纂された医家用の書物の翻訳である。したがって、本書は江戸期にいう、いわゆる「オランダ局方」(局方またはその註解書の翻訳)の範疇に加えるべきではあるまい。
 本書と原書を対照した宮下氏によれば、構成内容はよく一致し、巻六が部分訳であることを除いて、各章に精粗の差はあるが、だいたいにおいて逐語訳とみなされる。なお原書は、1ページを左右に分け、索引を除いて左にラテン右にオランダ文を記すが、『三法方典』では原書の序文8ページ、ラ語索引17ページを省略する一方、後述するように巻二末に化学器具の図を補足している。」

「清水藤太郎氏は「近代的に意義に於ける薬品製造を最も早く記述した」ものとして本書(橋本宗吉『三法方典』のこと;引用者註)を評価し、「西洋生薬と共に製剤及化学薬品の製造法を詳記した」(『日本薬学史』)とし、赤松金芳氏も「……それには製薬・処方・治療の三法が記載してある。且つ文政2年(1819)に刊行した「西洋医事業成宝函」には、薬方部5巻、製薬部6巻が収められてある」(『明治前日本薬物学史』)として、宗吉の製薬に対する関心の深さにふれており、宮下三郎氏はさらに積極的に「第6巻として錬金術のシンボル90種を載せ、化学用語の和訳を附けている。これらはすべて、医化学の体系的な我国への紹介の、最初のものである。書名のScheikonst(ラテンChemica)を「製薬」と訳したことが典型的に示すように、宗吉は初めての化学用語を創造するため、喀血するほどの苦心(小石序)を払ったのだった」と評価を与えている。」

(橋本宗吉 / 宗田一解説『三法方典』(江戸科学古典叢書26)恒和出版、1980年、解説4-6頁、ならびに7頁)

「さんぽうほうてん 三法方典
 フルネームは蘭科内外三法方典。6巻6冊。橋本宗吉の訳書。享和元年(1802)小石元俊の序があり、第1巻上下2冊は文化2年(1805)、6冊全部が刊行されたのは文化10年(1813)である。巻一は本草部、巻二は薬方部、巻三は製薬部、巻四は治病部、巻五は処方と製薬の二法、巻六はラテン語と錬金術のシンボルから成る。原著者はオランダ南部のベルヘン・オプ・ゾーム Bergen op Zoom の市医であったウオウテル・ハン・リス Wouter van Lis で、原書名は Pharmacopoea Galeno-Chemico Medica Probatissimis Auctoribus, rattione & experientia fundata……Rotterdam, 1747. ロッテルダム薬局方の注解書である。各章に精粗の差はあるが、逐語訳としてさしつかえない。巻二末にある化学器具の図は、宗吉が実験に使用したものによって補足している。宗吉は外科、解剖、内科と続いた西洋医学導入の流れにそって、当時西洋で新しい発展をとげていた薬学を、いち早く翻訳紹介したのである。オランダの都市薬局方の和訳は当時前後していろいろと試みられているが、全訳として刊行されたのは本書のほかにはない。(宮下三郎)

(日蘭学会『洋学史事典』雄松堂出版、1984年、307頁より)

「橋本宗吉がLISの著作を翻訳したことの意義は、次のようにまとめられると思う。
 LISの原著は、当時オランダで行われていた都市薬局方の一つPharmacopoea Roterodamensis galenochymica......(第3版、1735)を補足した私撰の薬局方である。西洋の薬局方の翻訳としては、中川淳庵(1739〜1786)の『和蘭局方』がもっとも早いといわれる。しかし、この『和蘭局方』は未完で、水戸藩の松延玄之によって完成されたというけれども、出版にいたらず残念ながら現在なお発見されていない。その後もオランダの薬局方は、何種か翻訳されているが、いずれも写本のままで伝わっている。LISの薬局方は、江戸時代に刊行された唯一のオランダ薬局方である。
(中略)
 オランダ薬局方の、刊行された唯一の翻訳であり、医化学の体系的な紹介の始まりであるということは、西洋の新しい学問としての薬学の移植の、はじめての試みの1つであるということを意味する。早く、西洋の博物学が本草学と似ていたため、1種の薬物学として、比較的容易に日本人にとり入れられていた。野呂元丈(1693〜1761)のJan JONSTONSやRembertus DODONAEUSの和訳、桂川甫周の『和蘭薬選』(1786成)、大槻玄沢の『六物新誌』(1786年序刊)や『蘭畹摘芳』(1798成、1817刊)は、その例である。いずれも博物学の翻訳ないし紹介であって、医薬分業下に徐々に新しい姿をとり始めていた西方の薬学のそれではない。薬学はPARACELSUS(1493〜1541)以後ともなると、天然薬物に化学的操作を加え、有効成分を利用するという方向に発展を遂げて、ほとんど面目を一新していた。こうした新しい薬学の世界を伝える書物の翻訳刊行は、『三法方典』に始まるのである。広川竜淵の『蘭療薬解』(1805跋、06刊)や千野良岱の『和蘭製剤』(1805序、09刊)が続くけれども、宗吉の紹介にくらべれば、部分的に、しかも粗雑にしかあつかわれていない。
 橋本宗吉は上述のとおり日本の薬学の先駆者の1人、それももっとも重要な1人なのである。このことは従来の書物に述べられていないようなので、特に注意を喚起しておく。(後略)」
(宮下三郎『和蘭医書の研究と書誌』井上書店、1997年、4頁より)

口絵
タイトルページ。初版はロッテルダムで1747年に刊行されているが、本書は1764年にアムステルダムで刊行されている。出版社のデバイスは両版とも同じようである。初版の扉にはなかったベルヘン・オプ・ゾームの医師としての肩書きが明記されている。
初版序文冒頭。テキストは全てラテン語(左)、オランダ語(右)が併記されている。橋本宗吉が用いたのは当然右(オランダ語)のテキスト。
第2版のための序文冒頭
目次冒頭。本書の構成のみならず、西欧薬学の体系を示すものとしてか、『三方法典』ではこの目次も訳出されている。
テキスト冒頭。
第6部の末尾にある記号一覧。『三方法典』の巻六は主にこの部分の訳出を行なっている。
巻末にはインデックスがある。
参考)橋本宗吉の『三法方典』初版本。刊行当初は第3部までの部分訳であった。
参考)『三法方典』扉。
参考)『三法方典』序文末尾と例言冒頭。例言にて原著についての言及が見える。