書籍目録

『改正増補 和英英和語林集成』

ヘボン

『改正増補 和英英和語林集成』

第3版 1886年 東京刊

Hepburn, J(ames). C(urtis).(美國 平文先生(著))

A JAPANESE-ENGLISH AND ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY.

Tokyo(日本東京), Z. P. Maruya & Co., Limited(丸善商社) / Kelly & Walsh, Limited. / Steiger & Co. / Trübner & Co, 1886. <AB2018167>

¥486,000

Third Edition.

4to (14.0 cm x 22.0 cm), Title(Japanese)., pp.[i(Title.(English))-iii], iv-xxxiii, [1], 2-704, 697-704(duplicate), 705-770, [771(Title. of Part Second)-773], 774-962, 1 leaf (Colophon), Contemporary green cloth.

Information

「ヘボン式ローマ字」が確立された『和英語林集成』の完成版

 「この本の場合、三版は、初版・再版に比して、勝るとも劣らない存在意義を持っている。『和英語林集成』として、いわば完成した形が三版であるが、それだけでなく、ここには、幕末から明治初年にかけて、新しい時代に即応して、一般の国語語彙として定着をみた多くの語彙が新たに収められている。三版を初版・再版とともに利用することによって、この本の資料的価値は、いっそう高められるということができる。」
(松村明『和英語林集成』(講談社学術文庫での縮尺復刻版、1980年)解説より)

本書は、幕末から明治初期に刊行された和英英和辞書として、最も有名かつ、最も大きな影響を後世に与えた書物として非常に高く評価されている文献です。来日した外国人が日本語を学習するための辞書として編纂された本書は、国内外に多くの読者を得ただけでなく、後続の辞書編纂の様式に多大な影響を及ぼし、また多くの類似本、海賊版をも生み出しました。著者のヘボン(James Curtis Hepburn, 1815 - 1911)は、アメリカ長老教会の宣教師として1859年に来日し、伝道活動、聖書翻訳に尽力する一方で、本書の編纂、改訂に勤しみ、また医者、教育者としても活躍し、明治学院の創立者としてもその名を残しています。特に本書との関係で言えば、「ヘボン式ローマ字」のヘボンとしても大変よく知られているでしょう。本書は、この幕末明治初期を代表する和英英和辞書である『和英語林集成』の著者による最終改訂版となった第3版で、以前の版と比較して語彙が大幅に増補、改訂されただけでなく、この第3版こそが、初めて今なお用いられている「ヘボン式ローマ字」が確立されたという最も重要な版にあたるものです。

 『和英語林集成』の初版から第3版までの異同や変遷に関する研究はすでに多くなされており、上掲書の解説においてもまとめられていますので、それに基づいて主要な第3版の特徴を整理しますと次のようになります。まず、タイトルの変更が最も最初に目のつく変更点と言えます。初版から第3版までのタイトルの変遷を整理しますと、

初版
『和英語林集成』
A Japanese and English Dictionary; with an English and Japanese Index.

第2版
『和英語林集成』
A Japanese-English and English-Japanese Dictionary.

第3版
『改正増補 和英英和語林集成』
A Japanese-English and English-Japanese Dictionary.

となっていて、初版から第2版にかけて英文タイトルの変更(後半の英和辞書に該当する部分を副題ではなく主題に組み込む)があり、第2版から第3版にかけて邦文タイトルが英文タイトルの変更を反映したものに変更されていることがわかります。

 また、出版元や出版地については、第2版までは上海のAmerican Presbyterian Mission Press(美華書院、以下APMP)で印刷され、横浜で発売されていたのものが、第3班からは、東京の丸善商社へと変更されていて、この第3版以降の版権が丸善商社へと移管されたことがわかります。2015年に木村一氏が著した『和英語林集成の研究』(明治書院)によりますと、予約部数は約18,000部であったとされています。

 内容上における大きな変更点については、ヘボン自身が序文で概要を述べており、松村氏による前掲書の整理によると、次のようにまとめられます。

1)本書の中心である和英の部の基本的な訂正、増補、改訂
2)再版(1872年)以降の日本語の急速な変化に対応するために漢語を中心とした新語の収録
3)古事記、万葉集などの古典を読むための古語の追加
4)羅馬(ローマ)字会によるローマ字綴りの採用(ヘボン式ローマ字の確立)
5)英和の部の基本的な訂正、増補、改訂
6)言語学者、翻訳者である高橋五郎による協力

 この中でも特に重要なのが、4)のヘボン式ローマ字の確立に関することで、具体的には「エをYEからEにしたこと、ズ(ヅ)をDZUからZUにしたこと、拗音でキャ、キュ、キョウの類をKIYA, KIYO, KIUからKYA, KYO, KYUにしたことと、クヮの類をKUWAからKWAにしたことなど」(松村前掲書解説)が挙げられ、現在の日本語のローマ字表記のあり方が、本書において確定されることになりました。

 また、2)の再版以降の明治初期の日本語の急速な変化への対応という点も、現在、日常語として用いられている様々な語がこの時期に登場していることを示すものとして大変興味深いものです。松村氏の前掲書解説では、その例として、Jの項目から、JIBUTSU(事物)、JICHI(自治)、JIDAN(示談)、JIKAN(時間)、JINSEI(人生)、JISHO(辞書)、女子(JOSHI)、などを挙げていて、「今日では日常語になっていると思われるこれらの語も、三版において始めて見出し語に出てくるわけである。そして、こういう点に、『和英語林集成』においては、初版・再版に比べて、三版の特色ある一面がはっきり出ている」とされています。また、Pの項目からは擬態語、擬声語の例を取り上げて、PICHA-PICHA(ピチヤピチヤ)、PIKA-PIKA(ピカピカ)、POCHA-POCHA(ポチヤポチヤ)など、現在では日常的に用いられているこれらの表現が第3版において、初めて登場することを指摘されていて、こうした言葉つかいが、第2版が刊行された1872年から1886年の間に広まっていったことがわかります。

「『和英語林集成』は、初版から再版へ、再版から三版へと、それぞれ大きく改訂・増補されているが、そこには辞書としての整備がいろいろとなされるとともに、幕末から明治前期へかけての新しい語彙やその時代としての日常語・一般語などがかなり豊富に取り入れられているのである。そういう点から見れば、『和英語林集成』は、三版においてその特色が最もよく発揮されるようになっているということができる。「哲學」「數學」などの語も三版においてはじめて出てくるし、「書籍」は再版では「ジョジャク」としか出ていないのに対し、三版では「ショジャク」とともに「ショセキ」の形でも見出し語が建てられている。「圖書」を「トショ」の形で見出し語に立てるのも三版において始めて見られることなのである。」
(松村前掲書解説より)

 こうした明治初期の日本語の急速な変化については、和英の部だけでなく、英和の部でも見られるようで、「POST, POST-OFFICEは三版には、それぞれ「郵便」「郵便局」の訳語が出ているが、再版では「飛脚」「飛脚屋」と出てくるだけである。BANKは三版では「銀行」の訳語が出ているが、再版では「両替」などの訳語があるだけで、「銀行」は出ていない。TRAINは三版には「蒸気車、列車」の訳語が見られるが、再版にはこのような訳語が出ていない。このほか、PHILOSOPHYに「哲学」、PHYSICSに「物理学」、BOOK-KEEPINGに「簿記」、STATISTICSに「統計」の訳語が出てくるのは、いずれも三版からで、再版にはまだこのような語は出て来ない」とされています。こうしたことから、本書は、単なる新しい語の増補や修正といった点にとどまらず、明治初期の日本社会が西洋の文化、文明を急速に取り入れていく中で、現代の日常社会やそれに対する視点の基礎をなすような言語がこの時期に誕生したことを示す、大変興味深い版であることが分かります。

 この第3版は、ヘボン自身による『和英語林集成』の最終改訂版となりましたが、以降も海賊版を含めて版を重ねて(実質的には増刷)続けていきました。そのため、新しい(場合によってはより安価な)版が登場することによって、旧版は省みられなくなり、あるいは廃棄されることが常であることから、現存する第3版は決して多くなく、古書市場においても出現することが滅多にありません。明治初期の日本語の変化だけでなく、日本社会そのものの大きな変化を映し出しているこの第3版は、その内容と希少性の両面において大変貴重な資料ということができるでしょう。


  • 刊行当時のものと思われるクロス装丁。
  • 見返しには当時の所蔵者(あるいはその関係者)の名刺が挟み込まれている。裏表紙左上には本書を購入した書店(教文館)のラベルがある。
  • 和文タイトル。この第3版からタイトルが、それまでの『和英語林集成』から『和英英和語林集成』と改められた。版元も丸善商社に移管され、以降はほとんど改定されないまま版を重ねていった。
  • 英文タイトル。
  • かな一覧表。
  • 「ヘボン式ローマ字」は、この第3版において確立されることになった。
「人力車」など、明治日本を象徴する語が加わっている。
上掲とほぼ同じ項目を扱った初版の該当頁。両者を比較すると、語彙の増加、変更が著しいことがよくわかる。
英和の部のタイトルページ。こちらも以前の版に比べて大幅に増補改訂がなされている。
初版(左)と比べると、同じ四つ折りでも大きさがかなり異なることがよくわかる。