書籍目録

『地理学教程』

プリンセン

『地理学教程』

第3版 1826年 アムステルダム刊

Prinsen, P(ieter). J(ohannes).

GEOGRAPHISCHE OEFENINGEN; OF LEERBOEK DER AARDRIJKSKUNDE, MET XX GENOMMERDE KAARTEN, NAAR DE NIEUWST ONTDEKKINGEN EN VOLGENS DE TEGENWOORDIGE VERDEELING DER LANDEN, OPGEMAAKT UIT DE BESTE SCHRIFTEN EN NIEUWST LANDKAARTEN.

Amsterdam, JOHANNES VAN DER HEY EN ZOON, 1826. <AB201732>

Sold

Third edition

8vo, Title page, 1 leaf (preface and table of contents), pp. [1]2-: folding plates and maps colored by hand [, Modern vellum.

Information

幕末期の日本における世界地理についての情報源となった教科書

 本書は、幕末末の1854(嘉永4)年に、蘭学者で杉田玄白の曽孫にあたる杉田玄瑞(1818−1889)によって『地学正宗』の題で翻訳され、幕末日本の世界地理観を形成したことで知られる書物です。

 著者プリンセン(Pieter Johannes Prinsen, 1777-1854)は、オランダの教育者で師範学校校長も務めており、本書を含めて多くの教科書を書いています。本書はオランダの中学生向けに書かれた地理学書で、1816年に初版が刊行されています。すぐに人気を博したようで翌年1817年に第2版が刊行されており、これが『地学正宗』の底本となっています。本書は、1826年に第3版として出されたもので、実質的には第2版とほぼ変わっていません。

 江戸時代の日本で読まれたオランダの地理学書としては、「ゼオガラヒー(GEOGRAPHIE)」の名で当時呼ばれたヒュブネル(Johann Huebner, 1688-1731)の『一般地理学(Algemeene Geographie. 1769)』が有名ですが、本書が読まれた時期はヒュブネルの著作よりもかなり後の時代になり、対外政策の見直しが必至となってきていた幕末における世界観に直接的に及ぼした影響力は、本書の方が強かったものと思われます。また、ヒュブネルの著作が全6巻からなる大部の書物であったのに対して、本書は1冊本でコンパクトに地理学全般を学べるという違いがあり、切迫した状況においては本書の方が好ましかったのかもしれません。

 テキストは、全42章で構成されており、各章で一つの地域あるいは国について学べるような作りになっています。各章の末尾には、学習度を確認するための設問が掲載されていて、これは18世紀後半にヨーロッパで書かれた多くの地理学教科書に共通しているスタイルです。テキストの大半を占めているのはヨーロッパ諸国で、全42章のうち実に32章まで(トルコ含む)がヨーロッパにあてられています。33章(第31課)から37章(第35課)までがアジア(中東を含む)地域で、日本については第37章(第35課)で独立して扱われています。第38,9章がアフリカ、第40,41章がアメリカ、第42章がオーストラリアとなっています。
 
 また、テキストに合わせる形で、折り込み地図が本書には含まれています。東西両半球と南北両半球を描いた世界地図をはじめとして、ヨーロッパ各国地図、アジア、アフリカ、アメリカ、オーストラリアの地図が収録されており、テキスト内に出てきた都市名に振られた番号を地図上でも確認することができるよう工夫されています。また、これらの地図には美しい彩色が施されてもいます。

 日本については、豊かであるがほとんど知られていない国で、日本海上の多くの島々からなり、8625四方マイルの範囲にあって人口は1500万人以上と紹介されています。都市の紹介としては、江戸(Jeddo)、京都(Meaco、都)、長崎(Nangasaki)が取り上げられています。また、日本と関連してオランダ領インドの東南アジア諸国もごく簡単にですが、同じ章で扱われています。

「『プリンセン地理学教科書付図共』は1817年版を原本として、杉田玄瑞 地学正宗 7巻7冊2折 1851年が公刊された。この本は今日から見れば学術書というよりも極めて平凡な地理書であるが近代的な装いの下に出現した当時和蘭でも最もよく行われた刊本でそれが訳されて本邦に普及した点に意義がある。当時の邦人の世界観を変えさせた程の大きな影響に注意しなくてはならない。」
(池田哲郎「江戸時代のオランダ系「地理」」より)

タイトルページ
折り込みの世界地図
第17章 アジアにおける日本の部冒頭
アジア図
装丁は後年(かなり新しい)のヴェラム装