書籍目録

『パリの学者ド・ラ・アルプ氏による旅行記集成』第18巻(日本)から第21巻(全42巻中)

ド・ラ・アルプ / フォルマレオーニ

『パリの学者ド・ラ・アルプ氏による旅行記集成』第18巻(日本)から第21巻(全42巻中)

全4冊 イタリア語訳版 1783年 ヴェネツィア刊

de La Harpe, Jean-François de La. / Formaleoni, Vincenzo.

COMPENDIO DELLA STORIA GENERALE DE' VIAGGI OPERA DI M. DE LA HARPE ACCADEMICO PARIGINO. Adorna di Carte Geografiche, e Figure Arricchita d' Annotazioni. TOMO DECIMOTTAVO-VIGESIMPOPRIMO.

Venice, Vincenzio Formaleoni, 1783. <AB2018149>

Sold

4 vols. (of 42 vols.), Italian edition.

8vo (12.0 cm x 18.5 cm), Vol.18: pp.[1(Title.), 2], 3-246, 24(i.e.247), 248-259, Folded maps: [2], Plate: [1], Vol.19:pp.[1(Title.), 2], 3-267, Folded map: [1], Folded plate: [1], Vol.20: pp.[1(Title.), 2], 3-224, Folded map: [1], pp.[1-2], 3-60, Folded plates: [2], Vol.21: pp.[1(Title.), 2], 3-296, Plate: [2], Folded plates: [1]. Contemporary parchment.

Information

18世紀旅行記叢書ブームの中でイタリア語で紹介された日本と日本地図

 本書は、ヨーロッパ諸国による航海記、旅行記をフランス人のド・ラ・アルプ(Jean-François de La Harpe, 1739 0 1803)が独自に編纂した旅行記叢書をイタリア語に翻訳したもので、『パリの学者アルプ氏による旅行記集成』と題して(補遺を含めて)全42巻で刊行されたもののうち、日本を含む第18巻から第21巻にあたるものです。

 ド・ラ・アルプの旅行記は、『旅行記の歴史抄録(Abrége de l'historie générale des voyages)』という表題で1780年から30巻以上からなる大部の叢書としてパリで刊行されています。本書は、これをイタリア語に翻訳したもので、フランス語原著刊行の翌年1781年には早くも刊行が開始されています。イタリア語版を企画したのは、歴史学や地理学に豊富な知見を有していた出版人フォルマレオーニ(Vincenzo Formaleoni, 1752 - 1797)で、ド・ラ・アルプの原著を忠実に翻訳したつつ、図版や地図については原著にないものも組み込んだようです。そもそも、ド・ラ・アルプの旅行記は、彼自身のオリジナルな作品というよりも、同じフランス人のプレヴォー(Antoine François Prévost d'Exiles, or Abbe Prévost, 1697 - 1763)による18世紀を代表する旅行記(Histoire générale des voyages,...Paris, 1746-)を元にしたものです。プレヴォーの旅行記は様々な版が数多く刊行されただけでなく、多言語に翻訳された18世紀の旅行記集の大ベストセラーとなりました。ですが、このプレヴォーの旅行記もまた、完全に彼のオリジナルな発案によるものというわけではなく、イギリス人グリーン(John Green)による『新旅行記集成(A new general collection of voyages and travels;...1745-47.)』を底本として、そこにプレヴォが新たな内容を付け加えたものです。このように、18世紀には数多くの旅行記集成が様々な企画、言語で刊行されており、それらは相互に関連し合い、影響、剽窃の関係を含みながらヨーロッパ諸国で広く読まれることになりました。

 ここでご紹介しているものは、こうした旅行記叢書ブームに沸く18世紀のヨーロッパにあって、イタリア語に翻訳された比較的珍しいものと言えるもので、特に第18巻の約7割ほどの分量を割いて、日本を扱っている点が注目されます。日本を扱っている箇所は全3章の構成となっていて、基本的にはケンペル(Engelbert Kämpger, 1651 - 1716)を参照元としているようです。第1章(3頁から58頁まで)では、ケンペルによる江戸参府の記録を扱い、第2章(58頁から147頁まで)では、日本の統治機構、衣類、宗教、文化、習慣、地理、歴史などを、第3章(147頁から185頁)は、農産物をはじめとした各種の自然資源、産出物を紹介しています。これらのテキストは、ド・ラ・アルプによるフランス語テキスト(第9巻所収)を比較的忠実に翻訳したものと思われ、(ケンペルの作品が翻訳されることがなかった)イタリア語圏の読者に日本についての情報をコンパクトにまとめて紹介する役割を果たしています。

 また、第18巻冒頭には、日本地図が収録されており、フランスの地理学者、地図製作者であったベラン(Jacques-Nicolas Bellin, 1703 - 1772)がプレヴォの旅行記修正のために1752年に作成したものが元になっています。このべランによる日本地図は、ケンペルの著作に収録された日本図をベースにしており、この時代の様々な著作中に繰り返し登場しています。様々な書籍に転載されていく過程で、プレヴォは細かな修正を施していることが知られており、例えば本図の本州北端の輪郭は、当初のプレヴォのそれよりもより正確なものとなっています(当初のプレヴォの図には本州北端と北海道との間に、実在しない「松前島」が描かれていました)。本書に収録されたものは、プレヴォの日本図が掲載された最後期の作例と見ることができます。

 第18巻の日本についての章より後の部分、並びに残る第19巻から第21巻までは、コロンブスによるアメリカ「発見」と、メキシコについての記述が中心となっています。また、第20巻末にはコロンブス時代のヴェネチアの航海術についての論考が掲載されており、店主はこれがド・ラ・アルプの原著にあったものかどうかについての確認はできておりませんが、ヴェネツィアで刊行された本書だけに興味深い記事と思われます。

 本書のように旅行記中に登場している日本情報というものは、単独の日本だけを扱った著作に比べて見落とされがちですが、17世紀に始まり特に18世紀以降には爆発的な広がりを見せた旅行記叢書ブームにおいて、様々な形で日本情報がヨーロッパやアメリカに広がっていったということは、決して看過し得ないことであると思われます。その影響力という点で言えば、単独の日本だけを扱った著作は、当然日本に強い関心をあらかじめ有している読者層に向けて読まれたことが推察されますが、旅行記中の一部として登場する日本情報は、あらかじめ日本に大きな関心を有していない、より広範囲の読者に、日本情報を伝えることに貢献したものと思われます。その意味において、一般の当時のヨーロッパやアメリカの人々に日本についての情報をもたらしたという点については、本書のような旅行記修正の中に登場する日本についての記述、あるいは地図というものは、大変重要な資料とみなすことができるでしょう。

 

第18巻タイトルページ。本書の大部分が日本についての記述に当てられている。
第18巻に収録されている日本地図。フランスの地理学者、地図製作者であったベラン(Jacques-Nicolas Bellin, 1703 - 1772)がプレヴォの旅行記修正のために1752年に作成した日本図がベースとなっている。
日本記事冒頭部分。ケンペルによる江戸参府の記録を主に扱っている。
  • 日本記事第2章冒頭部分。日本の統治機構、衣類、宗教、文化、習慣、地理、歴史などを紹介している。
  • 日本記事第3章冒頭部分。農産物をはじめとした各種の自然資源、産出物を紹介している。
  • 日本記事に続いては、コロンブスによるアメリカ「発見」について記されている。
  • 挿絵の一例。「インド」に上陸するコロンブスを象徴的に描いている。
  • 第20巻末尾には補遺として、コロンブス時代のヴェネツィアの航海技術についての論考が掲載されている。
  • 同記事に収録されている折り込み図版。
  • 刊行当時のものと思われる装丁で、一部に痛み、ヤケなどが見られるが全体として状態は良好と言える。
  • 小口には着色が施されている。