書籍目録

『1940年3−8月、日本大国際博覧会 神武天皇即位紀元2600年記念』

(幻の東京・横浜万博)日本国際博覧会委員会

『1940年3−8月、日本大国際博覧会 神武天皇即位紀元2600年記念』

1937年 東京刊

Association of Japan International Exposition. (The most of Photos by Board of Tourist Industry, Japanese Government Railways / The pictures of the cover and its inside drawn by Takeshi Morita)

GRAND INTERNATIONAL EXPOSITION OF JAPAN MARCH-AUGUST 1940 in Celebration of the 2600th year of the Accession of the first Emperor Jimmu to the Throne. THE PURPORT, AIMS and OUTLINE of the EXPOSITION sponsored by the ASSOCIATION OF JAPAN INTERNATIONAL EXPO

Tokyo, Association of Japan International Exposition Hibiya, Tokyo, Japan. / Printed by the Toppan Insatsu Kabushiki Kaisha, 1937 (Februrary 11). <AB201731>

¥135,000

29.7 cm x 21.7 cm, unpaged= pp. [42]: Map [1], Original illustrated paper wrappers.

Information

1940年に開催予定だった「幻の東京・横浜万博」、海外向け紹介パンフレット

 本資料は、1940年に開催されるはずだった「幻の東京・横浜万博」を海外に広く周知するために作成された英文のパンフレットです。戦後開催された東京オリンピック、大阪万博は、戦後日本の復興を象徴する催しとして広く記憶されていますが、戦前1940年に夏季冬季オリンピック、並びに万博を同時に開催するという壮大な計画が立てられていたことはあまり知られていません。明治以降、列強諸国と経済的、政治的、文化的にも伍する存在となったという日本の自負を込め、国際的大イベントとしてのオリンピック、万博を日本で開催するという、国のアイディンティをかけた悲願の取り組みでもあったこの計画は、準備が相当進められていたにも関わらず、実現することなく頓挫したことから「幻の万博」「幻のオリンピック」とされています。

 1940年は、神武天皇即位2600年という当時の日本にとって記念すべき年とされていたこともあって、万博は、「紀元2600年記念日本万国博覧会 (The International Exposition of Japan)」として、当初膨大な予算を投じて計画されていました。しかしながら、政治状況の悪化に加えて当時の計画の爪の杜撰さも禍して、計画は二転三転し最終的に「延期」という悲劇的な結末を迎えることになります。同時に計画されていたオリンピックが「返上」というかたちで「中止」とされたのに対して、万博はあくまで「延期」とされていたことから、戦後の大阪万博、そして21世紀の愛知万博では、「東京・横浜万博」の前売券を有効とする異例措置がとられ、実際に少なくない当時の前売券が使われたと言いいます。

 最終的には悲劇的な結末で終結した「東京・横浜万博」ですが、その計画過程において生み出されたものは数多く、特に建築、広告、海外広報の部門においては、当時第一線のメンバーや機関が尽力して準備を進めていました。ここでご案内するパンフレットもそうしたものの一つで、海外に向けて万博を発信するために作成された、非常に凝った作りの英文冊子です。収録されている会場計画案が1937年7月まで採用されていた初期計画案であることからも、1937年前半に作成されたことがわかります。表紙、並びに見開きでは浮世絵版画の手法を応用したデザインとなっており、金銀箔をふんだんに用いた豪華な造りとなっています。また冊子の綴じ紐も青と黄色の二色を用いて和綴じを模しており、しかもその色鮮やかな綴じ紐が、冊子真ん中の東京会場計画図のページにちょうど見えるようよう工夫されているあたりなど、「ものづくり」としても細心の注意を払って作成されたことが伺えます。奥付によると、表紙部分はHand-printedとされていることから、相当の技術とコストを作成されたものでしょう。

 冊子の内容は、1940年を迎える日本の自らの現状認識を示すもので、天皇を中心とした神聖かつ権威ある国家としての側面を誇示する一方で、当時完成したばかりの最新の原題建築物であった国会議事堂を写真で紹介し、日本は政治的、経済的にも成熟した、世界各国を招致する万博開催にふさわしい「現代国家」であることを強調しています。その文脈に続いて、今回の万博の意義が説明され、ようやく具体的な計画内容の紹介が続きます。この万博は「幻の東京万博」とされることもありますが、計画当初から一貫して横浜会場が設けられており、この冊子でも両会場の位置関係が地図で紹介されています。この冊子が伝える計画案は、計画が小規模に変更される前の当初計画されていた大規模計画案であるため、両会場の本来計画案がどういうものであったのかが視覚的にもよくわかります。万博計画の説明に続いては、日本各地の自然、文化、産業的な見所を写真で紹介するものになっており、観光地として魅力溢れる場所としての日本を海外に向けて広くアピールしています。採用されている写真の多くは記名入りで、広告、広報としての写真の意義を十分に理解した上で、当時第一級の写真家の作品を採用したことが伺えます。その意味では、当時の美術、広告、写真、印刷、製本といった美術工芸諸分野の総力を結集して作成された冊子と言えるものです。

 万博やオリンピックといった、権威ある国際イベントを自国広報、観光誘致に活用することは当時から積極的に行われていましたが、その機転となったのは、1936年に開催されたベルリン・オリンピックと思われます。「ナチの祭典」とも称されたこのオリンピックでは、それまでにない規模、範囲にわたって多くの広報物が作成され、パンフレットや雑誌、ポスター、音声資料など夥しい量のメディアによってドイツ帝国を世界各地にアピールしていました。そこでは、世界の最先端としてのドイツを強調しながら、同時にヨーロッパの起源、神聖ローマ帝国を受け継ぐ権威ある国家としてのドイツ帝国像が生み出されました。このパンフレットも、「紀元2600年」を大々的に強調するなど、戦前日本の政治体制の特異性を示すものとも言えますが、当時は各国が競って自らのアイディンティの権威性を求めた時代でもあり、そうした潮流において、日本でも同様のものを作成しようとした試みとも言えます。また、「延期」となったこの万博が開催される予定であった1940年には、サンフランシスコ、そしてニューヨークで大規模な万博が開催されており、そこにおいても同様に夥しい数の資料が作成されていますので、直後に戦火を交えることになる三国が国際イベントに向けてることから、当時の国家広報と観光についての比較研究を行う際の一次資料としても読み解くことができるでしょう。

見開き
冒頭部分
開催予定地とされた東京、横浜会場地図
東京会場予定図。1937年7月まで計画されていた初期会場案。この月末に計画案が変更され会場規模は縮小する。 中心部の青と黄色は、閉じ紐の色。
横浜会場予定図。
文化・芸術・スポーツにおいても日本が魅力ある国であることを紹介。
裏表紙