書籍目録

『明治日本の詩と戦争(アジアの賢人と詩人)』

クーシュー

『明治日本の詩と戦争(アジアの賢人と詩人)』

(1916年?) パリ刊

Couchoud, Paul-Louis.

SAGES ET POÉTES D'ASIE.

Paris, Calmann-Lévy, (1916?). <AB2018144>

¥33,000

8vo (11.0 cm x 17.5 cm), Half Title., Title., 1 leaf(dedication), pp.[1-3], 4-299, 1 leaf(table), Contemporary red cloth.

Information

フランスへ「俳諧」を本格的に紹介した哲学者クーシューの代表作

「本書は、ポール=ルイ・クーシューによる、アジア、とりわけ日本滞在の体験から得られた研究と随想の記録『アジアの賢人と詩人』(Paul-Louis Couchoud: Sages et Poétes d'Asie, Paris, Calmann-Lévy, 1ére édition 1916; 4e édition, préface par Anatole France, 1923)を全訳したものである。
 フランスの哲学者で、のちに精神科医ともなったクーシューは、アルベール・カーン基金の世界一周給費生として1903年、日露戦争勃発直前に来日した。彼は、1902年に、師アンリ・ベルクソンへの献辞を冠した『ブノワ・ド・スピノザ』と題する優れた著作を若干23歳にして世に送っている。(中略)
 日本滞在を契機としたクーシューの東洋への関心が、フランスやヨーロッパの読者を対象として実際に著作になって形を成したのは、クーシューが帰国後アナトール・フランスやフェルナン・グレックなどの作家たちと出会い知己となったことによる。この書の主要な部分を占める第2章「日本の叙情的エピグラム」は、まず、当時の総合文芸誌の一つである『レ・レットル』Les Lettres の1906年4月号より8月号(5・6月号は合併号)までの4回にわたって掲載され、さらに第1章にあたる「日本の文明」は、同誌1907年9月号に掲載された。つまり、本書の成立は、クーシューから、ベルクソン、カーン、グレック、アナトール・フランスへと結ばれる軌跡によって跡づけられる。
 本書は4章からなるが、内容から見ると、二つのテーマに大別される。一つは日本の詩、特に俳句に関する論であり、もう一つは日本についての人間精神の随想である。年譜を参照していただくとおわかりにのように、クーシューの関心は常にこの「詩」と「随想・思想」にあり、一見多岐にわたる著作も、結局この二つに収斂していく。この両面から本書を考えると、はからずも本書は、日本の詩という極めて繊細で洗練された日本人の資質と、日露戦争かの挙国一致の極端な行動と統制という、例のベネディクトの『菊と刀』によって代表される日本の両極端な特性を描き出している。しかしフランス知識人によって書かれたこの書は、当然のちに解説するように『菊と刀』とは視点も目的もまったく異なる。(後略)」

(ポール=ルイ・クーシュー著、金子美都子、柴田依子訳『明治日本の詩と戦争:アジアの賢人と詩人』1999年、みすず書房、訳者解説281,282頁より)

刊行当時に施されたと思われるクロス装丁
目次。上掲訳書に従うと、序章、第1章日本の情趣、第2章日本の叙情的エピグラム、第3章戦争に向かう日本、第4章孔子、となる。
上掲は千代女の俳句をクーシューがフランス語に訳したもの。「朝顔に鶴瓶とられてもらひ水」「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」「蜻蛉つりけふはどこまで行ったやら」