書籍目録

『日本語文法初歩』

馬場辰猪 / ディオシー(序文)

『日本語文法初歩』

第3版(最終版) 1904年 ロンドン刊

Baba, Ttui / Diósy, Arthur / Ukita, G.

AN ELEMENTARY GRAMMAR OF THE JAPANESE LANGUAGE WITH Easy Progressive Exercises.

London, Kegan Paul, Trench, Trübner & CO. LTD, 1904. <AB2018137>

Reserved

Third (last) ed.

8vo (12.0 cm x 18.3 cm), pp.[i(Half Title.)-iii(Title.)-vii], viii-xi, [1], 2-120, Original publishers cloth.

Information

森有礼と「国語国字問題」論争を呼んだ書物のロンドン日本協会設立者ディオシーの序文を新たに寄せた最終改訂版

 本書は、土佐出身で幕末にフルベッキから英語を学んだ馬場辰猪が英語で記した日本語文法書の最終第3版です。本書の初版は、1873年に出版されており、これは日本語表記のあり方についてのいわゆる「国語国字問題」を巡って、森有礼の主張に対して反論を加える強い意図をもって刊行されました。森は日本語の表記が極めて煩雑で不備が多いことを主張し、国語そのものを英語化してしまうことを提唱していましたが、これに対して馬場は猛烈に反対し、激しい論争を巻き起こしました。

 第3版である本書は、初版刊行時のような「国語国字問題」はすでに下火になっており、ロンドン日本協会を創設し、この時期の日英関係の進展に尽力したアーサー・ディオシー(Arthur Diósu, 1856 - 1923)の新たな序文が寄せられていることが挙げられていることからわかるように、日英同盟締結を直前に控えた時期のイギリスにおける日本の再認識を促す機運を背景に刊行されたものです。ディオシーは当時の日英交流における最重要人物であると同時に、ロンドンの日本協会設立者であったことから、日英双方の政府、民間関係者にとって極めて強い影響力を持っていました。馬場がすでに亡くなってから久しい1904年に、あえて本書の第3版をディオシーの序文を付して観光するということは、それ自体が固有の目的を持っていることが推察され、それは当然初版刊行時とは全く異なるものであるということはいうまでもありません。

 また、店主はこの第3版の改訂を手がけたというG.Ukitaという人物についてまだ調べがついていませんが、彼の経歴や本書と関係者との関わりについて調べるということは、日本語研究史だけでなく、政治経済的な背景も交えた日英交流の歴史を調べる上で大変興味深いテーマになるものと思われます。

「ディオシーにはこのように日本からの留学生に多くの知己がいたが、彼が馬場辰猪と知合ったのは1876年のことである。ロンドンの劇場で隣の席に日本人が座っているのを発見した彼が、生まれて初めて日本語でその青年に話しかけると、その青年は非常に驚いて、何故そんなに日本語がうまく喋れるのかと問いかけた。彼がそれに答えて 「馬場という人の著した 『日本語文典』で習ったお陰です 」 と言うと、相手は一瞬息を呑んで 「私がその馬場です」 と答えた。馬場の 『日本語文典』(An Elementary Grammer of the Japanese Language)は彼の第一回の滞英当時、1873年秋にロンドンで出版したものである。 彼がこの本を書いた動機は森有礼がこの年の初頭にニューヨークで出版した
『日本の教育』(Education in Japan)の序文の中の 「英語採用論」に対する反駁であると言われている。馬場は1888年にフィラデルフィアで亡くなったが, 1904年に出版されたこの本の改訂第三版にディオシーは序文を寄せている。若き日の東郷元帥にディオシーが会ったのも、馬場の紹介によるものらしい。馬場の二回目の滞英は1875年から78年までなので、ディオシーが馬場に会ったのは、二度目に渡英した翌年である。
ディオシーは日本協会の発足以来、名誉幹事、次いで副理事長となり、1901年から同4年まで理事長を勤めた。協会の設立後間もない1894年10月に、駐英公使青木周蔵の申請に基づき勲三等旭日章を授与されている。」
(長岡祥三「日本協会の創立者アーサー・ディオシー」『英学史研究』第29号、1996年、4,5頁より)

タイトルページ。本書初版は、日本語表記のあり方についてのいわゆる「国語国字問題」を巡って、森有礼と激しい論争を巻き起こした。
本書は著者の馬場辰猪没後の1904年に出された最終改訂版で、英国日本公使館一等書記官とされるG.Ukitaによる改訂とあるが、この人物について現時点では店主は特定できておらず。
第2版は馬場の亡くなる直前1888年に刊行されているが、その序文も掲載されている。ここで挙げられているmy countrymenとは、森有礼のことである。
この版の最大の特徴としては、ロンドン日本協会を創設し、この時期の日英関係の進展に尽力したアーサー・ディオシーの新たな序文が寄せられていることが挙げられる。
日英同盟締結を直前に控えた時期に刊行された第3版は、初版とはかなり異なる文脈で刊行されたことが伺えて興味深い。
本文冒頭箇所。
後半は練習問題とされているが、進むにつれて次第に内容が高度化していく構成となっている。