書籍目録

『バンディット・プリンス』

早川雪洲

『バンディット・プリンス』

初版 1926年 ニューヨーク刊

Hayakawa, Sessue.

THE BANDIT PRINCE.

New York, The Macaulay Company, 1926. <AB2018135>

Sold

First edition.

12.5 cm x 18.6 cm, pp.[1(Half Title), 2], 1 leaf (Front.), pp.[3(Title)-9], 10-312.4 leaves(blank), Original pictorial cloth boards.

Information

日本人最初のハリウッドスター早川雪洲によるオリジナル小説

「早川雪洲は、日本初の国際映画スターである。明治時代の終わり、21歳でアメリカへ渡った無名の雪舟は、草創期のハリウッド映画界に飛び込んだ。デビューした翌年の1915年、出演した映画「チート」が公開されると、雪舟は異国のセクシーアイドル、東洋の貴公子として、一気に世界のトップスターに躍り出る。
 その頃、アメリカ西海岸は日本人排斥運動がさかんだったから、「チート」のなかで、黄色人種の雪舟が白人女性の肩に焼きごてを当てる、というショッキングな一場面がアメリカの日本人社会で大問題になった。日本人はそんな残酷なことはしない、人種差別に拍車をかける映画だ、と非難の的になり、雪舟撲殺団まで結成された。「チート」は輸入禁止になったため、日本にいる日本人は映画を見ていないにもかかわらず、雪舟を排日俳優、国賊と名指しした。それから、ことあるごとに、またあの雪舟か、と一生、国賊の刻印がついてまわった。
 しかし、アメリカをはじめヨーロッパでもアフリカ大陸でも人気沸騰し、雪舟の映画はつぎつぎに封切られた。雪舟は半世紀以上、世界で活躍し続け、71歳時に出演した「戦場にかける橋」ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。それほどの人が、日本ではなぜ、国賊と言われ続けたのだろうか。
 国際映画俳優として有名な人だから調べ尽くされていると思っていたが、あまり調べられていない。自伝は武勇伝と女にもてた話で満ち、雪舟についての本や、記事は、わたしの疑問や好奇心を満足させてくれるまではいかなかった。
 アメリカでは大学教授が雪舟研究をしている。フランスでは、雪舟の演技は俳優の原点と評価されているくらいだから研究されているだろう。わたしは日本にいて、どこまでも雪舟を追いかけ、後についていこう、と決心した。」
(中川織江『セッシュウ!世界を魅了した日本人スター・早川雪洲』講談社、2012年「はじめに」より)

「鶴子に捧げた小説『バンディット・プリンス』
 ようやく、書き進めてきた小説『バンディット・プリンス』がマコーレ社から出版された。博打ですってんてんになった雪舟は、詫び状のように、本の扉に「To My Wife(妻に捧げる)」と書いた。
 出版されると大車輪で『バンディット・プリンス』の一部を極色、「馬賊の王子」として舞台にのせる。抜き出したのは「泥棒が金持ちから奪った金品を貧しい人に分け与える」部分で、早い話、「鼠小僧次郎吉」である。
 この時、雪舟は40歳の男盛り、大いに稼がなくてはならない。
 鶴子(雪舟の妻で日本人初のハリウッド女優青木鶴子のことは:引用者註)自分に捧げられた本を喜び、さらに舞台化されると聞いて大いにはりきる。雪舟の相手役に、ブロンドで丸顔の新進女優ルース・ノーブルを見つけてきた。小柄な、イギリス国籍を持つ10代の女の子。
 すぐの6月から、ルースを相手に、舞台「馬賊の王子」を、1日2回、ニューヨークのパレス・シアターで公演する。内容は平凡だが、雪舟演じる王子は素晴らしいと評判は上々である。
 いい評判をきくと雪舟は即座に、日米の座員十数名をあつめて「雪舟一座」を組み、「オヒューム・ボードビル」に加わる。ボードビルとは演劇、歌、舞踊、曲芸などを組み合わせた演芸ショーのこと。
 この頃から映画俳優とボードビル俳優が、いっしょに巡業する計画的なチェーン・システムが生まれる。これにのることは先々の予定が決まり、生活の安定を意味する。
 こうして「雪舟一座」は旅に出る。この年いっぱいニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴなど全米各地をあちこち回り公演する。年末には西海岸へたどり着くつもりだ。
 そうこうするうち、雪舟は、よりによって鶴子が連れてきた相手役、ルースを愛人にしてしまう。」
(前掲書212, 213頁より)