書籍目録

『吾輩は猫である』

夏目漱石

『吾輩は猫である』

英訳版(第2刷) 1922年 サンフランシスコ刊

Natsume, Soseki. / Eddy, Elford / Matsubara, Kazuo.

I AM A CAT.

San Francisco, The Japanese American News, 1922. <AB2018130>

Reserved

Second impression.

12.0 cm x 17.0 cm, pp.[i(Half Title),ii(Dedication)], Front., pp.[iii(Title)-v], vi, 1 leaf, pp.[1], 2-304, illustration: [3], Original pictorial cloth bound in Japanese style.
装丁の背付近と背上部に痛みと一部剥離箇所あり。

Information

日系移民排除の空気が高まるサンフランシスコで出版された、初の海外出版社による英訳版

 本書は、夏目漱石のあまりにも有名な『吾輩は猫である』の英訳本で、1922年にサンフランシスコで刊行されています。このサンフランシスコ版は、海外の出版社によって英語で出版された最初の『吾輩は猫である』であることから、同書が海外読者に向けて本格的に発信されることになった記念碑的な書物ということができます。また、本書が刊行された1922年は1924年の排日移民法につながる、日米関係の摩擦が極度に高まっていた時期に当たるもので、そうした社会情勢にあって日系移民が数多く暮らしていた西海岸で刊行されたという、独特の文脈を背景に持っています。

 『吾輩は猫である』の英訳本としては、安藤貫一による英訳本(I am a cat. 1906-9)がありますが、これは英訳本とはいうものの、国内出版社である東京の服部書店から刊行されていることから、実質的には国内向けの英訳本であったと思われます。本書は、サンフランシスコのThe Japanese American Newsから刊行されたもので、Japanese American News は、『日米新聞』の名で日本語新聞をサンフランシスコで発行しており、当時のサンフランシスコを代表する日系新聞社として、在米日本人の権利と永住権獲得を強く訴える論調を打ち出していたことでも知られています。本書は1921年の初刷に続く第2刷で、初刷刊行直後に予想外の反響を読んで書店の在庫が品薄になって、しまいには(早々に)消え失せてしまったことを受けてすぐに第2刷を発行することになったということが述べられています。ここでは、その主要な読者としてアメリカに住む英語を解する日本人、が挙げられていますが、初刷刊行翌年に早くも第2刷が刊行されることになったという経緯に鑑みますと、少なくないアメリカ人が本書を買い求めたのではないかと思われます。

 本書は口絵の漱石肖像を含め特徴的な挿絵が盛り込まれていることや、和本を模した凝った装丁と表紙が非常に印象的ですが、残念ながら店主にはまだこれらを手がけた人物を特定することができていません。また、訳者の経歴などについても調べがついていませんが、これらを調査することは、単なる書誌上の問題というよりも、漱石のアメリカでの受容の広がりを調べる上で欠かせないテーマになるものと思われます。

 また、上述したように、本書が刊行された1922年は日米関係が極めて緊張していた時期で、1924年の排日移民法につながる、西海岸における日系移民に対する風当たりが非常に厳しくなっていた時期にあたります。本書の最初にさりげなく記された献辞では、「人種にも思想信条にも関わりのない、どこにでもある笑いに本書を捧ぐ( Dedicated to laughter everywhere. It knows not race nor creed.)」とあることからも、当時の不穏な空気を感じ取ることができるとともに、それに押しつぶされないウィットに富んだ強い意志が本書に込められていることが感じられます。

 本書は、誰もが知っている漱石の代表作の記念すべき最初のアメリカ版と思われますが、どういったわけか国内での所蔵機関が極めて少なく、初刷1921年版を所蔵している機関がわずか一機関確認できるのみです。本書はその訳者、絵師、装丁師、出版の背景、受容者など、多くの不明点を解明することによって、漱石のアメリカにおける受容史だけでなく、日米関係の一端を垣間見ることも可能にさせてくれるような資料と思われます。

特徴的な愛らしい表紙デザイン。
タイトルページと口絵。
日系移民への厳しい風当たりを反映していると思われる献辞文。
序文では日本を代表する作家としての漱石の略歴を紹介している。
本書は1921年初刷の翌年に刊行された第2刷だが、初刷の販売が出版社の予想を大きく上回っていたことが記されている。本書の受容状況を記録した第2刷にしかない貴重な情報とも言える。
第2刷との表記が上掲の文章裏面にある。
本文はそれまでの用紙とは明らかに異なる用紙が用いられていることがわかる。
本文中には、Matsubara Kazuoによる挿絵が収録されているが、店主はMatsubaraについてまだ特定できておらず。
装丁の背付近と上部には欠損と痛みが見られる。