書籍目録

『日仏辞書』

パジェス / (キリシタン版『日葡辞書』編者) / (コリャード)

『日仏辞書』

1868(1862)年 パリ刊

Pagés, Léon / (VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPAM) / (Collado, Diego).

DICTIONNAIRE JAPONAIS-FRANÇAIS...

Paris, Firmin Didot Freres (Benjamin Duprat), 1868 (1862). <AB2018105>

Reserved

4to (17.0 cn x 26.5 cm), Title (dated 1868 by Firmin Didot Freres), 1 leaf (Dedication), Title (dated 1862 by Benjamin Duprat), 1 leaf (Tableau, Avis), pp.[1], 2-933, Contemporary half red morocco leather on marble boards.

Information

当代随一の日本学者パジェスによるキリシタン版をもとにした「和仏辞書」

 本書は、日本研究者として著名であったパジェス(Leon Pages, 1814 - 1886)が編纂した和仏辞書です。幕末明治初期に外国人の手によって刊行された和仏辞書を代表する辞書と言えるものです。

 パジェスは、本書の編纂に際して、250年以上前に長崎で印刷されたキリシタン版として著名な『日葡辞書(VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPAM...1603,4., 編者不明)』を底本としており、ポルトガル語の部分をフランス語に改めることを中心に本書を作成しました。また、ドミニコ会士コリャード(Diego de Collado,? - 1641)が編纂した『羅西日辞書(DICTIONARIVM SIVE THESAVRI LIGVÆ IAPONICÆ COMPENDIVM...1632)も参考にしています。その意味において、本書はカソリック宣教師らによって始められた日本語研究を受け継いで刊行された、連綿と続く日本語研究の集大成とも言える辞書です。

 パジェスは、外交官として北京で活躍するうちにザビエルらによる東洋宣教の歴史に関心を持ち、ヨーロッパ人による様々な日本研究文献に目を通し、当時を代表する日本学者として名を馳せました。フランス国立東洋語学校において最初の日本語講座が開設された際には、同じく日本学者として名を上げつつあった当時気鋭の若手学者ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)と初代教授の座を争い、惜しくも敗れています。彼自身は一度も来日することはありませんでしたが、日本についての情報源が極めて乏しかった時代に研究を深めた日本学者としてのパジェスの功績は決して小さくありません。

『日葡辞書』にはなかったカナ文字表記を加えたことは、『日仏辞書』の大きな特徴の一つ。
カナ文字表記を加えるに際して、パジェスが作成した一覧表。
本文冒頭箇所。『日葡辞書』がポルトガル語で記していた部分をフランス語に変えて記されている。

 パジェスによる『日仏辞書』の基本的な構成は、底本とした『日葡辞書』に拠っており、ローマ字表記された和語に続いて、『日葡辞書』がポルトガル語で記していた部分をフランス語に変えて記されています。本辞書固有の特徴としては、『日葡辞書』『羅西日辞書』のいずれにもなかったカナ表記を加えたことで、パジェスは本文前の冒頭箇所においてカナ文字とその発音一覧表を掲載しています。

 パジェスが底本とした『日葡辞書』は、17世紀初頭の京都近郊の標準日本語を基準としつつ、宣教師がその活動において必要となる日本語に関する知識を網羅的に整理した辞典として、3万を超える言葉が収録しており、その内容から当時の日本語の様態や、近畿、九州の文化や風習を知りうる極めて貴重な資料として知られています。ただし、『日葡辞書』は、店主の知りうる限り世界中で現存が確認されているものはわずか5部しかなく、国内には所蔵がありません。パジェスは、現在パリ国立図書館に所蔵されている原本を用いて本書を編纂していルため、その意味でも本書は(大幅な改変があるとはいえ)、貴重な『日葡辞書』の姿を伝えたものとしても重要な資料とも言えます。

 

1868年表記のFirmin Didot Freres による標題紙。
続いて第一分冊が刊行された際の1862年表記の Benjamin Duprat による標題紙も含まれている。

 パジェスによる『日仏辞書』は、1862年から分冊の形で刊行が開始され、1868年に全4分冊で完結したことがわかっています。分冊形式での出版社は、Benjamin Duprat でしたが、完結した1868年に全冊をまとめる形で Firmin Didot Freres へと出版社を変えて刊行されました。本書は、最初に1868年表記のFirmin Didot Freres による標題紙がある一方で、続いて第一分冊が刊行された際の1862年表記の Benjamin Duprat による標題紙も含まれています。ページ数は、分冊版、1冊版ともに933ページとされていますが、両者の間に細かな異動があるかどうかについては、店主は確認できていません。いずれにしても、幕末明治初期にかけて大きな足跡を残した外国人日本研究者パジェスによるこの辞典の持つ資料的価値は、今なお極めて大きいものと思われます。

  • 刊行当時のものと思われる装丁で状態は非常によい。
  • 見返し部分には美しいマーブル紙が用いられている。

「パジェス(1814-1886)は日本学者で、一時パリでユニヴェール社の編集に従い、また中国駐在フランス公使館員の職にあったこと以外あまり知られていない。
  このパジェスの 『日仏辞書』 は、イエズス会の伝道師たちによって作成され、1603年長崎で印刷されたパリ国民文庫所蔵の 『日葡辞書 (Dictionnaire japonais-portugais)』 に基づいて、ポルトガル語からフランス語に訳したもので「仏訳日葡辞書」と言える。またこれに欠けている部分はドミニコ会が1630年に刊行したスペイン語訳日葡辞書で補われている。原本となった 『日葡辞書』 も 『日西辞書』 も、日本語表記の際にポルトガル語式の綴り方によるローマ字を用いているが、パジェスはそれをフランス語式の綴り方に改めたため、排列順序がかなり変ったものになっている。また片仮名の発音を付け加えたのはパジェスの創意である。
  今日この辞書を見れば、誤訳であろうと疑うべき箇所が多々あるが、当時としては画期的なものであったと推察される。」

(京都外国大学附属図書館展示目録 『日仏文化資料展示会』 より)