書籍目録

『イエズス会史 第5巻前編)』

プッシン / (ザッキーノ)

『イエズス会史 第5巻前編)』

1661年 ローマ刊

Possinus, Petrs (Poussines, Pierre)

HISTORIAE SOCIETATIS IESV PARS QVINTA SIVE CLAVDIVS TOMVS PRIOR...

Roma, Typographia Varesij, MDCCLXI. <AB201877>

Sold

Large 4to (22.5 cm x 35.0 cm), 6 Facsimile leaves(i.e.1 leaf, Title,5 leaves), pp.1-274, 2 Facsimile leaves (i.e. pp.275-278), pp.279-409, 1 Facsimile leaf(i.e. pp.409, 410), pp.411-414, Facsimile leaf(i.e. pp.415, 416), pp.417-550, 9 leaves, Contemporary full calf, professionally repaired.
一部オリジナルで欠落している紙葉があるが、全て精巧なファクシミリで補完されており、内容は完備。刊行当時の製本も修復されており状態は極めて良好。

Information

200年以上の歳月を費やして完成した「イエズス会史」の1580年から1590年を扱った第5巻前編

 本書は、1614年にイエズス会士ザッキーニ(Francesco Sacchini, 1570 - 1625)によって刊行が始められ、1859年に完結するまで200年以上の歳月を費やした壮大な企画『イエズス会史 1536年から1633年まで』のうち、第5巻前編)として1661年に刊行されたもので、1580年から1590年までをその対象としています。本書中には、日本に関する記述が非常に多く含まれており、信長とイエズス会の親密な関係と本能寺の変による劇的な国内情勢の変化、天正遣欧使節、バテレン追放令による混乱、高山右近や細川ガラシャの洗礼といった当時を代表する日本のキリシタンのことなど、大変興味深い記事が数多く収録されています。

 『イエズス会史 1536年から1633年まで』は、全6部(8冊)からなるもので、オルランディーニ(Niccòlo Orlandini, 1554 - 1606)が遺していた原稿をザッキーニが編纂して、最初の第1部(1536年から1555年まで)は1614年に刊行されました。以降、編者を数度変えながら途中イエズス会が解散を命じられた時期も乗り越えて、最終第6部後編(1625年から1633年)が1859年に刊行され完結しました。いずれの部もフォリオ判大の大型の書物で、世界各地からもたらされたイエズス会士による報告書や先行文献などを駆使して編纂されています。イエズス会は世界各地で宣教活動を繰り広げていることから、「イエズス会史」を編纂することは、彼らが接した世界各地の歴史、宗教、文化、風習に関する包括的な記録を編纂することを意味しており、その意味で日本をはじめとしたヨーロッパ外の地域研究にとって非常に重要な資料ということができるものです。

 全体の構成は下記の通りです(後継部の刊行と同時期に再版されることも多く諸版が存在しますが、初版のみ記載)。

第1部(1536年から1555年まで)1584年刊行
第2部(1556年から1564年まで)1620年刊行
第3部(1565年から1572年まで)1649年刊行
第4部(1573年から1580年まで)1652年刊行
第5部前編(1581年から1590年まで)1661年刊行→本書
第5部後編(1591年から1616年まで)1710年刊行
第6部前編(1616年から1625年まで)1750年刊行
第6部後編(1625年から1633年まで)1859年刊行

 編集方針は各部の編纂者によって相違が見られますが、概ね1年を1章に当てて、その年に生じた世界各地の出来事を論じるスタイルが基本(部によっては地域ごとの編纂がなされていることもあり)となっています。ヨーロッパ(ローマ)に関する記述から始まり、イエズス会が活動を展開していたヨーロッパ外の様々な国や地域に関する情勢が記されており、日本についての記述も、ほぼ必ず毎年(毎章)確認することができ、しかもかなり詳細で長い記事であることが特徴です。

 本書はこの壮大な企画のうちの第5部前編にあたるもので、編者のプッシン(Pierre Poussines, 1609 - 1686)は、人文学、修辞学をトゥールーズやモンペリエで教授していましたが、ローマからの命を受けてザッキーニの死によって中断されていた「イエズス会史」の編纂続行に着手しました。ザッキーニは第4部までを完成させていましたので(ただし刊行はザッキーニの死後)、その続きとなる年代の編纂を手がけることになり、その成果として刊行されたものが本書です。上に記しましたように、1580年から1590年を対象としており、日本の政治、社会の激動期にあたることから、関連する重要記事が大量に収録されています。店主がざっと確認した主なものだけに限っても下記のような記事を見ることができます。

1580年
ヴァリニャーノによる日本宣教体制の再整備の様子や、オルガンティノに安土の教会用地をおくった信長とイエズス会との関係など。

1581年
信長(Nobunangae)が覇権を握っていく様子やイエズス会との緊密な関係、それに基づいて宣教活動が日本各地で積極的に展開されていく様子など。

1582年
明智(Aquechij)光秀によって信長が討たれた衝撃の大きさと、それによってイエズス会の宣教活動が大きな混乱をきたしたこと、不安定化する社会情勢など。

1583年
日本宣教に尽力したバルタザール・カーゴの帰天や、ヴァリニャーノと天正遣欧使節のマカオ出発、ヴァリニャーノがゴアに留まることになった経緯など。

1584年
高山右近(Vcondoni)の高槻(Tacacuiensi)統治や、信長に変わって日本の覇権を掌握しつつある羽柴(Faxiba)秀吉との関係など。

1585年
何と言っても、天正遣欧使節とローマ教皇との謁見を中心とした記述が目立ち、これについては日本についての記事としてではなく、章冒頭のローマ全体にとって最重要事件としての記述。

1586年
関白(Cambacundoni)となった秀吉の動向や、島津による豊後攻めと大友宗麟の動向など。

1587年
秀吉によるバテレン追放令や大友宗麟のの帰天など、ヴァリニャーノ不在の中でこの年に彼らが直面した様々な困難と対処についてなど。

1588年
ヴァリニャーノが天正遣欧使節とともにマニラに帰着したこと、混乱する日本のキリスト教宣教活動の中で、細川ガラシャが受洗したことの意義など。

1589年
大友吉統による豊後における宣教師追放命令と殉教事件の発生、混乱するキリスト教会社の動向など。

1590年
天草種元ジョアン(Amacuzadono)が小西行長らによって制圧されたことや、ヴァリニャーノと天正遣欧使節らが帰国の途についたことなど。

 もちろん、上記以外にも多数の日本に関する記述が本書には多数含まれており、いずれも非常に重要な記事と思われます。本書は、完結までに200年以上を有したこともあって、なかなか全体で統一した著作として認識して研究を進めることが困難でしたが、近年国内でも所蔵状況が次第に整備されつつあり、今後の研究の展開が望まれています。

 なお、本書は上掲のように一部の紙葉にオリジナルの欠落が見られますが、いずれも精巧なファクシミリで補完されており、全ての内容を完備しています。また、刊行当時と思われる製本を残した完全な修復が施されており、状態としては極めて良好と言えるものです。

オリジナルのタイトルページは失われているが、精巧なファクシミリで補完されている。
1章で1年を扱っており、本書では1580年から1590年までを対象としている。かなり古い時期にタイトルページが失われたと思われ、タイトルページの代わりとなるべくテキスト本文冒頭ページに著者とタイトル、刊行年などが書き込まれている。
日本についての記事は各年(各章)の後半に必ず掲載されており、本書だけでも相当な分量になる。1580年の記事ではヴァリニャーノによる日本宣教体制の再整備の様子や、オルガンティノに安土の教会用地をおくった信長とイエズス会との関係が詳細に述べられている。
1581年の記事でも信長(Nobunangae)に関する記事が非常に多い。
1582年の記事では、明智(Aquechij)光秀によって信長が討たれた衝撃が特に詳細に記されている。
1583年の記事では、日本宣教に尽力したバルタザール・カーゴの帰天や、ヴァリニャーノと天正遣欧使節のマカオ出発、ヴァリニャーノがゴアに留まることになった経緯などについて記されている。
1584年の記事では、高山右近(Vcondoni)の高槻(Tacacuiensi)統治や羽柴(Faxiba)秀吉との関係などについての記録が特に目につく。
1585年の天正遣欧使節とローマ教皇との謁見は1585年記事でも最初に取り上げられており、いかにそのインパクトが当地においても大きかったかを物語る。
1586年の記事では、関白(Cambacundoni)となった秀吉の動向や、島津による豊後攻めの事などの記事が目につく。
1587年は秀吉によるバテレン追放令や大友宗麟のの帰天など日本におけるイエズス会にとって苦難が多い年であったが、彼らが直面した様々な困難と対処について特に詳細に記されている。
1588年の記事ではヴァリニャーノが天正遣欧使節とともにマニラに帰着したことなどが記されている。
1588年の記事で特に興味深いのは、細川ガラシャの受洗について詳細に記されている点である。
1589年の記事では豊後(Bungi)で起きた殉教事件について特に詳細に記されている。
1590年の記事では、天草種元ジョアン(Amacuzadono)が小西行長らによって制圧されたことや、ヴァリニャーノと天正遣欧使節らが帰国の途についたことなどが記されている。
巻末には索引が設けられている。
当時の製本を残して完璧な修復がなされており状態は極めて良好と言える。