書籍目録

『ポルトガルのコインブラ学院におけるイエズス会士による数々の徳行について』

フランコ

『ポルトガルのコインブラ学院におけるイエズス会士による数々の徳行について』

全2巻 1719年 コインブラ刊

Franco, Antonio.

IMAGEM DA VIRTUDE EM O NOVICIADO DA COMPANHIA DE JESUS No REAL COLLEGIO DE JESUS de Coimbra EM PORTUGAL...

Evora (Vol.1) / Coimbra (Vol.2), Officina da Universidade, 1719. <AB201873>

Sold

2 vols.

4to (20.0 cm x 29.5 cm), Vol.1: Title, 7 leaves, pp.1-338, 341, 342, 339, 340, 343-856, Vol/2: Title, 5 leaves, pp.1-785, 1 leaf, Contemporary full calf.
装丁の背付近に痛みが見られるが全体として良好な状態。

Information

ラウレスによって「イエズス会史最重要文献の一つ」とされながらも国内所蔵が極めて乏しい重要文献

本書は、イエズス会のポルトガルにおける活動の中心地であったコインブラにおける、数多くの学院関係者による世界各地における活躍を網羅的に記した伝記的目録です。全2巻で1500ページを超える大部の著作で、結果的にイエズス会の活動記録としても包括的な作品となっており、日本に関する記事を非常に多く含んでいることでも重要と思われる文献です。

 著者のフランコ(Antonio Franco, 1662 - 1677)はエヴォラ大学の人文学と修辞学の教授で、『ポルトガルのイエズス会年代記(Synopsis Annalium Societatis Jesu in Lusitania ab Anno 1540 usque ad Annum 1725. 1726)』をはじめ、イエズス会士の伝記や歴史関連資料を数多く編纂したことで知られています。

 本書は、上智大学キリシタン文庫の基礎を築いたラウレス(Johannes Laures, 1891 - 1959)によって比較的早くから注目されていた文献で、「イエズス会のポルトガルにおける、つまり事実上世界全体における歴史著作として最重要の文献の一つ」とまで言われ非常に高く評価される一方で、これまで入手が困難であったことから、今後の本格的な研究が待たれている資料です。ラウレスによって、本書における日本関係記事の豊富さを示す一例が紹介されていますが、それを参照しながら店主が確認できた一例だけでも次のような日本関係記事を見出すことができます。

 第1巻122ページから142ページにかけては、「東北地方の使徒」と言われるコインブラ出身のイエズス会士カルヴァリョ(Diogo Carvalho, 1578 - 1624)について論じられています。カルヴァリョは、1609年から1614年にかけて最初の日本宣教を行い、一旦コーチシナに転出するも、キリスト教弾圧が激しくなる中で敢えて志願して1616年に再来日し、日本人に変装して京都から仙台へと向かいました。すでにこの地で長く活動し、蝦夷地の宣教と社会状況、地図を作成していたことでも知られるアンジェリス(Jeronimo de Angelis, 1568 - 1623)と再会し、厳しい状況の中で積極的な宣教活動を行っています。しかし、1624年2月に捕縛され二度にわたる過酷な水責め似合って殉教しました。ここでは彼のこうした活動を詳細に論じており、仙台(Xenday)や蝦夷(Yesso)でのカルヴァリョの活動と殉教の様子が描かれています。

 また、続く第1巻144ページからは、1620年代半ば以降の島原(Ximabara)を中心とした九州各地で激化していくキリスト教迫害と、数多く生じた殉教事件、ならびにそこでの殉教者の伝記が論じられています。1604年の初来日以来、1621年の3度目の来日後に長崎から口之津へと活動しつつも1626年に捕縛され殉教したフランシスコ・パシェコ(Francisco Pacheco, ? - 1626)、1633年から34年にかけて日本におけるイエズス会上長の職(準管区長)にあり、大坂近海で捕縛され長崎(Nangazaqui)へと送られ殉教したセバスティアン・ヴィエイラ(Sebastian Vieira, ? - 1634)といった主要な殉教者の伝記が詳細に紹介されているだけでなく、当時、島原がどのような状況にあったのかという社会状況や、そこで宣教師が活動することにどのような困難が伴っていたのかについても述べられており、当時の日本のキリスト教をめぐる社会情勢を知るための資料としても重要な記述が多数あるものと思われます。

 それ以外にも、本書中にはいたるところに日本に関係する重要な記述を多数見つけることができます。

 1591年に日本管区司教(府内司教)に選ばれ、1595年に来日し手から長崎の「岬の教会」で活動し、1597年の二十六聖人殉教事件を受けて離日する船中で亡くなったペドロ・マルティンス(Pedro Martins, 1542 - 1598)の記事(第1巻275ページから)、ザビエル亡き後にインド管区長となり、インド、中国、そして日本といったアジア各地での宣教活動に尽力し、度重なる渡航失敗の末に1556年、豊後(Bungo)にたどり着き、同地でザビエルの遺志をついで活動していたトレス神父(Cosme de Torres, 1510 - 1579)と宣教方針について議論したメルキオール・ニーニェス(Melchiorarreto Nunes, 1520 - 1571)など初期の東インド各地の宣教活動についての記事(第1巻365ページから) 、ザビエル離日後にマラッカから日本に入り、初期の平戸、山口における宣教活動を進めたバルタザール・ガーゴ(Balthazar Gago, 1520 - 1583)を中心とした府内、博多(Facata)各地に関する記事(第1巻669ページから)、帰国時の天正遣欧使節とともに1586年に来日し、日本管区長にもなり「コーロス徴収文書」の作成でも著名なコーロス(Matheus de Couros, ? - 1633?)の記事(第2巻139ページから)、有馬(Arima)で亡くなる1626年まで日本宣教に尽力したカストロ(Gaspar de Castro, ? - 1626)の記事(第2巻145ページから)、ザビエルとともに最初の来日宣教師となり、ザビエル亡き後も九州各地の宣教活動に尽力したジョアン・フェルナンデス(João Fernandes, ? - 1567)の記事(第2巻312ページから)、アリストテレスの天文学と世界観を天草のコレジョのためにラテン語で書いたテキスト『天球論』によって初めて日本に伝え、のちに日本準管区長も務めたゴメス(Pedro Gomez, 1533 - 1600)の記事(第2巻523ページから)など、枚挙にいとまがありません。

 日本研究文献として非常に重要とされていながらも、その入手の困難さによってこれまで本格的な研究が進んでこなかったと思われる本書を改めて詳細に研究することで、非常に多くの新しい学術的発見を見出すことができるものと思われます。

 なお、本書は第1巻がエヴォラで刊行されている一方で、第2巻はコインブラで刊行されていますが、ともに1719年の刊行年表記があり(ラウレスによるキリシタン文庫の書誌も同様です)、本書は両巻を合わせた大変貴重な完本と言えるものです。

第1巻タイトルページ。エヴォラにて1719年に刊行されている。
「東北地方の使徒」と言われ、たコインブラ出身のイエズス会士カルヴァリョ(Diogo Carvalho, 1578 - 1624)についての記事冒頭部分。小見出しには「仙台(Xenday)にて1624年2月22日逝去」とある。
1633年から34年にかけて日本におけるイエズス会上長の職(準管区長)にあり、大坂近海で捕縛され長崎(Nangazaqui)へと送られ殉教したセバスティアン・ヴィエイラ(Sebastian Vieira, ? - 1634)の記事冒頭部分。
604年の初来日以来、1621年の3度目の来日後に長崎から口之津へと活動しつつも1626年に捕縛され長崎(Nangazaqui)で殉教したフランシスコ・パシェコ(Francisco Pacheco, ? - 1626)の記事冒頭部分。
1620年代半ば以降の島原(Ximabara)を中心とした九州各地で激化していくキリスト教迫害の様子が克明に描かれている。
第2巻タイトルページ。第1巻と同年に刊行されているが、刊行地がコインブラとなっている。
帰国時の天正遣欧使節とともに1586年に来日し、日本管区長にもなり「コーロス徴収文書」の作成でも著名なコーロス(Matheus de Couros, ? - 1633?)の記事冒頭部分。
ザビエルとともに最初の来日宣教師となり、ザビエル亡き後も九州各地の宣教活動に尽力したジョアン・フェルナンデス(João Fernandes, ? - 1567)の記事冒頭部分。
アリストテレスの天文学と世界観を天草のコレジョのためにラテン語で書いたテキスト『天球論』によって初めて日本に伝え、のちに日本準管区長も務めたゴメス(Pedro Gomez, 1533 - 1600)の記事冒頭部分。
大きな四つ折り判の2巻本ということでかなりの分量となる。
当時のものと思われる製本は、背の部分に痛みが見られるが全体として良好と言える。