書籍目録

『百人一首といろは歌』

マコーレー

『百人一首といろは歌』

1917年 横浜刊

MacCauley, Clay.

HYAKUNIN-ISSHU (SINGLE SONGS OF A HUNDRED POETS) AND NORI NO HATSU-NE(THE DOMINANT NOTE OF THE LAW). LITERAL TRANSLATIONS INTO ENGLISH WITH RENDERINGS ACCORDING TO THE ORIGIN METRE.

Yokohama(横濱市), Kelly and Walsh, LTD.(ケリー、エンド、ウォルシ株式會社), 1917(大正六年十二月二十日印刷 二十五日発行). <AB201852>

Sold

13.5 cm x 19.4 cm, Title, pp.[i], ii-xxxvi, [1], 2-234, 1 leaf, Original publishers decorative cloth.

Information

初期の英訳百人一首として知られるマコーレー 訳

 著者であるマコーレー(Clay, MacCauley, 1843 - 1925)は、アメリカユニテリアン教会の宣教師で、1889年のユニテリアン協会による最初の日本派遣宣教師の一人として来日し、以後1920年まで活動を続けました。本書は、百人一首の英訳と解説を中心として、いろは歌の英訳と解説を合わせたもので、1917年に横浜で刊行されています。

 百人一首の英訳は、単行本の形ではディキンズ(Dickins, Frederick Victor, 1838 - 1915)によるもの(Hyaku nin is'shu, or, Stanzas by a century of poets being Japanese lyrical odes. London, 1866)が最初と思われますが、それ以外の欧米言語への翻訳本は、ディキンズによる改訂を除くと19世紀末まで現れることがありませんでした。本書の百人一首の英訳部分は、序文でマコーレーが述べているように、日本アジア協会(Asiatic Society of Japan)の機関紙(Transactions of the Asiatic Society of Japan, 通称TASJ)に1899年に発表していたものを改訂したもので、百人一首の英訳としてはディキンズに次いで出された初期の作品と言えます。英語以外の欧米言語への翻訳としては、これも序文でマコーレーが述べているように、TASJでの発表直前にあたる1898年に、ドイツのエーマン(Paul Ehman, 1858 - 1901)がドイツ東洋文化研究協会(Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens)の機関紙(Mittheilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens)に発表したもの(Die Lieder der hundert Dichter)があり、マコーレーはTASJでの発表直前にこれを確認し参照したこと述べています。マコーレーは他にも、フランスの東洋学者ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)によるものがあると述べていますが、これについては実見することができなかったようです。

 このように、本書はマコーレーが日本研究者による先行研究を生かして完成させたもので、百人一首の初期の英訳本としてだけでなく、日本固有の詩歌芸術を欧米圏へ伝えた作品としても非常に重要な文献と言えるものです。
 
 イングリッド・ヘルガ・マイエル氏による画期的な研究成果(「『百人一首』の英独語版を通して見る和歌の翻訳」、北海道大学文学研究科提出博士論文、2016年)でも、本書は次のように解説されています。

「MacCauleyははやくも1899年にTransactions of the Asiatic Society of Japanの中で『百人一首』の翻訳を発表するが、普及版はHyakunin-Isshu (Single Songs of a Hundred Poets) and Nori no Hatsu-Ne(The Dominant Note of the Law)として、Kelly and Walshから1917年に横浜で出版された。(中略)ほとんどの資料はMacCauley訳を1917年に出版されたものとし、1909年のPorter訳(William Porter. A Hundred Verses from Old Japan. Oxford, 1909のこと、引用者註)の方が先だとしているので、国外では1917年版の方が入手しやすかったと思われる。ピッツバーグ大学・バージニア大学の日本語テキストイニシアチブで公開しているウェブ版もこれをもとにしている。
 この本の特徴としては、和歌の創作タイトル(英語)を付けている点と、"literal translation"(原文の語句に一つ一つ訳語を対応させた文字どおりの逐語訳)を掲載している点である。これは、もともと散文訳されている教科書類4種以外はDickins a訳(前掲ディキンズ訳の1865年初出版のこと、引用者註)でしかみえない。その他、文法的な説明や、"explanatory note "(歌人や歌の内容についての説明)が詳しい。
 翻訳の詩形は"metrical translation"とMacCauleyが断っているが、無韻の5行詩で、57577音節にあわせた、概ね強弱律と判断できるものである。」

 また、後半にはいろは歌の解説と英訳が掲載されており、マコーレーがなぜいろは歌に強い関心を抱くことになったのかということも含めて解説がなされています。いろは歌の作者は今もって確定していませんが、マコーレーは一つの有力な説であった空海説を採っているように見られます。いろは歌に続いて収録されている巻末の索引は歌人や重要文献なども含めた項目が掲載されており、ここから当時のマコーレーの研究水準をはかることもできるでしょう。これらは初出のTASJ版にはなかったと思われるもの非常に重要なものです。

 本書は、英語圏での日本研究文献の刊行に積極的だったケリーアンドウォルシュ社から刊行されたものですが、印刷は先述の通り横浜で行われており、同社の横浜支店から上海、香港、シンガポールへ、そしてロンドンにも送られたようです。印刷を手がけているのは、聖書印刷で有名な横浜を代表する印刷人であった村岡平吉の福音印刷合資會社が手がけており、高品質な活版印刷と手の込んだ装飾が装丁に施されていることも注目すべきことと言えるでしょう。

 なお、マコーレーは、ユニテリアン協会の活動だけでなく、日本語教育のテキストなど、文化、言語に関する作品も多数残しているほか、アメリカ日本平和協会(American Peace Society of Japan)の会長として、日米友好にも尽力したことでも知られています。

タイトルページ
本書のための序文。TASJ版から独立して刊行するに至った経緯を述べている。
TASJ版の序文、ディキンズなどマコーレー が参照した先行文献や協力者について言及している。
百人一首そのものの翻訳の前には、マコーレー による百人一首の解説文がある。
翻訳部分。左が逐語訳と英訳、右が解説となっており、単なる英語訳ではないことがわかる。
後半に収録されているいろは歌の解説。
索引はマコーレー の研究水準を知る手がかりにもなる重要なもの。
巻末の奥付には、村岡平吉の福音印刷合資會社による印刷であることが明記されている。