書籍目録

『古代人たちの神々の姿について 第二版』

カルターリ / ピニョリア

『古代人たちの神々の姿について 第二版』

1626年 パドヴァ刊

Cartari, Vincenzo / Pignoria Lorenzo

SECONDA NOVISSIMA EDITIONE DELLE IMAGINI DE GLI DEI DELLI ANTICHI DI VINCENZO CARTARI REGGIANO...DA LORENZO PIGNORIA PADOVANO. Aggionteui le Annotationi del medesimo sopra tutta l'opera, & un Discorso intorno le Deità dell' Indie Orientali,...

Padova, Pietro Paolo Tozzi, M.DC.XXVI. (1626). <AB201721>

Sold

8vo, 3 leaves (blank), fly title, title, 14 leaves (dedication, preface, contents, index), pp. 1-566(i.e. 460)461-755(i.e. 575)576-586 incl. over 240 woodcuts, folding plates [2], Later quarter calf.
後年(19世紀頃か)の装丁、背の革部分に痛みあるが、本体は良好。

Information

信長贈呈の幻となった「安土城屏風」をもとに描いた日本建築や日本の神々の図像を収録

 本書は、ルネサンス期に研究が盛んになったローマ神話の神々を、印象的な木版画をふんだんに交えて紹介するもので、この版になって追加された第二部「インドの神々」において、日本の神々、ならびに16世紀末の日本の建築物が写実的な図とともに紹介されている点が極めて興味深い資料です。

 この本は、もともと後期ルネサンス期に活躍したイタリアの神話学者カルターリ(Vincenzo Cartari, 1531 - 1569?)が、1556年に刊行したもので、彼は先行する同じく神話学者であったジラルディ(Giglio Gregorio Giraldi, 1479 - 1552)の作品を一つの底本にしていました。カルターリは、1571年版の改訂版を出すにあたって、独自の銅版画挿絵を大量に採用し、これが本書の評判を飛躍的に高めました。ルネサンス期を通じて、古典古代の文芸復興が行われたことは周知の通りですが、ギリシャ神話、並びにローマ神話の研究も盛んとなり、本書もそうした潮流を背景に著されたものと思われます。

 本書で取り扱われているローマ神話の神々をざっと挙げていきますと、サトゥルヌス(農耕の神)、アポローン(芸術の神)、ディアーナ(貞節と狩猟の神)、ユーピテル(天空、気象の神)、ユーノー(婚姻と出産の神)、テルース(大地の神)、ネプトゥーヌス(大海の神)、プルートー(死の神)、メルクリウス(旅路と商業の神)、ミネルヴァ(知恵の神)、バックス(酩酊の神)、フォルトゥーナ(運命の神)、クピードー(愛の神)、ウェヌス(美の神)、カリス(優雅の神)となっており、現代でも様々な文学、芸術作品でモチーフとなっている神々が、多くの木版画とともに紹介されています。

 このカルターリの著作は、当時から好評を博したようで、何度も再版されていますが、このカルターリの著作に、ピニョリア(Lorenzo Pignoria, 1571 - 1631)によって新たに入れ替えられた木版画、並びに彼による独自の注釈と、そして、「インドの神々」を新たに加えたのが本書です。ピニョリアによる改訂版は、本書と同じ出版社から1615年に刊行されており、それにさらなる増補を加えて「第二版」と冒頭に唄ったものが本書で、いわゆる「ピニョリア第二版」と呼ばれるものです。特に興味深いのは、「インドの神々」の部において、日本の神々と建築物が木版画を交えて紹介されていることで、しかもそれらが、ある意味後年の同種の資料よりもずっと写実的に描かれていることです。

 この「インドの神々」の部に収められた日本の神々や建築物の図についての研究が近年進んでおり、カヴァリエーレの研究論文(Paola Cavaliere. AZUCHI-JO NO ZU BYOBU: IL PARAVENTO DIPINTO RAFFIGURANTE IL CASTELLO DI AZUCHI)によりますと、本書に描かれている建築物は、織田信長の安土城を描いたものと推定できるとのことです。確かに、本書のテキスト部分では、教皇グレゴリオ13世に日本の特使(天正遣欧使節団のこと)から贈呈された絵から描き起こされたスケッチをもとに、木版画が作成されたことが書かれています。テキストでその原図の作者として挙げられている、Filippo Winghomioとは、大橋喜之による、ヨーロッパの先行研究を踏まえた詳細な解説と付論を設けた画期的な日本語訳の解説によりますと、オルテリウスとも親交のあったルーヴァンの画家、フィリップス・ファン・ウィンゲ(1560 - 1592)のことです。彼は、安土城屏風が保管されていたヴァチカンの「地図の間」に1592年に短時間ながら入室を許可され、オルテリウスのために別の地図の模写を行なったことを、オルテリウス宛書簡で報告しており、この時に安土城屏風についても数枚のスケッチを残したものと言われています。この屏風自体はその後18世紀に入って行方不明となってしまったので、本書に収められた木版画はその意味で大変貴重なものと言えます。安土城の姿については、日本側にも視覚的資料が残っておらず、またヨーロッパ側の資料でも、宣教師フロイスによる詳細な叙述による描写や、シャルルボワによる後年の空想に基づく銅版画が知られていますが、本書のように日本側の資料をリソースにして作成された視覚的資料は他に知られておらず、非常に興味深いものです。なお、この「安土城屏風」図は、ピニョリア版初版(1615年)には収録されておらず、この改定第二版において追加されたものです。

 また、同じく木版画で多数収録されている仏像の描写も、本書よりも半世紀以上も後に刊行されたヨーロッパの書物よりも、はるかに写実的なタッチであることから、何らかの日本由来の実物、ないしはそれらを描いたスケッチを基に作成された可能性が極めて高いと思われます。テキストでもイエズス会の司祭の元にあるリソースからこれらの図版を作成したことが述べられており、またテキストについてもフロイス書簡などを引いている(おそらくマッフェイの『東インド史』からの孫引きか)ことから、イエズス会関係の資料を非公開のものも用いて作成したことは間違いなさそうです。ヨーロッパにおける後年の著作との比較で言えば、モンタヌスの『オランダ東インド会社遣日使節記』(1669年)は、日本の姿を多くの銅版画とともにヨーロッパに紹介した、最初の本格的な「日本誌」と言われることで有名ですが、そこで描かれている図版よりも、本書の図版の方がはるかに今日の目から見ても写実的な描写であることがわかります。

 本書はこれまであまり日本研究の分野で注目されてこなかった資料と思われますが、先述のように、2012年から14年にかけてローマ在住の大橋喜之による、ヨーロッパの先行研究を踏まえた詳細な解説と付論を設けた画期的な日本語訳『西欧古代神話図像大鑑 全訳『古代人のたちの神々の姿について』』、『同続篇 東洋・新世界篇/本文補註/図版一覧』が出されたほか、2017年に開催された「遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展(2017年4月〜12月、神戸市立博物館、青森県立美術館、東京富士見美術館を巡回)で、下記のような解説とともに展示、紹介されました。残念ながらまだ国内の研究機関での写像は確認できませんが、今後いっそうの研究が期待される非常に重要な資料であると言えるでしょう。

「1626年、パドヴァの碩学な古物蒐集家ロレンツォ・ピニョリアは、ヴィンチェンツォ・カルターリによる古典古代の神々の図像に関する著名な論文『古代人たちの神々の姿について』の新版を刊行した。その際、ピニョリアはその版の巻末に『インドの神々の姿』を追加した。論文のこのセクションにおいて、ピニョリアは新大陸や東方インドといった、離れた地域の神々の姿を異種混合のカタログにまとめている。ピニョリアによって加筆された、異国に関する巻末の版画挿絵の中でも、二つの建築構造を表した569頁と670頁(原文ママ、570頁の誤植と思われる;引用者註)の挿絵はとりわけ興味深い。ここでは、城郭と城門が描かれているのである。短い註釈において、著者はこれらの建築要素は、「とある断崖の上に建てられた、日本のとある神々の」神殿を表したスケッチから移された描写であり、1585年に「教皇グレゴリウス13世に贈るため、日本人の使節たちが持参した絵画」に基づき、フランドルのフィリップス・ファン・ウィンゲ(1560−92)が描いた、と説明している。研究者(先に挙げたカヴァリエーレのこと;引用者註)は、ファン・ウィンゲの描写の図像ソースは、1581年に織田信長からアレッサンドロ・ヴァリニャーノへ贈られた、安土城を描いた失われた屏風絵であり、その屏風はローマにおいて、若き使節たちを介して、教皇へ献呈されたと推測している。建築を表した2点の版画挿絵のほか、ピニョリアによるインドの神々に関するセクションには、日本のものと分類される様々な「偶像」の挿絵も含まれている。これらは、知識人ジローラモ・アレアンドロ(1574−1629)からピニョリアに提供された素描に由来している。」
(リッカルド・ジェンナイオーリ著 深田麻里亜訳 「遥かなるルネサンス展 作品解説31番」 池上英洋責任編集『遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア』所収)

右が安土城屏風を描いたと思われる図の一つ。左は都(京都)からほど近い場所にあるとされる阿弥陀像。右図については次頁(下写真)にテキストで解説が添えられている。
安土城屏風を描いたと思われる図その2。大橋氏による訳では、「先に名を記したフィリッポ・ヴィンゴミオは日本人たちの諸神性に捧げられた断崖上の神殿群を描画したが、彼はそれを教皇グレゴリウス13世に贈るため日本人使節たちがもたらした書画の数々から写したものと語っている」。右の図はいずれかの龍雲図を描いたものか。
イエズス会所蔵のものとされる資料から描かれた日本の神々
後年(19世紀頃か)の装丁、背の革部分に痛みあるが、本体は良好。(保存用の透明フィルムカバーをかけています)