書籍目録

『1588年、89年の日本キリスト教界報告』

ヴァスコンセリョス(編) / フロイス / オルガンティノ / コエリョ / サンデ

『1588年、89年の日本キリスト教界報告』

スペイン語初版 1591年 マドリッド刊

Vasconcellos, Antonie(ed.) / Fróis, Luís / Organtino, Gnescchi-Soldo / Sande, Duarte de.

RELACION DE VNA GRAVISSIMA persecuciõ, que vn tyrano de los Reynos de Iapon, llamado Cãbucodono ha leuãtado contra los Christianos en los años de 88. y 89. y de las marauillas que nřo Señor ha obrado por medio della.

Madrid, Pedro Madrigal, 1591. <AB201848>

Sold

First edition in Spanish.

8vo (9.5 cm x 14.8 cm), Title, 7 leaves, 200 numbered leaves(i.e.400pp.), 8 leaves(Tabla), Contemporary vellum.
タイトルページ、序文はファクシミリ、テキスト本体は完備。

Information

「バテレン追放令」に揺れる緊迫した日本各地の情勢を伝えるフロイスらによる詳細な報告書集

 本書は、1588年と1589年の日本の状況をイエズス会士が報告した書簡をまとめたもので、全4通の書簡が収録されています。最初の書簡は、フロイス(Luís Fróis, 1532 - 1597)が1588年2月20日に有馬から発信したもので、ついでオルガンティノ(Organtino Gnecchi-Soldo, 1533-1609)が1588年11月25日に発信したもの、第3が、コエリョ(Gaspar Coelho, 1530 - 1590)が1589年2月24日に発信したもので、ここまでが本書の大半部分で全て日本関係の報告書です。最後の第4の書簡は、サンデ(Duarte de Sande, 1547 - 1599)が1589年にマカオから発信したものです。

 これらの書簡が扱っている最大のテーマは、1587年7月に豊臣秀吉によって発令された「バテレン追放令」に伴って生じた日本における社会情勢の変化と、キリスト教に対する弾圧です。バテレン追放令は、日本におけるキリスト教布教を禁じたもので、これにより京都にあった南蛮寺と呼ばれていた教会をはじめとして機内の教会関連施設の破却や、長崎所領の没収などが行われるなど、イエズス会にとって非常に困難な時期を迎えることとなりました。また、1587年には豊後のキリシタン大名としてイエズス会にとって最大の庇護者の一人でもあった大友宗麟が亡くなり、九州におけるキリスト教界をめぐる状況も悪化しつつありました。

 フロイスが認めた報告書は、本書の中心をなすもので、1588年2月までに生じたあらゆる出来事を記述しています。秀吉の政策が各地で及ぼした影響を地域ごとに詳細に述べているほか、秀吉に棄教を促されながらも領地と財産没収を受け入れてまで拒否して畿内を追われることになった高山右近については特に詳しく当時の状況を述べています。また、同様に信仰を保つことを断固として譲らなかった細川ガラシャについても言及しています。
 オルガンティノによる報告書は、フロイスのそれに付随する形で出されたものです。オルガンティノは畿内布教の責任者として南蛮寺の建立をはじめとして精力的な活動を長年続けていましたが、バテレン追放令により京都からの退去を余儀なくされ、小西行長の庇護下で小豆島に高山右近とともに逃れました。オルガンティノの報告書はバテレン追放令の影響が最も大きかった京都を中心とした近畿地方で生じた出来事を克明に記したものです。
 コエリョによる報告書は、フロイスの報告書が発信されてからの状況を報告するために作成されたもので、本書においてフロイス報告と双璧をなす分量と内容を有しています。コエリョは日本布教の責任者として、宣教師を一旦平戸に集結させ、秀吉を刺激しないように表立った宣教活動を控えることを決め、各地に分散させた上で、状況の推移を慎重に見守っています。九州各地の状況は地域ごとに細かく分析しており、天草、平戸、五島、長崎、豊後などにおける有力者の動向、宣教師の潜伏と潜伏下での布教活動について報告しています。機内の状況についてもオルガンティノの書簡を参照しながら報告しており、彼と関係の深かった細川ガラシャの動向についても詳細に述べられています。また、天正遣欧使節とともに当初1589年に再来日する予定であったヴァリニャーノ (Alessandro Valignano, 1539 - 1606)の入国を秀吉が許可するかについては非常に神経質になっていたこともこの報告書から伺うことができ、ヴァリニャーノがインド副王使節としての入国を求める書簡に対する秀吉の反応と、そこから推察される秀吉のキリスト教に対する真意についても論じています。秀吉が自身の権力基盤を固めるために講じたさまざまな政策についてはかなり詳細に報告しており、聚楽第の建設やいわゆる刀狩り政策の実施などに言及しながら、秀吉が日本史上例を見ない権力をその掌中におさめつつあると批判的に論じています。
 最後のサンデの書簡は、直接日本の布教状況に関係するものではありませんが、ヴァリニャーノの命を受けてマカオでサンデが翻訳と刊行準備中であった『天正遣欧使節対話録(De missione legatorvm Iaponensium ad Romanam curiam, rebusq; [i.e. rebusque] in Europa, ac toto itinere animaduersis dialogvs. Macao, 1590)』の状況について言及した書簡として知られています。

 本書に収録されているフロイスとオルガンティノの報告は、刊本としては1589年にポルトガル語で出版されたもの(Carta do Padre Lvis Froes da Companhia de Iesus,...[Lisbon], 1589)が最初もので、後半のコエリョとサンデの報告は、1591年にイタリア語で出版されたもの(Lettere del Giapone et della Cina de gl'anni M.D.XXXIX. & M.D.XC....Roma, 1591)が初出と思われます。本書は、編者のヴァスコンセリョス(Antoine Vasconcellos, 1555 - 1622)がこれらの報告書を独自に編纂してスペイン語に翻訳したもので、細かな章立てとそれに応じた目次が設けられていることが他言語版にない特徴と思われます。ヴァスコンセリョスがイエズス会に届けられた書簡原本を元にスペイン語に翻訳したのか、あるいは先行の他言語版から翻訳をしたのかについては不明ですが、それらの比較検証も重要な研究テーマとなりうるでしょう。

 本書はタイトルページと序文にあたる冒頭の8葉を欠いていますが、全て非常に精巧なファクシミリで補完されており、また最も重要なテキスト本体と目次は完備しています。日本史上においても極めて変動が大きかったバテレン追放令下の日本社会の状況を克明に記録した同時代資料として、本書は類稀なる研究価値を有する文献です。

タイトルページ。オリジナルを欠いているが精巧なファクシミリで補われている。
フロイス書簡冒頭部分。1588年2月までの状況を伝える。
高山右近の動静を伝える部分。このようにトピックごとに設けられた章題は少なくともポルトガル語版には見られない特徴。
フロイス書簡末尾。
オルガンティノ書簡冒頭部分。フロイス書簡を補うものとして書かれたもの。
オルガンティノ書簡末尾。
コエリョ書簡冒頭。フロイス書簡以降の出来事を報告するものとして書かれたもの。
機内の様子についてはオルガンティノ報告(上掲とは別)を参照しながら報告している。掲出頁は細川ガラシャの動向について報じた箇所。
秀吉が進めていた政策についても詳細に報告している。掲出頁は大仏建立に関する部分。奈良の大仏を引き合いに出しながら説明している。この前後に「刀狩り」に関する言及も見られる。
コエリョ書簡末尾。
サンデ書簡冒頭。サンデは『天正遣欧使節対話録(De missione legatorvm Iaponensium ad Romanam curiam, rebusq; [i.e. rebusque] in Europa, ac toto itinere animaduersis dialogvs. Macao, 1590)』の編者としても知られている。
目次では詳細な章立てが一覧で確認できるようになっており、本書の内容を把握する上で大変有用。日本の人物、地名などを数多く確認できる。
目次②
目次③
目次④
目次⑤
目次⑥
目次⑦
目次⑧
小口は三方とも赤く染められている。