書籍目録

『アム=シュル=アール=ナランヌ出身の偉大な福者にして殉教者、リチャードの生涯と献身』

ルジューヌ

『アム=シュル=アール=ナランヌ出身の偉大な福者にして殉教者、リチャードの生涯と献身』

1907年 ルーレル / ブリュッセル刊

Lejeune, C. SS. R.

UNE GLOIRE D'HAM-SUR-HEURE LE B(ienheureu)x RICHARD, MARTYR (1585-1622) HISTOIRE ET DÉVOTION.

Roulerrs-Bruxelles, Jules de Meester, 1907. <AB201843>

Sold

11.5 cm 18.0 cm, pp.[1(Half Title), 2], Front. [3(Title)-5], 6-45, 1 leaf (Contents), Plates: [2], Original pictorial cloth.

Information

元和の大殉教で犠牲となったフランシスコ会士リチャードの評伝

 本書は、1622(元和8)年に起こったいわゆる元和の大殉教で犠牲となったリチャード(Richard Trouve of St. Ann, 1585 - 1622)の伝記で、1907年にベルギーで刊行されたものです。

 元和の大殉教は、長崎で55名が処刑された江戸時代初期を代表する大規模な殉教事件で、イエズス会をはじめとした外国人宣教師だけでなく、数多くの日本人信者も犠牲となりました。本書で描かれているリチャードは、ベルギー南部のアム=シュル=アール=ナランヌ出身のフランシスコ会士です。ローマで学んでいた際に日本で殉教したフランシスコ会士のことについて知り、そこから日本伝道を志したと言われています。リチャードは最初メキシコへと派遣され、そこからフィリピンへと渡りますが、神学の研究を深めるためにメキシコへに戻り、そこで1611年に司祭に任命されます。1613年に再びフィリピンに渡り、そこから日本へと派遣されますが、日本での禁教政策の激化を受けて1614年にフィリピンへの帰還を余儀なくされます。しかし、リチャードは危険を承知の上で日本への再渡航を望んで1617年に再入国を果たし、捕縛の手を逃れながら各地で4年余りも宣教活動を行いました。また、リチャードは、いわゆる「平山常陳船捕縛事件」で捕らえられていたドミニコ会のルイス・フローレス(Louis Florés, 1563? - 1622)とアウグスティノ会のズニガ(Pedro de Zuñiga, ? - 1622)の救出を企て、1620年10月に彼らが捕らえられていた牢へと侵入しますが、解放に失敗し自らも捕縛されそうになるところをすんでのところで逃れています。最終的にリチャードは1621年11月に捕らえられ長崎の牢へと送られたのち、1622年1622年9月、長崎の刑場で火刑に処されました。

 本書は、全12章構成でリチャードの生涯と1867年の列福、その後の影響についてまとめたもので、第6章から第9章において日本での活動と殉教について記されています。リチャードは、イエズス会に比べて日本での勢力が小さかったフランシスコ会士として活躍した人物ということもあってか、これまでの研究で取り上げられることがほとんどなかったと思われる人物です。しかしながら、禁教政策が極めて厳しくなりつつあった時期に長崎で多年にわたり潜伏しながら活動を続けたリチャードの伝記は、当時の日本の状況を知る上でも示唆に富んだ大変貴重なものと思われます。

リチャードの立像の写真が口絵にある。
タイトルページ。
日本での活動と殉教の場面はリチャードの書簡を引用しながら特に詳細に論じられている。
裏表紙。