書籍目録

『アジア、アフリカ、アメリカ、そしてヨーロッパで活躍した信仰篤きポルトガルのイエズス会士録』

フランコ

『アジア、アフリカ、アメリカ、そしてヨーロッパで活躍した信仰篤きポルトガルのイエズス会士録』

1720年 ウィーン刊

Franco, Antonio.

ANNUS GLORIOSUS SOCIETATIS JESU IN LUSITANIA, Complectens Sacras Memorias illustrium Virorum, qui virtutibus, sudoribus, sanguine Fidem, Lusitaniam, & Societatem JESU, IN Asia, Africa, America, ac Europa...

Wien, Joannis Baptistae Schilgen(, Universitatis Typographi), M.DCCXX.(1720). <AB201840>

Sold

4to (16.0 cm x 20.9 cm), Text in double column. Title, 3 leaves, pp.1-92[i.e.91], 92-108[i.e.208], 209-312, 305-312(duplicate), 313-425[i.e.525], 526-780, 11 leaves (INDEX), Contemporary gilt decorated leather, gilt-edged.
革装丁の両面にハプスブルク家の紋章を形どった思われる双頭の鷲の箔押装飾、三方金。装飾金箔の一部に退色、旧蔵機関によるラベル貼付、革装丁の角、背上部と下部の革の一部に痛み、欠落あり。

Information

 本書は、世界各地で宣教活動に貢献した、ポルトガルを中心としたイエズス会士の伝記を網羅的に収録した人名録のような書物です。著者のフランコ(Antonio Franco, 1662 - 1677)はエヴォラ大学の人文学と修辞学の教授で、『ポルトガルのイエズス会年代記(Synopsis Annalium Societatis Jesu in Lusitania ab Anno 1540 usque ad Annum 1725. 1726)』をはじめ、イエズス会士の伝記や歴史関連資料を数多く編纂したことで知られています。本書は2段組で800ページに迫る分量を誇る大部の著作で、膨大な数のイエズス会士の記録が収録されており、それぞれの人物の帰天(逝去)日の順に1月から12月の日付に沿って配列されています。

 本文中には日本に関係する記事を数多く発見することができ、掲載されている日本にゆかりのある宣教師や日本人に関する記事は相当な分量に登ります。店主が気づいたものをざっと挙げてみるだけでも次のような記事を確認できます。カッコ内の数字は、本書における掲載冒頭頁数です。

 ザビエル(722頁)をはじめとして、天正遣欧使節の企画ほか東インド管区巡察使として多方面で活躍したヴァリニャーノ (Alessandro Valignano, 1539 - 1606)(19頁)

徳川家康にも謁見し、日本人奴隷売買の禁止や日本人聖職者の育成、教会制度の整備に尽力したセルケイラ(91頁)

日本に長らく滞在し活躍したものの、1633年に拷問を受けて棄教し沢野忠庵と日本名を名乗り禁教政策を手助けしたフェレイラ(Cristóvão Ferreira, 1580 - 1650)(231頁)

日本準管区長で1634年に殉教したセバスチャン・ヴィエラ(Sebastian Vieira)(315頁)

織田信長や豊臣秀吉からの信頼が厚かったとされ、多くの報告書のみならず、長大な『日本史(Historia de Iapam)』を遺したフロイス(Luís Fróis, 1532 - 1597)(380頁)

ザビエルの命を受け来日し、豊後や平戸で活躍、教理問答書の完成に尽力したガーゴ(Balthasar Gago, ? - 1583)(14頁)

アリストテレスの天文学と世界観を天草のコレジョのためにラテン語で書いたテキスト『天球論』によって初めて日本に伝え、のちに日本準管区長も務めたゴメス(Pedro Gomez, 1533 - 1600)(50頁)

足利義輝に謁見して京都での教会設立に尽力し、堺では高山右近親子に洗礼を授けたヴィレラ(Gaspar Vilela, 1525? - 1572)(234頁)

東北地方での宣教活動に大いに貢献しながらも1624年に仙台で殉教したカルヴァリョ(Diego Carvalho,1578 - 1624)(106頁)

ザビエルと共に来日し、最初期の九州における宣教活動を行なったフェルナンデス(Juan Fernández, 1526 - 1567?)(359頁)

元和の大殉教についての報告書作成者として知られ、自らも1633年に中浦ジュリアンらと共に殉教したベント・フェルナンデス(Bento Fernandes, 1579 -1633)(568頁)

ザビエルから直接洗礼を受け、1553年にリスボンに渡り、日本最初のヨーロッパ留学生となった鹿児島のベルナルド(? - 1557)(710頁)

自力で日本から初めてエルサレムを訪ね、ローマで司祭に叙階されたペトロ岐部(1587 - 1639)(437頁)等々。

 上掲したものが全てというわけではなく、おそらくこれ以外にもまだまだ数多くの日本関係記事を確認することができると思われます。

 本書は、表題に日本を類推できるようなキーワードがないためか、国内研究機関での所蔵を確認することができず、これまでほとんど研究されたことがなかった文献のように思われます。著者のアントニオは、本書以外にも日本に関係する非常に重要な著作を残していますが、いずれも研究が十分に進んでいるとは言えないようですので、これまで見逃されてきた日本関係外書として研究価値が大いに見込まれる資料です。

 なお、本書は複数の所蔵者の手を経たことが貼り付けられた蔵書シールなどから類推でき、痛みが見られるものの刊行当時の非常に豪勢な装飾が施された装丁を保っています。ハプスブルク家の紋章と思われる双頭の鷲が金箔押しで形どられており、三法の小口も金に染められていることから、かつては相応に由緒ある所蔵者の元にあったことが推察されます。

タイトルページ。
本文冒頭。人物の帰天(逝去)日の順に1月から12月の日付に沿って2段組みで配列されている。
天正遣欧使節の企画ほか東インド管区巡察使として多方面で活躍したヴァリニャーノ (Alessandro Valignano, 1539 - 1606)
1633年に拷問を受けて棄教し沢野忠庵と日本名を名乗り禁教政策を手助けしたフェレイラ(Cristóvão Ferreira, 1580 - 1650)は、興味深いことに「殉教者」として扱われているように見える。
自力で日本から初めてエルサレムを訪ね、ローマで司祭に叙階されたペトロ岐部(1587 - 1639)
ザビエルから直接洗礼を受け、1553年にリスボンに渡り、日本最初のヨーロッパ留学生となった鹿児島のベルナルド(? - 1557)
旧蔵機関である「霊操文庫(Exerzitien-Bibliothek)」は、その名前からしてイエズス会関連の図書館と思われるが、店主には特定できす。
表裏面ともハプスブルク家の紋章と思われる双頭の鷲を金箔押しで装飾されている。
小口も全て金箔が施されている。