書籍目録

『日本におけるシュヴィーツ』ほか2作品(江戸・シュヴィーツ日本人協会劇脚本)

(エーベルレ)

『日本におけるシュヴィーツ』ほか2作品(江戸・シュヴィーツ日本人協会劇脚本)

(1860, 63, 65年) シュヴィーツ刊

(Ambros Eberle)

Schweiz in Japan. Großes japanesisch-schweizerisches Hof- und Volksfelt in Jeddo-Schwyz,...[bound with other 2 works by the same author].

Shwyz, A(mbros). Eberle und Söhne, (1860, 63, 65). <AB201834>

Reserved

13.0 cm x 19.5 cm. 3 works in 1 vol, First work: pp.[1(Title)-3], 4-30, Second work: pp.[1(Title)3], 4-40, Third work: pp.[1(Title)-3], 4-34. With long folding plate, Contemporary half cloth.

Information

今に続くスイス、シュヴィーツの「日本人劇」の記念すべき初回公演脚本

 スイスの中央部、チューリヒ近くにある小さな村であるシュヴィーツ(Schwyz)で、150年以上にわたって今日に至るまで続けられている「日本人劇(Japanesenspiel)」については、これまであまり知られていないのではないでしょうか。本書は、この「日本人劇」の記念すべき初回公演(1863年)、ならびに、その前回にあたる「日本人劇」以前の謝肉祭劇(1860年)、そして第2回「日本人劇」(1865年)の3作品の脚本を1冊に合冊したものです。

 シュヴィーツで「日本人劇」が始まったのは、なんと150年以上も前の1863年のことです。村民の娯楽と教養のために謝肉祭の時期に合わせてサーカス・カーニバル(Circus Carneval)と題した演劇の上演を1857年からシュヴィーツでは行っていましたが、この演劇の素材に日本を選んで最初に上演されたのが、1863年の『日本のスイス(Die Schweiz in Japan)』です。この作品を含む本書に収録されている3作品を手がけたのは、シュヴィーツのエーベルレ(Ambros Eberle, 1820 - 1883)なる人物です。シュヴィーツ出身の日本研究者インモース(Thomas Immoos, 1918 - 2001)は、その著作で「日本人劇」を取り上げながら、エーベルレを次の様に紹介しています。

「シュヴィーツの「日本人」は、ハンス・ザック以来近代ではじめてまとまった一連の謝肉祭劇を創作し、バロック劇を現代にもちこんだ。その登場人物は、ドイツの茶番劇やイタリアの即興喜劇の型にはまった人物ではない。全世界を糾合してまったく新しい人物群を創作したのである。この独特の魔法世界の創作者、「日本人」の生みの親は、アンブロース・エーベルレ(1820-1883)といい、州政府の事務局長でまたジャーナリストであって、シュヴィーツ州を新しい連邦国家と結びつけることにとくに功績があった人である。のちに連邦議員となり、また世界に有名なグランドホテル・アクセンシュタインを建てた。」
(T.インモース著 / 尾崎賢治編訳『変わらざる民族』南窓社、1972年、94頁)

 アンベール(Aimé Humbert-Droz, 1819 - 1900)を特命全権公使とする通商条約締結のためのスイス遣日使節団がオランダ軍艦に乗って派遣されたというニュースは、スイス国内、そしてシュヴィーツにおける異国の地、日本に対する関心を急速に高め、こうしたことを背景に本作品が作成されたものと思われます。
 
 この作品は、日本の首府である江戸(Jeddo)の皇帝である大君を主人公にした全5幕からなる風刺喜劇で、インモースの著作でその概略が紹介されています。

「第一幕 日本の大君が、殿様と人民をつれて、乳しぼりの都江戸に入る。(中略)シュヴィーツの「日本人」はいまなお「大君万歳」と殿様に挨拶する。
 そのあと通訳者と国家油差役の対話が終わりまでつづくが、油差役人たちは油の罐をぶらさげており、ありとあらゆる国家の高官たちを代表しているが、油をさす、つまり賄賂を使うことにより、人民たちを服従させている。
 
 第二幕 ヨーロッパ各国の使節が宮廷にあらわれて、大君よりもてなされる。このレビューの場面で、いろいろの国民について批評が取沙汰される。
 
 第三幕 ヨーロッパから戻った日本の使節の登場。つづいてインドの手品師、楽師と踊子、舞妓たちも来て、さいごに宮廷全体が目かくし遊びをやる。目かくしされたシュヴィーツの使節は、いまやあらゆる国々から、よってたかってこずかれ、なぶられる。あげくのはてに、目かくしを投げ捨てて叫ぶ。
  地球の宝はみなうせろ−
  スイスのふるさとが最上だ!
 
 第四幕 郵便配達が至急電報をとどけ、スイスの使節たちの到来を告げる。使節は6等立ての馬車でのりつける。つまりスイス使節を江戸湾へ運んだオランダの軍艦はあきらかに舞台へのせかねたのだろう。ところで使節は宮廷でスイスの地理を語り、国境を指さしながら隣りの国々についてだいぶ悪評をとばす。その国々の使節たちは怒るが、通訳の機智によって、交渉はひきつづきおこなわれる。一種のレビューのうちに、スイスの全州が皮肉られてゆく。
 ついで使節たちが天皇に贈物をささげる盛大な場面となる。ところが愚かにもスイスの使節は、東洋の君主を傷つけるような贈物をえらんだので議論がおこり、天皇は愚かな使節を火あぶりに処すと宣言する。

 第五幕 「危機は転ぜられ、盛大な結婚式で終わる。」刑の刀を用意しているうちに、音楽はアルプスの牧歌を奏で、スイスの農民たちが笛や太鼓をもって登場、木靴をはき、皮のチョッキをつけ、「日本人」の道化芝居をまとめあげてゆく。その芝居はスイス万才で終わり、「公衆は、あすがまた週日であることを喜んでいる。」
(前掲書、91,92頁)

 これが大変好評を博したために、定期的に「日本人劇」を開催するための組織として「江戸・シュヴィーツ日本人協会(Japanesen=Gesellschaft in Jeddo-Schwyz)」が設立され、その会長を「ヘゾヌゾデ1世」としました。「ヘゾヌゾデ」とは、母音で終わる日本語の独特の音韻にヒントを得た擬似日本語のようで、本書の標題紙には、「ヘゾヌゾデ!(He=so=nu=so=de!)」という文字が見えます。こうして定例行事となった「日本人劇」は、その後定期的に上演が行われ、それは今にも続いており、2019年にも新たな作品の上演が予定されています。

 宮下啓三氏の論文によりますと、「日本人劇」とは、現実の対象としての日本を題材としているのではなく、その時々のスイスを取り巻く状況を批判的、歴史的に見るための「外部」としての役割を与えられており、娯楽的要素と共に、郷土愛、アイデンティティを確認するという役割も劇には認められるそうです。

「伝統の出発点になった1863年の『日本のスイス』では、スイス政府と議会による日本への外交交渉使節派遣という時事問題がテーマとされて、一貫した筋を持つ劇を成り立たせた。2回目以降は、もはや日本は謝肉祭の日だけのシュヴィーツの相性に過ぎず、日本国の「皇帝」とも呼ばれる「タイクン(大君)」は、劇を奉納された後に人々を楽しい行進に導く司会者に似た役割をつとめるようになった。日本と日本人を風刺したり揶揄したりする動機をそもそものはじめからシュヴィーツの人たちは持たなかった。
 2回目以降、スイスの歴史、とりわけ建国時代から伝承されてきた歴史物語が、重要な部分を占めるようになった。これに時々風刺が加わり、さらに現代のスイス人たちに対して、正しく生きよと呼びかけるメッセージが添えられた。無礼講の道化芝居出会って良いはずの行事であっても、健全なモラリズムが太い柱として内容を貫いていた。」((宮下啓三「日本国を舞台にしたスイス人たちの劇」『帝京国際文化』第20号、2006年所収)

 本書には、この「日本人劇」の記念すべき第1回公演の脚本である『日本におけるシュヴィーツ』だけでなく、その前回にあたる1860年公演(Der Kongreß und die Moden oder Grünliche Regulirung der Vergangenheit, Gegenwart und Zukunft.)、そして第2回「日本人劇」公演(Der Zürcher & Urner Fastnachtfahrt nach Schwyz im Jahre 1486.)の脚本が1冊に合冊されています。いずれの作品も
エーベルレによるもので、出版元自体がエーベルレ(とその息子)となっています。また、巻末には第2回「日本人劇」の舞台と衣装の様子を描いたと思われる長大な折り込みの図版が収録されており、当時の舞台の様子を視覚的に知ることができます。本書は、これまで資料上の制約もあってあまり知られることがなかった、「日本人劇」について、謝肉祭劇から「日本人劇」へと発展していく最初期の過程を辿ることできる極めて貴重な資料ということができるでしょう。

「日本人劇」となる前のエーベルレによる謝肉祭脚本のタイトルページ。
最初の「日本人劇」となった『シュヴィーツにおける日本』タイトルページ。「ヘゾヌゾデ!(He=so=nu=so=de!)」という文字が見える。
『シュヴィーツにおける日本』冒頭部分。
『シュヴィーツにおける日本』に続いて、第2回「日本人劇」となった1865年の脚本タイトルページ。
巻末には第2回の舞台、衣装を描いた長大な折り込み図版が収録されている。
当時の装丁と思われる花柄の空押しを施したクロス製本。