書籍目録

『カンパーナ氏による世界の歴史 第2巻 1580年から1596年』

カンパーナ (天正遣欧使節)

『カンパーナ氏による世界の歴史 第2巻 1580年から1596年』

改訂第2版 1597年 ヴェネチア刊

Campana, Cesare.

DELLE HISTORIE DEL MONDO, DESCRITTE DAL SIG. CESARE Campana, Gentil'huomo Aquilano, VOLVME SECONDO, Che contience Libri Sedici. ...dall' Anno 1580. fino al 1596....

Venetia, Francesco de' Franceschi, & Giorgio Angelieri, M. D. XCVII. <AB201832>

Sold

Second edition.

Large 8vo (17.0 cm x 22.0 cm), Title, 41 leaves, pp.[1], 2-689, 692[i.e.690], 693[i.e.691],692-774, Contemporary full calf.

Information

天正遣欧使節、二十六聖人殉教についても論ずる1580年から96年までの「世界史」

 本書は、1580年から1596年までという非常に限定された期間を対象とした「世界史(DELLE HISTORIE DEL MONDO)」として著されたものです。この「世界史」という語は、いわゆる「普遍史」から発展した歴史観の一つで、世界中のあらゆる出来事を編年体で網羅的に記述しようとする試みを指しています。「普遍史」とは、キリスト教圏における代表的な歴史観の一つで、聖書に書かれている記述を世界のあらゆる地域、あらゆる時代を包括する普遍的な記述として理解し、聖書に基づいて「普遍的な」歴史を描こうとする試みで、中世以降の長い伝統を有しています。大航海時代以降の地理的発見やイエズス会の世界各地への派遣によってもたらされた世界の地理情報は、結果的に「普遍史」を揺るがし、あるいは「世俗化」させ、やがて現代の「世界史」に通じる、客観的な編年体の歴史記述へとなっていきます。こうした文脈において、17世紀初頭に刊行された「世界史」に属する書物には、「新大陸」アメリカや、日本や中国といった東方アジアについての出来事についての記述が散見されるようになります。本書もまさしくそうした書物の一つで、日本に関する記事、特に天正遣欧使節のヨーロッパ歴訪に関する記事や、1587年のいわゆるバテレン追放令に伴う迫害事件についての記事を多く含んでいます。

 店主の確認できる限りの範囲ですが、本書には少なくとも下記のような日本関係記事が収録されています。

89頁〜(1582年:天正遣欧使節の日本出発、ヴァリニャーノ)
118頁〜(1584年:天正遣欧使節のスペイン(フェリペ2世)訪問)
154頁〜(1585年:天正遣欧使節のローマ(グレゴリオ13世)訪問)
247頁〜(1586年:豊後の大友宗麟の苦境とイエズス会への厄災)
273頁〜(1587年:関白殿(QUabacundono)によるキリスト教弾圧の開始)
321頁:(1588年:天正遣欧使節の澳門帰着) 

 本書の著者であるカンパーナ(Cesare Campana, 1532 - 1606)についての詳しいことは分かりませんが、本書をはじめとした歴史叙述に類する著作が多数残されていることが知られています。本書はタイトルからもわかるように、「第2版」「第2巻」とされていますが、本書刊行の前年1596年に単独の書物として刊行されていたものを改定して(第2版)、全2巻構成として再企画し、「第2巻」として刊行されたものです。「第1巻」は、1570年から1580年までを扱い、本書から2年遅れた1599年にようやく刊行されています。

 1年を1章とし全16章構成で本書は書かれており、イタリアやフランスを中心としたヨーロッパのカソリック諸国を中心としながら、アメリカや中国、日本における出来事も扱っています。本書が対象としている年代は、執筆当時からわずか15年ほどしか経過していないため、いわば同時代人による「現代史」として、著者から見た世界の出来事が論じられています。その中で、日本についての記事が登場することは大変興味深く、ヨーロッパの同時代人に当時の日本の状況がどのように解釈されていたのかを本書に書かれた様々な記事から読み取ることができます。

タイトルページ。上部に一部痛みがある。
人名と事項の索引が冒頭にある。
本文冒頭。欄外の小見出しに対象地域と年、トピックが記される。
1585年は冒頭から天正遣欧使節のローマ到着に関する記事が登場する。
使節がもたらした書簡など、かなり詳細に記されている。ドン・バルトロメオ(D. Bartholomeo)とは大村純忠のことで、彼は甥の有馬晴信の従兄弟である千々石ミゲルに書簡を託した。
関連してザビエルが開始した日本布教全体の様子についても言及される。
1587年の日本の記事冒頭部分。関白殿(Quabacundono 豊臣秀吉)によるキリスト教弾圧について記されている。
巻末部分。初版に使われたデバイスと1596年の刊行年が記されている。