書籍目録

『日本への旅:あるいは自然、地理、歴史的諸関係からの知見に基づく日本帝国の記述』第3巻

シーボルト

『日本への旅:あるいは自然、地理、歴史的諸関係からの知見に基づく日本帝国の記述』第3巻

ロシア語版 第3巻 1854年 サンクトペテルブルク刊

Siebold, Philip Franz von.

Путешествiе по Японiи : или Описаніе Японской Имперiи, въ физическомъ, географическомъ и историческомъ отношенiяхъ Ф. Зибольда... (Библиотека путешествий 3)

Санктпетербургъ (St. Petersburg), А. Д.митриева, 1854. <AB201831>

Price upon request

Russian edition. 3rd vol. of 3 vols.

12.5 cm x 18.0 cm, Series Title,Half TItle, Title, Front., pp.1-264, 1-96, with 1 folding map, Original publishers pictorial card boards.
地図の一部に破れがあるも修復は容易と思われる。

Information

実質的にフランス語版から直接翻訳された唯一のロシア語版となる第3巻 「日本辺界略図」収録

 江戸時代に来日した外国人で最もその名を知られる人物の一人である、シーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)による主著『日本(Nippon. Archiv zur Beschreibung von Japan und dessen Neben- und Schutzlandern. 1832-69.)』は、シーボルトが日本で積み重ねた膨大な研究成果とコレクションを元に刊行されたものです。『日本』は、それまでの日本研究を刷新する画期的な書物として計画され、当時新しい印刷技術であったリトグラフによる図版を豊富に交えた大型の二つ折り版(廉価版は四つ折り版)で、1832年から分冊形式での刊行が始められました。しかしながら、その計画があまりにも壮大であったことが災いして刊行資金は莫大なものになり、次第に配本が滞るようになってしまいます。その結果、20年近くの年月を費やしても完結させることができず、1851年の第13回配本をもって未完のままに配本を終えてしまうことになりました。シーボルトは開国後の日本に再来日してからも精力的に資料を収集し、何とか『日本』の完結を目指して奮闘しましたが、残念ながらそれを果たすことなく1866年に世を去ります。シーボルトの死後、ロンドンの今に続く古書籍商であるクォーリッチ(Bernard Quaritch, 1819-1899)が、シーボルトが遺した資料群(それまで配本した部分の売れ残りや、印刷済みであるにも関わらず配本できなかった蝦夷や琉球に関するテキスト、一部の図版)を買い取り、それらを再整理した上で、独自の校合(Collation)とタイトルページを作成して、1869年に改めて『日本』として刊行しました。これが俗に言う「クォーリッチ版」と呼ばれるものです。クォーリッチ版の『日本』は、分冊形式での配本済の本文や図版はシーボルトの手元に残されていたオリジナルをそのまま用い、それらに未刊のテキストと図版を追加して、全6巻、7章構成としたクォーリッチ版独自の編集がなされています。また、他言語への翻訳版としての『日本』は、原著の刊行と並行してすすめられたフランス語版がよく知られており、原著と同じく分冊方式で刊行がすすめられたものの最後まで刊行を続けることができず、わずかに図版12分冊とテキスト第1巻と第5巻のみが出版されました。

 本書はこうした複雑な出版事情を持つシーボルトの未完の主著『日本』の中でも珍しいロシア語訳版「第3巻」とされているものです。『日本』のロシア語訳版は、これまであまり知られることがなかったものですが、全8巻からなる「旅行叢書(Библиотека путешествий)」の1タイトルとして1854年に全3巻構成で出版されています。本書の表紙イラストに世界中の様々な人や動物、工芸品が描かれているのは、この叢書の特徴を端的に表しています。この叢書は、ロシアを含むヨーロッパ各国人が行った航海記や旅行記を集めて編纂したもので、そのうちの第1巻から第3巻が、シーボルトの『日本への旅』に当てられており、第4巻から第8巻まではロシア人による航海記やそれ以外のヨーロッパ人の遭難記などであったことが、本書の裏表紙の記載事項から読み取ることができます。 出版社のА. Д.митриеваは、当時のサンクトペテルブルクを代表する出版社であったようで、彼の父が1806年に工房を構えて以来多くの出版物を送り出し、特に挿絵をふんだんに盛り込んだ類の出版物に強かったと言われています。

 このロシア語版については、2017年に出版された宮崎克則『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』(花乱社)の第5章「『NIPPON』のロシア語版」において、詳しく言及されています。それによりますと、「全3巻」とされているこのロシア語版の第1巻と第2巻は、シーボルトの作品を翻訳したものというよりは、ジャンシニー(Adolphe-Philibert Dubois de Jancigny, 1795 - 1860)が、1850年にパリで刊行した『日本、インドシナ(Japon, Indo-chine. 1850)』をベースに手を加えながらロシア語に翻訳したものであるようです。ジャンシニーの『日本、インドシナ』は、シーボルトの『日本』を参照しつつ、既存の他の日本研究文献を複数組み合わせて、当時のヨーロッパにおける標準的な日本情報を整理した文献としてヨーロッパで広く読まれていました。宮崎氏は、ジャンシニーの『日本、インドシナ』と『日本』のロシア語版第1巻と第2巻は、その構成が酷似していることを指摘されています。また、宮崎氏の研究によると、『日本』ロシア語版に収録されている図版にはフランス語の標題が記載されていることから、これまで『日本』フランス語訳版の図版を底本にしているのではないかと考えられていましたが、ジャンシニーの著作に収録されている図版(シーボルト『日本』に範をとってジャンシニーの著作のために独自に作成されたもの)をそのまま用いていることが明白であるようです。その意味では、『日本』ロシア語訳版の第1巻と第2巻は、そのタイトルに反して厳密に言えばシーボルト『日本』の翻訳版とは言い難いものであるようです。

 それに対して、本書である『日本』ロシア語訳版第3巻は、その構成から見て、シーボルト『日本』フランス語訳版の第5巻のテキストを底本にしていることが明らかで、ロシア語訳版第1巻、第2巻とは違って、シーボルト『日本』の翻訳版と言える内容となっていることを宮崎氏は指摘されています。この第3巻が主として取り扱うのは、朝鮮半島と日本との関係とその歴史に関係する事項で、その目次を宮崎氏が前掲書において紹介されていますので、それを下記に示します(かっこ内は冒頭のページ数)。

第1章 朝鮮の漁師(1)
第2章 日本沿岸へと漂着した朝鮮人商人との面会(11)
第3章 言語と文字 (19)
第4章 語彙 面白くないので入れない(実際省略されている(引用者註))
第5章 朝鮮の詩(27)
第6章 朝鮮人、対馬の役人、釜山における日本召喚などから得た種々の情報(31)
第7章 韃靼国沿岸で難破して北京へ行き、そこから朝鮮を経て故郷に帰った日本の漁夫たちによる報告(『朝鮮物語』からの引用)(57)
第8章 朝鮮王国の制度、高官と廷臣 日中関係(日本の作品によるホフマンの作成した歴史的物語)(97)
第9章 朝鮮半島の歴史総説(101)
第10章 日本の作品による朝鮮半島・中国と日本の関係(131)
第11章 西暦200年日本の新羅遠征の伝説(245)(243の間違い(引用者註))
第12章 中国・朝鮮の辞書「類号」-朝鮮語訳および中国語の朝鮮読み併記-中国・朝鮮の辞書(253)

 本文は264ページまでが一区切りとなっており、以降は語彙集が96ページにわたって、新たにページづけがなされて収録されています。この目次を一見する限りでは、日本内部の事情を扱ったものではないことから、シーボルト『日本』の中心的なテーマからやや外れたテーマのようにも思えますが、これには、ロシアの極東進出政策において、朝鮮半島の実情と日本との関係を把握することが極めて重要であったことが深く関係しているものと思われます。本書が刊行されたのは、ロシアの極東進出において、日本の北方海域、ならびに朝鮮半島を含めた大陸北東部は極めて重要になりつつあった時期にあたり、ペリーに対抗するようにプチャーチン(Jevfimij Vasil'jevich Putjatin, 1803 - 1883)が日本に来航し、日露和親条約を締結したのは、本書刊行の翌年1855年のことです。こうした当時の国際情勢を考慮すれば、『日本』ロシア語訳版において、日本と朝鮮半島との関係を扱った部分だけがシーボルトの著作から直接ロシア語に翻訳されたのは、決して偶然ではないと思われます。

 本書の口絵は、シーボルトの『日本』でも有名な出島図ですが、これは先述のジャンシニーの著作に収録されていたリトグラフを再掲したもので、直接シーボルトの著作からとったものではありません。一方、巻末に収録されている日本地図は、宮崎氏が指摘されておられるように、ジャンシニーの著作に収録されている日本地図とは全く異なるもので、シーボルト『日本』に収録された非常に重要な地図「日本辺界略図」を直接参照して、地名を全てロシア語表記に改めたものです。「日本辺界略図」は、幕府天文方の高橋景保が1809(文化6)年に作成したもので、ロシアを含むヨーロッパ人にとって地理情報が不正確であったサハリン(樺太)を半島ではなく、島としてはっきり描いた、当時世界最新の日本北方図として、シーボルト『日本』に収録された地図の中でも最も重要な地図の一つとして知られています。他のほぼ全ての図版をジャンシニーの著作から借用しているロシア語版において、唯一新たに作成された図版が、「日本辺界略図」であったこと、またその地図が朝鮮半島と日本との関係を扱うロシア語訳第3巻の巻末に収録されているということは、この地図に描かれた正確な日本北方地域に対する、当時のロシアの関心が非常に強かったことを示しているように思われます。

 シーボルト『日本』は、原著、翻訳版を問わず現在では非常に入手が難しいことで知られる文献ですが、中でもロシア語訳版は非常に入手が難しく、特にこの第3巻は、第1巻、第2巻と比べても特に入手が難しいと言われています。本書のように、刊行当時のものと思われる叢書全体のイメージを反映した装丁を保っているものは大変珍しく、幕末の日露関係を再考する上でも大変重要な示唆を与えてくれる非常に貴重な資料ということができるでしょう。 

「旅行叢書」の第3巻として刊行されたもので、出版当時の貴重な装丁を保つ。
裏面は広告を兼ねている。
シリーズタイトルページ。
タイトルページ。旧蔵印が複数押印されている。
冒頭に口絵として有名な出島図が採用されている。
巻末に収録される折り込みの地図は、シーボルトが高橋景保から譲り受けた「日本辺界略図」を基にした図で、ドイツ語版「日本」を底図としながらも、表記や意匠は全てロシア語表記に変えられている。ケバの表現はドイツ語版、フランス語版のいずれとも異なっており、本書のために全く新規にこの地図が作成されたことが伺える。