書籍目録

『日本図案集:水彩画、漆器、磁器の絵付け、ブロンズ、エナメルアート、刺繍、織物、型紙などの日本美術から採った50の図案』

ドルメッチ

『日本図案集:水彩画、漆器、磁器の絵付け、ブロンズ、エナメルアート、刺繍、織物、型紙などの日本美術から採った50の図案』

[1886年] シュトゥットガルト刊

Dolmetsch, von H.

Japanische Vorbilder. Ein Sammelwerk zur Veranschaulichung japanischer Kunstprodukte aus den Gebieten der Aquarell=, Lack- und Porzellanmalerei, der Bronzetechni k und Emaillierkunst, der Stickerei, Weberei, Schablonentechnik u. 50 Tafeln nach japanischen

Stuttgart, Julius Hoffmann, [1886]. <AB2023182>

Reserved

22.6 cm x 33.4 cm, 1 leaf(blank), Title., 1 leaf(Vorwort), 50 plate leaves with tissue guards, Original decorative cloth
表紙の一部にシミが見られるが本文は良好な状態。

Information

ドイツにおける「ヤパニスムス」「ユーゲント・シュティール」運動に先駆けて刊行された画期的な図案集

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「1880年代半ばのドイツでは、日本の美術と工芸品の大量の輸入が始まった。世紀転換期以降にいたるまで、扇子や傘、陶磁器、提灯などの小道具そして花々をつけた枝の模様などが−18世紀の中国趣味の時代と同じく、往々にしてヨーロッパ人の好みに合わせて日本で製作されたものだった−室内装飾として用いられた。ドイツ絵画においてもこうした小道具が選ばれていた。(中略)
 日本の浮世絵と挿絵本のドイツへの輸入はますます増大し、また日本の平面装飾に関する出版物がつぎつぎに現れた。『芸術の日本』のドイツ語版である『日本的フォルムの宝庫』、あるいはフリードリヒ・デーネケンの『平面装飾のための日本モティーフ』(1897年、ベルリン)、ルイ・ゴンスの2巻本『日本美術』(1883年)、さらにはザイドリッツの『浮世絵の歴史』(1897年)などがユーゲントシュティール期の平面造形にとって日本的なフォルムとモティーフの貯蔵庫となった。
 歴史主義と初期ユーゲントシュティールにある植物=装飾の傾向を、E・クムシュは1891年の段階ですでに日本の木版画に見られる植物表現と関連づけていた。すでに1890年にはストラスブールで工芸学校が創立されていたが、その初代校長のアントン・ゼーダーは日本の版画を蒐集しており、「植物=装飾運動の先駆者」として自然研究を導入した。1886年にはかれによって決定版ともいうべき著作『美術と工芸における植物』がウィーンで出版された。」

「ユーゲントシュティールの芸術家たちが目指したのは、工業化時代の根無し草的存在である人間を再び自然の傍らへ引き戻し、そうすることで19世紀半ば以降の全世界を席巻しつつあった「魂を欠いた機械化と産業化」に対抗し、それに釣り合うものを生み出すことであった。人々はこの発展を停止させることを望んだわけではないが、機械的なプロセスの影響力のなかに「人間的なもの」が埋没するのを妨げたいと思ったのであろう。(中略)
 芸術家と審美家たちのあいだでは19世紀半ばより、いわゆる「原始的」な民族の芸術のなかに存在する直接性と奔放さ−ゴーガンがヨーロッパ人の意識のなかに持ち込んだようなそれ−が、求められていた。かれらには、東アジアの芸術と精神のあり方が、別種の現実についての解明を与えてくれるように思われたのだ。」

「日本的モティーフや装飾の源泉をユーゲントシュティールの芸術家たちに提供したのは、博物館にある日本の模範作品コレクションであった。ウィーンには1864年に、ロンドンのサウス・ケンジントン美術館[*現在のヴィクトリア&アルバート美術館]を手本に、オーストリア芸術産業博物館[*現在のオーストリア応用美術館]が、そしてハンブルクには美術工芸博物館が創立された。ユストゥス・ブリンクマン(1843-1915)がウィーンをモデルにして設立したハンブルクの博物館では(その名称は〈アーツ・アンド・クラフツ〉のドイツ語訳である)、日本の美術および染色用型紙についての書物を借り出すことができ、それらはユーゲントシュティールにおける平面装飾の造形にとって刺激を与えてくれる模範となった。オットー・エックマンとハンス・クリスティアンセン(1866-1945)は、ブリンクマンに促されて日本の作品を手本とする木版画の制作に向かった。ブリンクマンはハンブルク博物館のための買い付けの際には、やはりハンブルク出身の美術商ビングとの密接な協力のもとに仕事をした。かれはパリとロンドンの偉大なコレクションを手本にして、レベルの高い日本の美術、工芸品を自分の博物館に獲得するための苦労をいとわなかった。かれが日本の美術品を最初に買い入れたのは、1874年のウィーン万国博覧会である。」
(クラウディア・デランク / 水藤龍彦 / 池田祐子(訳)『ドイツにおける〈日本=像〉:ユーゲントシュティールからバウハウスまで』思文閣出版、2004年、62-63 / 69-70 / 71-72ページより)