書籍目録

『政治・自然・医学に関する魅惑的な異国事情(論)全5書(『廻国奇観』)

ケンペル

『政治・自然・医学に関する魅惑的な異国事情(論)全5書(『廻国奇観』)

1712年 レムゴー刊

Kæmpfer, Engelbert.

AMŒNITATUM EXOTICARUM POLITICO - PHYSICO-MEDICARUM FASCICULI V, Quibus continentur VARIÆ RELATIONES, OBSERVATIONES & DESCRIPTIONES RERUM PERSICARUM ULTERIORIS ASIÆ, multa attentione, in peregrinationibus per universum Orientem, collectæ,…

Lemgouiæ (Lemgo), Henrici Wilhelmi Meyeri, 1712. <AB2023177>

¥220,000

4to (17.3 cm x 21.8 cm), 口絵と2葉(pp.457, 458 / pp.679, 680)が欠落しており、2葉についてはファクシミリにて補填。図版3枚が欠落しており、これらもファクシミリにて補填。その他はテキスト中の図版も含めて完備。 詳細な書誌は下記参照。, Modern library brown cloth.
最近施されたと思われる簡易クロス装丁。ヤケ、シミ、鉛筆による書き込みが随所に見られるがテキストの判読等に支障なし。

Information

ケンペルによる独自の比較文化、文明論とも言えるユニークな論文57本が収録された生前唯一刊行された作品

本書の著者ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 – 1716)は、ドイツのレムゴー出身で、18世紀の西洋における日本研究書の金字塔である『日本誌』(The history of Japan)の著者として非常に有名です。『日本誌』はケンペル没後にその遺稿が第三者によって編纂、英訳された作品であるのに対して、本書はケンペルが生前自ら刊行した唯一のまとまった著作で、全57本にも上る論文が、900ページを越えるボリュームで収録されています。

 ケンペルはドイツ各地の大学で研究遍歴を続けながら、言語学、哲学、歴史学、地理学などの研鑽を積み、30歳になる1681年にスウェーデンへと渡り、1683年からは同国がモスクワ大公国とペルシャに派遣した外交使節団に随行しました。イスファンに2年近く滞在したケンペルは、道中やイスファンで見聞したことを記録し続け、この時の研究成果の多くが本書に盛り込まれています。イスファンからさらに旅を続けることを希望していたケンペルは、オランダ東インド会社の船医となって1689年にバタヴィアへと渡り、翌1690年には日本の出島商館付き医師として日本の地を踏みました。同年9月から1692年10月末までの2年余りを日本で過ごす中で2度の江戸参府も経験し、離日後はバタヴィアを経由して1693年にアムステルダムへと戻りました。

 ケンペルはヨーロッパに戻ってからすぐに著作の執筆と刊行に専念するつもりだったようですが、様々な事情により困難を極め、本書が刊行されたのはようやく1712年になってからのことです。ケンペルは1716年に世を去ってしまったことから、本書が生前唯一のまとまった刊行著作となりました。とは言え、本書はラテン語で900ページ以上に及ぶテキストと、ケンペル自身のスケッチに基づくものと思われる数多くの銅版画、木版画を駆使した図版で構成されていて、読者を圧倒するだけのボリュームで展開されている作品です。

 本書はタイトルに「全5書」とあるように全5部構成となっていて、ケンペルが10年近くに及ぶ旅の各地で見聞、考察したことをまとめた57本の論文が収められています。ケンペルは序文において、本書はより大きな作品のための試作論集に過ぎないことや、本書とは別に日本についての大部の研究書を刊行予定であることを断っていますが(b3)、それでも本書に多数収録された日本研究論文は非常に充実した内容となっています。

 日本に関連する論文として最初に掲載されているのは、第2部13章(466ページ〜)にある日本の製紙について研究で、この論文には和紙の原料となる「楮」をはじめとした漢字表記も交えた図版も掲載されています。また、第5部(765ページ〜)も全て日本の植物研究となっていて、ここでも多くの植物図版が収録されており、ケンペルがバタヴィア滞在時に親しく交流していたクライアー(Andreas Cleyer, 1634 - 1697)やマイスターといった、オランダ商館関係者の日本植物研究先学の影響が見られると同時に、それらを最大限に活用して、日本の植物名や表記、植生、用法などを数多くの図版とともに詳しく解説しています。日本の植物を日本語(長崎)の発音そのままに記録して漢字と共に掲載するというケンペルの手法は、クライアーやマイスターがすでに採っていたもので、彼らから直接教示を受けたケンペルは彼らが着手した日本の植物研究をさらに大きく発展させたということができるでしょう。このほかにも第3部第11章(582ページ〜)と第12章(589ページ〜)には日本と中国の「艾」(Moxa)や鍼灸による治療に関する論文が灸所鑑などの図版と共に収録されており、さらに同13章(505ページ〜)は日本の「茶」(Tsja)を論じた論文で、茶の実、茶道具の図版などが収録されています。

 また、第2部14章(478ページ〜)に掲載されている「他国の市民、ならびに諸外国民の入国と交流を、最も最良の形で閉じている日本王国について」(Regnum Japoniæoptimâ ratione, ab egressu civium, & exterarum gentium ingressu & communione, clausum)と題された論文は、のちに「鎖国論」として後年日本でも知られることになる日本の対外政策の是非を考察した論文です。この論文に限らず本書に収録されている日本に関する論文は、のちに『日本誌』が編集される際に英訳されて盛り込まれることになり、『日本誌』オランダ語訳版が江戸時代の日本にもたらされることでその内容が同時代の日本でも知られることになりました。なお、この論文では「日本(Nipòn)」「京(Kjo, seu Meáco)」、「江戸(Jedo)」等のユニークな漢字表記も見られます(481,482ページ)。このユニークな漢字表記はこの論文に限らず他の多くの日本に関する論文でも随所に見ることができますが、『日本誌』にこれらの論文が英訳されて転載される際には採用されなかったようですので、本書でのみ見ることができるものと思われます。

 本書は、『日本誌』に先立つケンペル自身が編集を行い生前に刊行した作品として、これまでも非常によく知られていますが、その全体像が紹介されたことはあまりなく、日本以外の地域を扱った論文の内容や、それらを踏まえた上での日本関係論文の位置付けなど、興味深いテーマがまだまだ残されている作品のように思われます。例えば日本における喫茶文化を紹介した次の論文では中東で広く見られる水煙草が紹介されているなど、本書ではケンペルによるユニークなある種の比較文化、文明論が展開されていて、日本研究に特化した『日本誌』には見られない本書ならではの魅力ではないかと考えられます。また、本書に収録された日本関係論文が『日本誌』に英訳されて転載される際に、脱落、変更された箇所があることにも鑑みると、独立した作品としての本書の研究価値は小さくないものと言えるでしょう。

 この1冊は、残念ながら口絵と2葉(pp.457, 458 / pp.679, 680)と図版3枚が欠落していますが、2葉と図版3枚についてはファクシミリにて補填されており、その他はテキスト中の図版も含めて完備していることから十分実用に耐える状態にあります。なお、詳細な書誌情報下記の通りです。


LACKING Front., Title., 8 leaves, pp.[1, 2], 3-178, [179](Plate), 180-196, [197](Plate), 198-308, [309](Plate), 310, [311](Plate), 312, [313](Plate), 314-322, [323](Plate), 324-328, [329](Plate), 330-332, [333](Plate), 334-336, [337](Plate), 338-340, [341](Plate), 342-343, [344](Plate), 345, 346, [347](Plate), 348-354, [355](Plate), 356-358, [359](Plate), 360, 361, [362](Plate), 363-406, [407](Plate), 408-420, [421](Plate), 422-439, [440](Plate), 441-456, LACKING 457 & 458(Supplied with a facsimile leaf), [459](Plate), 460-471, [472](Plate), 473-476, [477](Plate), 478-509, [510](Plate), 511-535, [536](Plate), 537-547, [548](Plate), 549-566, [567](Plate), 568-582, [583](Plate), 584-600, [601](Plate), 602, 603, 504(i.e.604), 505(i.e.605), [606](Plate), 607, 508(i.e.608), [609](Plate), 610-628, [629](Plate), 630-678, LACKING 679 & [680](Plate)(Supplied with a facsimile leaf), 681-732, [733](Plate), 734-740, [741](Plate), 742-770, [771](Plate), 772, 773, [774](Plate), 775-781, [782](Plate), 783-791, [792](Plate), 793, 794, [795](Plate), 796, [797](Plate), 798-801, [802](Plate), 803, [804](Plate), 805, [806](Plate), 807, 808, [809](Plate), 810-812, [813](Plate), 814, [815](Plate), 816-818, [819](Plate), 820-823, [824](Plate), 825-828, [829](Plate), 830-837, [838](Plate), 839-841, [842](Plate), 843-845, [846](Plate), 847-850, [851](Plate), 852-859, [860](Plate), 861-864, [865](Plate), 866-868, [869](Plate), 870-873, [874](Plate), 875-878, [879](Plate), 880, [881](Plate), 882-888, [889](Plate), 890-892, [893](Plate), 894-901, [902](Plate), 903-912, 16 leaves(Index), (some folded) plates: [15], Facsimile Plates & map: [3].

かなり最近になって施されたと思われる簡易クロス装丁。
タイトルページ。残念ながら口絵は欠落している。
献辞文に続く読者への序文
第一部冒頭箇所。冒頭に各部に収録されている論文の一覧があり、これが目次代わりとなる。
ケンペル自身のスケッチに基づいて製作されたと思われる、銅版画、木版画が随所に収録されている。
第2部冒頭箇所。ここには2本の日本関係論文が収録されている。
第2部第13章は、日本の製紙法について紹介した論文となっている。
楮など植物から紙を製造するという日本の製紙法は、ボロ布などの木綿からの製紙法しかなかった当時のヨーロッパにとって非常に新鮮なものであったと言われている。
第2部第14章は、のちに日本で「鎖国論」として知られるようになる論文で、日本の対外政策の是非についてユニークな視点から論じた作品。
この論文では「日本(Nipòn)」「京(Kjo, seu Meáco)」、「江戸(Jedo)」等のユニークな漢字表記も見られるが、他の多くの日本に関する論文でも随所に見ることができるユニークな漢字表記は、『日本誌』にこれらの論文が英訳されて転載される際には採用されなかった。
第3部冒頭箇所。ここでも3本の日本関係論文を見ることができる。
第3部第11章と第12章は日本と中国の「艾」(Moxa)や鍼灸による治療に関する論文が灸所鑑などの図版と共に収録されている。
同13章は日本の「茶」(Tsja)を論じた論文で、茶の実、茶道具の図版などが収録されている。
日本の喫茶文化の紹介に続いては、中東で広く見られる水煙草についての考察が収録されていて、嗜好品の比較考察のようになっている。
第4部冒頭箇所。ここには日本関係論文は含まれていないが、ケンペルがなそうとしていた壮大な研究全体像とその中における日本の位置付けを理解するためにも重要と思われる。
第5部はほぼ全て日本の植物研究となっている。
日本の植物を日本語(長崎)の発音そのままに記録して漢字と共に掲載するというケンペルの手法は、クライアーやマイスターがすでに採っていたもので、彼らから直接教示を受けたケンペルは彼らが着手した日本の植物研究をさらに大きく発展させたと言える。
第5部末尾と巻末の索引冒頭箇所。
索引に続いては正誤一覧が収録されている。
正誤一覧末尾。