書籍目録

『オランダ西インド会社船3隻による1721年の南方諸島と未知の南方大陸(テラ・アウストラリス)への航海記』

[ベーレンス] / (ロッヘフェーン)

『オランダ西インド会社船3隻による1721年の南方諸島と未知の南方大陸(テラ・アウストラリス)への航海記』

フランス語訳版 第2巻(全2巻中) 1739年 ハーグ刊

[Behrens, Karl Friedrich] / (Roggeveen, Jacob.)

HISTOIRE DE L’EXPEDITION DE TROIS VAISSEAUX, Envoyés par la Compagnie des Indes Occidentales des Provinces-Unies, AUX TERRES AUSTRALES EN MDCCXXI. TOME SECOND.

A La Haye(The Hague), (Aux depens de la )Compagnie, M. D. CC. XXIX.(1739). <AB2023152>

¥242,000

Edition in French. Vol.2 only (of 2 vols.)

8vo (9.8 cm x 15.2 cm), 1 leaf(blank), Half Title., Title., pp.[1], 2-254, 1 leaf(blank), Contemporary full leather.
刊行当時のものと思われる装丁で状態は良好。小口は三方とも朱染。

Information

オランダ西インド会社による最後の「未知の南方大陸」航海記に記された、著者の独自情報と視点に基づく「日蘭貿易論」

 本書は、オランダ西インド会社が当時その存在が信じられていた「未知の南方大陸」探索のために、1721年に派遣した3隻の船団の航海記をまとめた作品のフランス語訳版です。現在のオーストラリアから南極にかけての太平洋南海域に、まだ西洋人に知られていない人々の住む未知の大陸が存在するという「未知の南方大陸」(Terra Australis Incognita) 伝説は、大航海時代の早い時期から広くヨーロッパに流布していましたが、南北太平洋の航海、探索が次第に進むにつれてその信憑性が疑われるようになっていました。この「未知の南方大陸」を探索するための探索航海として、オランダ西インド会社の命を受けたロッヘフェーン(Jacob Roggeveen, 1659 - 1729)は、3隻の船団(Arend / Thienhoven / Afrikaansche Galey) を率いて1721年にアムステルダムを出発し、南米大陸を南下してから太平洋を南西へと進みながら「未知の南方大陸」を探し続けましたが、最終的にオランダ東インド会社の管轄する海域に至るまで発見することができず、乗組員の半数以上が死亡するという大きな犠牲を払いながらその使命を果たすことができませんでした(ただし「イースター島」をヨーロッパ人として初めて「発見」するという副産物を生みました)。本書は、この航海についての記録をまとめたもので、航海士の一人として参加していたベーレンス(Carl Friedrich Behrens, 1701 - 1750)によって執筆されています。この著作が大変興味深いのは、日本についてそれなりにまとまった独自情報を提供していることで、バタヴィアに滞在した際にオランダ東インド関係者やその他現地の人々などから収集したであろうと思われる情報を用いて、当時苦境に陥っていた日蘭貿易と日本におけるオランダ人の処遇についてユニークな論考が収録されています。

 ベーレンスの著作はまずドイツ語でかかれ1728年にフランクフルトとライプチヒで刊行されたと言われています(店主未見)。この1728年板は、さらに増補拡張してタイトルを一部変更して1737年に新たに刊行されていて(Reise dürch die sudlander. Frankfurt / Leipzig, 1737)、この1737年版を底本としてフランス語訳したものが本書であると思われます。このフランス語訳は全2巻本として刊行されていますが、本書のこのうちの第2巻にあたるものです。フランス語訳版の第2巻は、主に「未知の南方大陸」探索が上手くいかず、オランダ東インド会社管轄下のバタヴィア付近に滞在していた(ベーレンスらはバタヴィアにおいて、彼らの航海がオランダ東インド会社の独占権を侵害するものとして束縛され、積み荷を没収されるという憂き目にあっています)先の記録が収録されていて、当時のオランダ東インド会社による東南アジア貿易や日中貿易、そして日蘭貿易についてのベーレンスによるユニークな論考が含まれています。

 ベーレンス自身は日本に赴くことはありませんでしたが、バタヴィア滞在時に日蘭貿易に関する情報を相当収集したものと見え、この第2巻の随所において日本について言及しています。中でも第30章(198ページから)の後半(201ページから)では、当初は巨額の利益を生み出していた日蘭貿易が近年ではごくわずかな利益を生むことしかできていないことを具体的なパーセンテージを挙げながら紹介し、その要因についても広東で活躍する中国人商人の活動や、日本の役人の厳しい対応など、非常に具体的な解説を行なっています。こうした情報は当時西洋で入手し得た既存の文献から得たものというよりは、明らかに現地関係者筋から得たものと思われることから、本書独自の内容ではないかと思われます。

 ベーレンスは、東インド諸地域において、日本におけるオランダの権力は最も微力なものにとどめ置かれていると述べ、オランダ東インド会社が出島に大砲を持ち込もうとしたものの、そのことが幕府の役人に露見されて厳しい処分を受けたなどという具体的なエピソードを交えながら、その理由についても著者なりの見解に基づいて述べていて、当時の多くの文献に見られるようなありきたりな日蘭貿易批判とは異なる、具体性のある情報に基づいたユニークな視点から論を展開しています。本書に見られる日蘭貿易についての考察は、本書全体の主題からは外れたものではありますが、実際にバタヴィアを訪れた人物による記述、しかも時にオランダ東インド会社と緊張、対立関係にあったオランダ西インド会社の関係者から見た批判的な考察として、独自性の高い記事であると言えます。

 ベーレンスの航海記は、のちに英語訳も出版されたようで、当時はそれなりの成功を収めるほどの売れ行きを見せたとされていますが、現在では原著ドイツ語版、本書であるフランス語訳版、そして英語訳版のいずれであっても、古書市場に出現することは滅多になく、非常に希少な書物となっています。こうした希少性もあってか、国内主要研究機関においてベーレンスの著作を所蔵する機関は、ほとんどみられないようで、彼の航海記の存在自体があまり知られていないのではないかと思われます。先に見たように、非常にユニークな情報源と視点に基づいて書かれたベーレンスの日蘭貿易論は、同時代の他の著作に見られないような独自の日本論とも言えることから、日本関係欧文図書として本書はあらためて注目すべき作品ではないでしょうか。