書籍目録

『日本・中国研究協会雑誌』(タイトル変遷あり)

ロニー / モンブランほか

『日本・中国研究協会雑誌』(タイトル変遷あり)

第2巻(全第1部と第2部の全2冊) 1878、1879年 パリ刊

Rosny, Leon...[etal.]

MÉMOIRES DE LA COMITÉ SINICO-JAPONAISE.

Paris, Ernest Leroux, 1878, 1879. <AB2023142>

Sold

8vo, 2 vols. Tome 1: pp.[1], 2-112. / Tome 2: Half Title., Title., pp.[113, 114], 115-208, Original paper wrappers.
綴じやカバーが外れている箇所、ヤケや染みがあるが、判読に支障ある箇所はなし。一部未開封の箇所あり。ビニールカバー(取り外し可)あり。

Information

ロニーを中心とする当時最新の日本研究が数多く発表された重要仏文稀覯雑誌。

 本書は19世紀後半のフランスを代表する東洋学者ロニー(Léon de Rosny, 1837 - 1914)が中心となって刊行された、日本と中国、そしてインドシナ地域等を対象した研究成果が発表された雑誌の第2巻に該当する2冊セットです。この雑誌には、歴史学、文学、民族誌学、言語学といった多岐にわたる当時最新の日本研究が数多く掲載されていて、同時代の日本関係欧文資料として注目すべき研究雑誌です。
 その執筆者には、ロニー自身はもちろんのこととして、幕末に薩摩藩と交流を深め明治以降は外交官として活躍したモンブラン(Comte Charles Montblanc, 1833 - 1894)、元軍医で外国人医学教師として新潟で医学教育に尽力したことで知られるヴィダル(Jean Paul Isidore Vidal, 1830 - 1896)といった多方面で活躍した錚々たる面々の名を見ることができます。
 また、日本自身からの研究報告が掲載されていることも特筆すべきで、ロニーが初代日本語教授となったパリ東洋語学校(Ecole spéciale de Langues Orientales Vivantes)で日本語講師を務めた今村和郎(Warau Imamura)、幕末に長州藩派遣留学生としてフランス、ベルギーに渡り法学を修め、帰国後は司法分野で要職を歴任した小倉右衛門(介)(Ogura Yémon, 馬屋原二郎の変名)らによる寄稿文を数多く見ることができます。

 本誌の刊行において中心的な役割を果たしたロニーは、十代半ばからすでに中国や日本に関する研究論文を発表し、19世紀半ば以降におけるフランスを代表する東洋学研究者として活躍しました。特に日本研究に対する関心が深く、1862年のいわゆる文久遣欧使節がヨーロッパを歴訪した際には使節らと親交を深め、福沢諭吉や福地源一郎などとも交流を続けています。1863年にフランス国立東洋語学校において最初の日本語講座が開設された際、ロニーは初代講師に任命(1869年に教授に任命)され、以後定年で1907年に退職するまでその職にありました。

 ロニーは、その多彩な研究活動を展開するために、多くの協会(学会)を設立してフランス内外からなる多くの研究家のネットワークを構築し、その研究成果の発表の場として、協会ごとに機関誌として数多くの雑誌を刊行しています。こうした多彩な顔ぶれとの他分野にわたるコラボレーションと並行して、ロニーは日本語テキストの執筆、刊行、単著の刊行も積極的に行い、夥しい数の研究成果を残しました。それゆえに、ロニーの多岐にわたる研究分野、内外のネットワーク、刊行された雑誌の変遷、といったロニーの研究像の全貌を把握することは容易ではなく、現在においてもなお精力的な研究が継続されています。

 こうした全貌が見えにくいロニーの研究活動において、とりわけその把握が難しいのが、雑誌刊行に関わる部分です。ロニーが設立に関わった協会は、その発展に応じて頻繁に名称を変更していて、またそれと合わせて雑誌名の変更、統廃合、或いは分化がなされたことから、どの雑誌にどのような分野の研究成果が掲載されていたのか、特定の雑誌がどのような変遷を辿ったのかを知ることが非常に難しくなっています。ロニーやそのネットワークによって展開された研究成果は、各雑誌に発表され、しかもそこでしか見ることができないものが多数あるにもかかわらず、現在ではその全貌を知ることが難しいという状況は、彼の関わった日本研究の全貌を知る上においても大きな障害となっています。

 ロニーによる日本を中心とした東洋学研究は、初期においては特定の地域に限定しない民族誌学研究機関において展開されましたが、研究の進展に従って次第に地域ごとに分化していきました。この複雑な展開を全て追うことは非常に困難ですが、彼による日本研究を中心課題とした機関と、その協会誌(本誌)の変遷を簡単にたどってみますと、次のように整理できます。

[1859年]
アメリカ・東洋民族誌学協会( Société d’Ethnographie américaine et orientale) 発足
→『東洋・アメリカ評論雑誌( Revue orientale et américaine) 』創刊

[1864年]
『民族誌学協会 (Société d’Ethnographie)』に改名、三部門が発足
①民族誌学一般部門 (Section Ethnographie générale)
②アメリカ考古学委員会 (Comité d’Archéologie américaine)
③東洋アテーネ (Athénée oriental)(*日本研究はここに含まれる)

 1859年にそれまで各種乱立していたフランスの東洋学研究を包括する形で、アメリカ・東洋民族誌学協会が発足し、協会誌として『東洋・アメリカ評論雑誌』が創刊されます。この雑誌は、その後協会が名前や組織を変更して行っても継続して刊行され続けています。さらに、1864年には民族誌学協会へと名前を変えて、①民族誌学一般を対象とする部門、②南北アメリカを対象とする部門、③それ以外の東洋全般を対象とする部門の三部門が設けられ、それぞれが独自に活動を展開していくようになります。日本研究は、このうち③の部門のもとに発展していくことになります。以下、さらにこの③の部門の変遷、ならびに本誌との関係を辿っていきますと次のようになります。

[1873年]
日本・中国・韃靼・インドシナを対象とする部門が独立
④日本・中国・韃靼・インドシナ協会 (Société des études japonaises chinoises, tartares et indochinoises)
→協会誌として『蓮(Le Lotus)』創刊

[1877年]
本誌第1巻が、1873年まで遡及(1873-76)して刊行される(『蓮』は本誌に合流・吸収?、本誌第5巻以降は「蓮」の表記が表紙に加えられている)。

[1880年]
本誌第2巻が、1878年まで遡及(1878-79)して刊行される。

[1884年]
本誌第3巻が、1880年まで遡及(1880-1884)して刊行される。

[1885年]
太平洋地域を対象に加え、協会名を「日本・中国・韃靼・インドシナ・太平洋研究協会 (Société des études japonaises, chinoises, tartares, indochinoises et océaniennes) 」へと変更。

本誌第4巻(1885)が刊行される。

[1886年]
本誌第5巻(1886)が刊行される。
表紙に「蓮(Le Lotus)」の表記が加わる(ただし、タイトルページ表記は変更されず)。

[1887年]
本誌第6巻(1887)が刊行される。誌名に、1885年の協会名変更に合わせて「太平洋」(oceeaniennes)が加えられる。

[1888年]
協会名を「中国・日本、太平洋協会 (Société sinico-japonaise et océanienne)」に変更。

本誌第7巻(1888)が刊行される(今回ご案内セットでは欠号)。
誌名から「太平洋」の記載が再び消える。

[1889年]
太平洋部門と、中国・日本研究部門が分化、それぞれ下記の協会として発足。
・太平洋協会(Société océanienne)
・民族誌学協会中国・日本研究委員会(Comité sinico-japonais de la Société d’Ethnographie)

本誌第8巻(1889)が、後者の協会誌として刊行される。
誌名を協会名に合わせて『日本・中国研究協会雑誌』へと変更。

[1890年]
本誌第9巻(1890)が刊行される。

[1891年]
本誌最終第10巻(1891)が刊行される。
第11巻以降は単著のシリーズ(叢書)として不定期に刊行された模様(第20巻までか?)で、雑誌としての刊行は、この第10巻が最終巻と思われる。

 一見すると非常に複雑で、誌名をたびたび変更していることから、その全体像がわかりにくくなっていますが、ロニーが中心となって運営していた日本と中国研究を任務とする組織の変遷とともにたどっていくと、一貫して本誌がその協会誌としての中心的役割を担ってきていたことがよくわかります。

 本書に収録されている日本関係記事は、店主がざっと目を通しただけでも下記のような記事を確認することができます。

* 「『日本外史』日本の独立した歴史。第1:源氏の歴史; 平氏の時代」(小倉右衛門(介)(Ogura Yémon, 馬屋原二郎の変名)訳・解説 / 1-40頁)
* 「日本の著名なカップル:『義烈百人一首』より抜書き」(ロニー訳・解説 / 99-112頁)
* 「中国と日本の固有名について」(バスティード(Louis Bastide, 1856 - 1914) / 115-118頁)
* 「『鳩翁道話』抜書き」(モンブラン(Comte Charles Montblanc, 1833 - 1894)訳・解説 / 135-153頁)
* 「日本の農業と産業の方法:『太布』」(Le Comte de Castillon 訳・解説 / 165-172頁)
* 「(日本の農業と産業の方法):『キノコの木(椎茸の原木)』」(Le Comte de Castillon, 今村和郎訳・解説 / 173-181頁)
* 「日本のカマイタチの迷信について」(ヴィダル(Jean Paul Isidore Vidal, 1830 - 1896) / 183-188頁)
* 「プフィッツマイヤー『日本語辞典』について」(著者表記なし / 189-190頁)
* 「日本研究会年次報告」(ロニー / 191-203頁)

なお、ロニー研究の最新の成果としては、下記の文献等が大いに参考となります。

Bénédicte Fabre-Muller...[etal.] (eds.)
Léon de Rosny: 1837-1914. De l'Orient àl'Amérique.
Presses Universitaires du Septentrion, 2014.

Noriko berlinguez-Kôno (ed.)
La genèse des études japonaises en Europe: Autour du fonds Léon de Rosny de Lille.
Presses Universitaires du Septentrion, 2020.

『レオン・ド・ロニーと19世紀欧州東洋学』
二松学舎大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「近代日本の「知」の形成と漢学」、2019年(非売品)

町泉寿郎(編)
『レオン・ド・ロニーと 19世紀欧州東洋学 :旧蔵漢籍の目録と研究』
汲古書院、2021年

第1巻表紙
『日本外史』:日本の独立した歴史。第1期:源氏の歴史; 平氏の時代」(小倉右衛門(介)(Ogura Yémon, 馬屋原二郎の変名)訳・解説 / 1-40頁)
モンブランによる「フィリピン諸島」
「日本の著名なカップル:『義烈百人一首』より抜書き」(ロニー訳・解説 / 99-112頁)
上掲続き。
論文末尾には「羅尼」(ロニー)の印章がある。
第1巻裏表紙
第2巻表紙
「『鳩翁道話』抜書き」(モンブラン(Comte Charles Montblanc, 1833 - 1894)訳・解説 / 135-153頁)
上掲続き。
上掲続き。
「日本の農業と産業の方法:『太布』」(Le Comte de Castillon 訳・解説 / 165-172頁)
「(日本の農業と産業の方法):『キノコの木(椎茸の原木)』」(Le Comte de Castillon, 今村和郎訳・解説 / 173-181頁)
「日本のカマイタチの迷信について」(docteur Vidal / 183-188頁)
「プフィッツマイヤー『日本語辞典』について」(著者表記なし / 189-190頁)
「日本研究会年次報告」(ロニー / 191-203頁)
第2巻裏表紙