書籍目録

「1597年2月5日長崎にて、信仰のために十字架に架けられ、槍で突き刺されたイエズス会士の福者、パウロ三木、ヨハネ五島、ディエゴ喜斎」(彩色銅版画)

ドリニー / (日本二十六聖人殉教事件)

「1597年2月5日長崎にて、信仰のために十字架に架けられ、槍で突き刺されたイエズス会士の福者、パウロ三木、ヨハネ五島、ディエゴ喜斎」(彩色銅版画)

1696年 ローマ刊

Dorigny, N(icolas).

B.B. Paulus Michi, Ioannes de Goto, et Iacobus Chisai Soc. Iesu pro Xpi fide Crucifixi, lanceisque transfixi Nangasachi V. feb. 1597.

Rome, s.n, 1696. <AB2023125>

¥385,000

35.2 cm x 45.2 cm, colored engraving, 1 leaf

Information

フランス、イタリア、イングランドで活躍した銅版画の名手によるパウロ三木らを描いた大型彩色銅版画

 この銅版画作品は、1597年2月に秀吉の命によって犠牲となったキリシタン信徒26名、いわゆる日本二十六聖人と呼ばれる犠牲者のうち、イエズス会士であった日本の信徒であるパウロ三木ら3枚の姿を描いたものです。彼らを描いた17世紀、18世紀の銅版画作品はいずれも希少で重要な作品ばかりですが、本図のように何らかの書物のから切り取られたものでない大型の銅版画で且つ彩色が施されているものは特に珍しく、大変貴重な作例と言えるものです。

 この時の犠牲者らは、当時の日本における一般的な処刑法であった磔(はりつけ)刑によって処刑されましたが、この処刑法はあたかもキリストその人が処刑された十字架の上での磔刑を彷彿とさせるものであったため、当時のカソリック教会関係者や信徒に大きな衝撃を与えました。犠牲者26名のうち23名がフランシスコ会関係者で、残る3名がイエズス会関係者でしたが、事件直後からフランシスコ会はこの処刑を輝かしい殉教であると喧伝し積極的に列福、列聖がなされるよう働きかけていたのに対して、イエズス会はそのような性急な判断には消極的であったと言われています。しかしながら、イエズス会も次第にこの犠牲者らを、特に自会の関係者であったパウロ三木ら三人の日本の信徒の顕彰に向けて積極的に動くようになり、両会やローマ教皇庁を中心とした様々な関係者の思惑が錯綜しながらも1628年についに彼らは列福を果たすことになりました。事件発生からわずか四半世紀余りという非常に短い期間で列福へと至った彼らへの崇敬の念は、この列福を機にしてヨーロッパ各地で一層高まることになり、彼らをモチーフにした絵画や銅版画作品が数多く生み出されることになりました。

本図もこうした彼らに対する崇敬の念の高まりを受けて製作されたものと思われる作品の一つで1696年にローマで印刷されています。彼らの名前の前には、1628年にローマ教皇によって福者に認定されたことを受けて、そのことを示す「B.B.」の文字が名前の前に付されていることが確認できます。描かれている3名はいずれも十字架を抱いており、これは先に述べたように彼らがキリストと同じく十字架の上で処刑されたことを象徴的に示したものです。イエズス会は彼らが3名であることに特に大きな意義を見出しており、単に十字架上で処刑されただけでなく、その際の人数までもがゴルゴダの丘の上で他2名と同時に(つまり合計3名)処刑されたキリストと同じであることを強調していました。この作品はイエズス会が彼らに見出していた意義や象徴的な意味が余す所なく見事に表現された作品であると言えます。

 本図はかなり大型の銅版画で厚みのある用紙に印刷されており、殉教録など何らかの書物に収録されていた挿絵ではなく、当初から独立した銅版画作品として製作されたものであると推定されます。当時のこのような銅版画作品としては珍しく美しい多彩色が施されており、何らかの修道院等で飾られていた一枚ではないかも思わされるものです。この作品を手がけたドリニー(Nicolas Dorigny, 1652 or 1658 - 1746)はフランスの銅版画家で、イタリアやイングランドでも活躍しており、本図のような宗教画作品や、貴族の肖像画作品などを数多く残している人物です。ドリニーによるこの作品は、現存数が少ないようで国内研究機関のみならず、海外の機関においても所蔵数が極めて限られているようです。しかしながらこの作品に見られるようなパウロ三木らの描かれ方やモチーフの選定は、後年の作品にも大きな影響力を与えたようで、類似のモチーフを採用した作品を他にも幾つか確認することができる他、彼らが1862年に聖者として認定された際には、その記念として本図が新たに翻刻(名前の前に聖者を表す「S.」を付与するなど一部を改変しつつ新たに作成)されていることも確認できます。