書籍目録

『中国水路誌:中国、朝鮮、韃靼沿岸と日本海、韃靼湾、アムールとオホーツク海、ならびにバブヤン等、バシー海峡、台湾、宮古島、琉球、マリアナ諸島、小笠原諸島、日本、サハリン、千島列島』

キング / イギリス海軍水路部

『中国水路誌:中国、朝鮮、韃靼沿岸と日本海、韃靼湾、アムールとオホーツク海、ならびにバブヤン等、バシー海峡、台湾、宮古島、琉球、マリアナ諸島、小笠原諸島、日本、サハリン、千島列島』

第3版 1861年 ロンドン刊

King, John W. / The Hydrographic Office, Admiralty.

THE CHINA PILOT. THE COASTS OF CHINA, KOREA, AND TARTARY; THE SEA OF JAPAN, GULFS OF TARTARY AND AMÚR, AND SEA OF OKHOTSK; AND THE BABUYAN, BASHÍN, FORMOSA, MEIACO-SIMA, LU-CHU, LADRONES, BONIN, JAPAN, SAGHALIN, AND KURIL ISLANDS.

London, (Printed for) The Hydrographic Office, Admiralty / (and sold by) J. D. Potter(, Agent for the Admiralty Charts), 1861. <AB2023117>

Sold

Third edition.

8vo (15.0 cm x 23.3 cm), pp.[i(Title.)-iii], 4, [v], vi-ix, pp.[1], 2-459, Original yellow cloth.
本文中にシミと書き込みが散見されるが判読に支障なく概ね良好な状態。[NCID: BA89483600]

Information

欧米諸国による東アジア進出に必要不可欠であった公式海事情報録 日本近海の海事情報を初めて独立した章で扱った第3版

「海図が見るための航路案内図であるならば、水路書誌は海図と併用することにより、海図では表現できない種々の要素を記述して、航路・港湾の案内をする指導書の役割を果たすものである。」
(海上保安庁水路部(編)『日本水路誌:1871〜1971 HYDROGRAPHY IN JAPAN』(財)日本水路協会、1971年、581ページより)

 本書は、イギリス海軍水路部によって刊行されていた、中国沿岸部や日本周辺といった東アジア周辺海域の情報をまとめた水路誌です。上記で言われているように、当該海域の海図と合わせて用いるためのもので、欧米列強諸国による東アジア進出に伴って航行する船舶が激増しつつあった当時にあって、あらゆる船舶がその航海において必要としていた、現在でいうところのナビゲーションのような書物です。「アジアの海の大英帝国」とも称されるように、当時イギリスは同海域において圧倒的な影響力を有し、周辺海域の情報を収集、整理してそれを公開するという責務を自らに課しており、その意味で、本書は当時最新で最も権威ある「アジアの海のナビゲーション」として広く用いられたと言える重要な書物です。

 イギリスにおける日本を含む東アジア海域の水路誌刊行は、中国近海までをカバーした『東インド水路誌』(Horsburgh, James. India directory, or, directions for sailing to India directory, or, directions for sailing to and from the East Indies, China, New Holland, Cape of Good Hope, Brazil and the interjacent ports. 2 vols. London, 1809-11) が最初期のものではないかと思われます。同書はイギリス東インド会社が実質的に監修していたもので、初版刊行以後も1850年代まで何度も改訂版が出されていて、当時、東アジア海域を航海する際に必携の水路誌であったと思われますが、日本近海の水路情報に関しては長崎(Nanga-Saque harbor)を中心とした極めて限定的でしかありませんでした。
 こうした状況にあって、初めて日本近海の水路情報を本格的に広く提供することになったのは、ペリー来航直前の時期にあたる1851年にフィンドレー(Alexander George Findlay, 1812 - 1875)が刊行した『太平洋航海水路誌』(A directory for the navigation of the pacific ocean)ではないかと思われます。フィンドレーは王室地理学協会のフェロー会員であったことが示すように海図製作者としての評価は極めて高く、フィンドレーによる海事関係の出版物は、海図、水路誌をはじめとして、灯台設備に関するものも含まれていて、当時のほとんどの海事関係者が彼の著作の影響(恩恵)を受けていたのではないかと思われます。『太平洋航海水路誌』はこのフィンドレーが、18世紀に遡る歴史を有する、地図、海図出版を中心に活躍していた老舗ローリー社(Richard Holmes Laurie)から刊行したもので、日本近海の水路情報を含む本格的な水路誌の嚆矢となりました。
 これに続いて1855年に、イギリス海軍水路部が東アジア海域の「公式」水路誌として初めて刊行したものが本書初版です。『チャイナ・パイロット』と題されたこの水路誌は、インドや東南アジア海域とは別個に、東アジア海域を独立して扱ったもので、これがイギリス公式の日本を含む東アジア海域を対象とした最初の水路誌となりました。この初版における日本近海の情報は、基本的にペリー日本遠征時の測量記録や、フランスのセシーユによる琉球周辺の測量記録を主要な情報源としています。1858年に刊行された第2版は、これらの情報をさらに精査しつつ、サラセン号による自国の測量調査なども盛り込んで情報の充実が図られました。そして、この第2版に続いて1861年に刊行された第3版である本書において、初めて日本が独立した章で詳述されるようになり、イギリス公式の水路誌として一つの大きな転換期を迎えることになります。

 通商条約の締結によって「開国」した日本は、それまでとは比較にならないほど数多く欧米船舶が往来するようになりますが、その一方で近代的な測量調査はほとんどなされておらず、その航海には多大な危険が伴っていました。こうした状況にあって、本書は英国海軍水路部が刊行する公式の最新水路誌として、その海図と併せて必須の航海ツールであったものと思われます。

 本書は冒頭に中国語の簡単な語彙集が掲載されており、航海に関連する項目や地名を理解するために必要な両国語の語彙がまとめられています。この語彙集は現代の視点から見ると誤りではないかと思われる語も多数含まれていますが、当時どのような語彙が航海に際して重要視されていたかを垣間見ることができる興味深いものです。
 これに続く冒頭の序文では、本書が参照した情報源、ならびにそれ以前の情報などが記されており、その末尾では本書で扱われる海域は広範囲に及んでおり、なお調査が不十分なところがあるため、読者にはその記述に誤りをみつけたり、新たな発見と思われる情報があれば速やかに告知を求める旨が記されています。

 本文第1章ではこの海域において注意すべき気象情報、具体的には台風や潮流などの概説がなされています。第2章から第6章までは中国沿岸各地の情報が詳述されており、本書が「China Pilot」と名付けられていることが納得できます。第7章は同じく中国沿岸各地の情報の続きですが、ここでは朝鮮半島の西部、南部沿岸の情報が含まれており、当時最も水路情報の調査が遅れていた同海域の記述に力点が置かれています。
 第8章はフィリピン北方から台湾(Formosa)、宮古島(Meiaco-sima)、琉球諸島(Lu-Chu Islands)が、続く第9章は琉球諸島の南西、東方、北方海域、ならびに八丈島など日本の南東海域にある島々の解説がなされており、また台湾と小笠原諸島(Bonin)と日本諸島近辺の特長的な気候、特に台風について改めて注意が喚起されています。
 第9章は、「日本と千島列島、ならびにカムチャッカの南西沿岸」(Japan and Kuril Islands, and south-east coast of Kamchatka)となっており、日本沿岸の情報が中心に論じられています。前述の通り、『中国水路誌』では、この第3版において初めて日本が独立した章で取り扱われるようになり、開国後に激増した欧米船の航行や各国の測量活動に比例して、日本近海の水路情報が急速に累積されるようになったことを物語っています。ペリーによる日本遠征によって広く知られるようになった「黒潮」(Kuro-siwo)についての解説をはじめとした気象情報に始まり「本州南東沿岸」(South-east coast of Nipon)では瀬戸内海の航路情報が中心に扱われていて、大坂湾(Ohosaka bay)、兵庫港(Port Fiogo)江戸湾(Yedo bay)などの情報が解説されています。
 続く「本州東岸」(East coast of Nipon)では江戸湾から津軽海峡に至る航路の解説が、「本州西岸」(West coast of Nipon)では主に日本海側の本州沿岸情報の解説が掲載されていて、新潟港(Port Niegata)や佐渡諸島(Sado islands) などの各地の情報を記されています。「九州西岸」(West coast of Iusiu)では、生月(Ykitsk)や平戸諸島(Firado islands)、長崎港(Nagasaki harbour)周辺といった九州沿岸の重要な海域の情報が掲載されています。
 続く「津軽海峡」(Tsugar strait)では、同海峡周辺だけでなく、開港場であった函館(Hakodadi)をはじめとして北海道南岸周辺の情報も掲載されています。また「千島列島」(Kuril islands)では、国後島(Kunasir island)や色丹島(Chikotan)などの各島周辺海域についての情報が個別に掲載されています。
 この第9章に続く第10章も「日本海」(Sea of Japan)と題して、オホーツクに至るまでの日本北方の広範囲な海域についての情報が掲載されています。ここでは未解明となっている海域が多いことに対する注意が喚起されており、ホーネット号(H.M.S. Hornet)やバラクータ号(H.M.S. Barracouta)による最新の測量状況などが概説された上で、各海域の個別情報が掲載されています。松島(Matu Shima)、リャンクール岩礁(Liancourt Rocks)、アルゴノート島(Tako Sima or Argonaut island)についての情報もここに掲載されており、アルゴノート島については「海図上では実在が疑わしいと明記」(marked doubtful on the charts)されており、「海図上で掲載されている位置には存在しない」(does not exist in the position assigned to it)と記しています。
 本書の巻末には、各地の潮汐表、緯度経度一覧、索引などが掲載されており、特定の地点の情報をすぐに検索できるようになっています。

 幕末から明治にかけて日本が体験した世界変動は、航海技術や蒸気船の登場といった技術上の劇的な発展だけでなく、海図や水路誌といった航海に不可欠なツールの発展によって初めて可能になったとも言えます。その意味では、実際に列強各国の船舶がどのような海事情報を収集、調査、共有して、その航路を選択し、日本を含む世界各地に進出していったのかを確認するために、当時の海事関連資料を調査することは極めて重要なテーマであると思われます。本書をはじめとして、当時の海図や水路誌といった海事関連資料は、当時の欧米諸国の様々なアクターが実際に航海を行う際に必要不可欠であった海事情報が、どのように形成されていったのかについて、重要な示唆を提供してくれる資料と言えましょう。

 本書はその刊行3年後の1864年には、早くも改訂第4版が刊行されており、この第4版ではさらに日本近海の水路情報が大幅に増補されています。海図や水路誌といった海事関連資料は、基本的に実用に供されたため汚損、破損することが多く、また最新性が常に求められるという資料の性格上、旧版は廃棄されてしまうことが一般的であったため、当時の発行部数の多さとは対照的に現存する数は極めて少なく、各版の記述や構成の変遷を辿ることは非常に難しくなってしまっています。その意味でも本書は貴重な1冊であると思われます。


「日本の存在を知った諸外国は争って日本沿岸に来航し、短時間ではあるが略測することによって諸港の港泊図を作成していた。ことにイギリスによるものが多く、それらが総合されて日本をめぐる離島の位置決定とともに、水路はおもむろに究明されていった。」
「水路誌を見ると、初版の「The China Pilot」(1855刊)に、初めて日本の記事が載り、それも九州に関して「この島はあまり知られていない」とし、甑島と女島の記事だけであった。覚え書として1846年のセシル(Cecille)によるフランスの遠航記録、付録としてアメリカのモーリー(Maury)による1854年の下田および函館における針路法が載せてはあった。
 同水路誌の第2版(1858刊)では、1851〜54年のアメリカ海軍の遠航記と、1855年のサラセン号による追加記事が含まれ、同第3版(1861刊)では「第10章、日本および千島列島」という章編に組まれるようになり、さらに同第4版(1864刊)では日本の記事が第12・第13・第14の3章にわたって記述されるようになっていた。」
(前掲書8-11ページより)