書籍目録

『イエズス会士フランシスコ・ザビエルの徳に満ちた生涯と彼の成した偉大な奇跡の数々について:インドにおいてキリストの教えを大きく広め、日本に初めて伝えたその生涯を六書にて記す』

トルセリーニ / フーベル(訳)

『イエズス会士フランシスコ・ザビエルの徳に満ちた生涯と彼の成した偉大な奇跡の数々について:インドにおいてキリストの教えを大きく広め、日本に初めて伝えたその生涯を六書にて記す』

ドイツ語訳初版 1615年 ミュンヘン刊

Torsellino, Orazio / Hueber, Martin(tr.).

Vom Tugentreichen Leben und grossen Wunderthaten B. FRANCISCI XAVERII der Societet IESV, so den Christilichen Glauben in India sehr erweitert und in Iapon anfängklich eingefürt, sechs Bücher. Erstlich von Horatio Tursellino der Societet IESV in Latein...

München, Nicolaum Henricum, M. DC. XV. (1615). <AB2023098>

Sold

First edition in German.

4to (15.0 cm x 19.8 cm), Front.(from other unknown work), Title. with a portrait of Xavier, 3 leaves(dedication), 2 leaves, pp.1-365, 356(i.e.366), 357(i.e.367), 368-556, 5 leaves(register), Modern three quarter white suede binding, skillfully repaired.
S3(pp.139, 140)に補修跡あり(欠損なく判読にも全く支障なし) 。染みが本文に散見されるが判読には支障なく、製本含め後年の丁寧な補修が施された良好な状態。[Sommervogel: Vol.8, p.141] [NCID: BA62072128] [Alt Japan Katalog: 1542]

Information

これまでほとんど言及されたことのない大変珍しいドイツ語訳初版

 本書は、16世紀に刊行されたフランシスコ・ザビエルの伝記として最も完成度が高く、また繰り返し再版されたことにより、類書中その影響力が最も大きかったと言われる伝記作品のドイツ語訳初版です。著者トルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 – 1599、Horatius Torsellinusはラテン語表記)はイエズス会の著作家として多くの書物を著していて、ザビエル没後、ザビエルが成し遂げたアジア宣教の偉大な足跡を含めた彼の詳細な伝記調査と記録の出版を求める声が次第に高まりつつあったことを受けて、本書の執筆に着手し、1594年にローマで初版(ラテン語)を刊行しました。この初版はすぐさま大きな反響を呼び、初版刊行のわずか2年後(1596年)には大幅な増補改訂が施されて、第2版が刊行(ローマとアントワープで2種が刊行:後述)されています。そして、この第2版が決定版として、以降繰り返しヨーロッパ各地で再版、翻訳版の刊行がなされていき、ザビエル伝記の決定版として後年に多大な影響力を及ぼすことになりました。

 トルセリーニによるザビエル伝は、原著ラテン語から各国語へと翻訳され、スペイン語訳(1603年)、イタリア語訳(1605年)、フランス語訳(1608年)、英語訳(1632年)と多くの翻訳版が刊行されました。本書は1615年にミュンヘンで刊行されたドイツ語訳初版で、これまでほとんど知られていなかった大変貴重な翻訳版で、たとえばCiNii上では九州大学(長沼文庫)でしかその所蔵を確認することができません。このドイツ語訳版を手がけたフーベル(Martin Huber)についての詳しい経歴は、Sommervogel等にも記されておらず不明ですが、彼によるこのドイツ語訳版は一定の評価を得たようで、後年(1674年)には再版も刊行されています(ただし、このドイツ語訳再版も現在ではかなり希少となっている)。

 本書は全6部構成となっていて、本文に入る前に各種検閲許可文や献辞文、読者への序文などが掲載されています。また、世界をヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカに分けて簡単に解説した世界地理について基礎的紹介文も収録されています。
 本文第1部では、ザビエルの出生から幼少期以降の教育、そしてロヨラとの出会いとイエズス会創設への参加とアジア戦況を志すあたりまでを、第2部(87ページ〜)では、アジア宣教のためにインドへと向かい、ゴアを中心として行った宣教活動の様子までを記しています。続く第3部(176ページ〜)は、マラッカへと移って展開された宣教活動の様子、そして日本から同地に来ていたアンジロウとの出会いをきっかけにして日本への宣教を決意し、彼を伴って鹿児島へと向かうあたりするまでを記しています。
 ザビエルの日本での宣教活動は、第4部(255ページ〜)で非常に詳細に論じられていて、最初に到着した鹿児島、そして豊後、山口において君主から宣教活動の許可を得たり、仏僧と議論を交わしたこと、首都である京都へと向かい、再び山口を経て九州に戻るまでと、時系列に沿ってザビエルの日本での活動が細かく記されています。また、この第4部の冒頭には「日本概論」とも言える内容の日本についての説明がなされており、ここでの記述は当時のヨーロッパの読者の日本観形成に大きな影響を与えたことでも知られています。
 第5部(338ページ〜)では、日本での宣教活動をより本格的に展開するために、中国での宣教を志して一旦離日して、中国へと向かおうとしたその矢先に病のために帰天したことまでが記されていて、時系列に沿った彼の伝記としては、この第5部までが本論となっています。最後の第6部(424ページ〜)は、ザビエルの生涯を通じて確認された様々な奇蹟、また彼の死後にその遺骸が腐敗しなかったことなど、死後にも生じた多くの奇蹟についての記述となっていて、これらの記述は、ザビエルが一聖職者を超えたある種の聖性を帯びた人物であったことを強調しています。

 また、本書のもう一つの大きな特徴となっているのは、タイトルページに描かれているザビエルの肖像画です。ザビエルの肖像画は、生前彼を知るものによって描かれたとされる図がローマにもたらされていたと言われており、それを元にして制作された銅版画の口絵が、1596年に刊行された本書第2版に初めて収録されました。1596年に刊行された第2版は、ローマで刊行されたものと、アントワープで刊行されたものとの2種類があって、テキストの内容はいずれも同じものの、収録されているザビエルの肖像画が異なっています。
 アントワープ版には、ヒロニムス・ウィクリス(Hieronymus Wiericx, 1551/55-1619)による作品で、胸元で両手を交差させ、天へと視線を向けるザビエルが描かれています。この図は日本において最も著名なザビエル像とも言える神戸市立博物館が所蔵するザビエル像の直接のモデルとなった作品として知られています。
 もうひとつのローマ版に収録された肖像画は、ハレ(Theodore Galle, 1571 - 1633)が手がけたもので、胸元の衣服を開くようなポーズをとったザビエルが描かれていて、こちらは日本で製作された『聖母十五玄義図』に描かれたザビエル像のモデルになった作品として知られています。
 本書に収録されているのは後者のローマ版に収録された肖像画の系譜にあるもので、ザビエルの言葉として有名な「十分です、主よ、もう十分です(Satis est Domine Satis est)」というラテン語も図の中に掘り込まれていることを確認できます。

「対抗宗教改革期のミラノで聖カルロ・ボッロメーオの影響下にあったモラッツォーネの《聖フランチェスコの法悦》では、聖人は聖痕を受けた苦痛と歓喜の法悦のなかで光に照らされ、胸を開いて聖なる傷痕に触れている。このように、ザビエルはその洗礼名の同一からだけではなく、法悦と聖痕に通じるイエスと同じ受難の象徴として、その燃える心臓Fidesを開くという動作において、イエズス会の新聖人図像の形成の際に参照されたものと考えられる。」
(若桑みどり『聖母像の到来』青土社、2008年、248, 249ページより)

 さらに本書はこのタイトルページに描かれたザビエル像とは別に、口絵としてもう一枚のザビエルの肖像画が挿入されています。この銅版画は先に見た二種類のザビエル肖像画のうちのもう一つのタイプ(トルセリーニ伝記ローマ版収録図)の系譜にあるもので、聖人を意味するP.がザビエルの名前の前に記されていることから、本書刊行後のいずれかの時期に旧蔵者が独自に挿入した後年の作品であると思われます。この旧蔵者によって独自に挿入されたザビエル肖像画が如何なる由来を有するものかについては、店主はまだ明らかにし得ていませんが、いずれにしても代表的な2種のザビエルの肖像画が独自に組み合わせられた本書の構成は非常に珍しい例と言えるでしょう。

 本書は数あるザビエルの伝記の中で最も著名で重要な作品に挙げられるトルセリーニによる伝記作品でありながら、これまでほとんど知られることのなかった大変希少なドイツ語訳版で、しかも上述の通り後年に旧蔵者が独自にザビエルの肖像画を追加したというその来歴やユニークな構成も含めて、非常に興味深い1冊と言えるでしょう。

染みが本文に散見されるが判読には支障なく、製本含め後年の丁寧な補修が施された良好な状態。
右がオリジナルのタイトルページで左は後年に旧蔵者が独自に挿入したと思われる別のザビエルの肖像銅版画。
独自に追加されている肖像画は、ヒロニムス・ウィクリス(Hieronymus Wiericx, 1551/55-1619)による作品の系譜に連なる肖像画で、胸元で両手を交差させ、天へと視線を向けるザビエルが描かれている。この図は日本において最も著名なザビエル像とも言える神戸市立博物館が所蔵するザビエル像の直接のモデルとなった作品として知られている。
タイトルページに描き込まれている肖像画は、ハレ(Theodore Galle, 1571 - 1633)が手がけた作品の系譜に連なる肖像画で、胸元の衣服を開くようなポーズをとったザビエルが描かれており、日本で製作された『聖母十五玄義図』に描かれたザビエル像のモデルになった作品として知られる。
ドイツ語版のための献辞冒頭箇所。
献辞の署名は訳者ではなく出版社であるNicolaus Henricus名義となっている。
本文第1部では、ザビエルの出生から幼少期以降の教育、そしてロヨラとの出会いとイエズス会創設への参加とアジア戦況を志すあたりまでが記される。
第2部(87ページ〜)では、アジア宣教のためにインドへと向かい、ゴアを中心として行った宣教活動の様子までを記している。
第3部(176ページ〜)は、マラッカへと移って展開された宣教活動の様子、そして日本から同地に来ていたアンジロウとの出会いをきっかけにして日本への宣教を決意し、彼を伴って鹿児島へと向かうあたりするまでを記している。
ザビエルの日本での宣教活動は、第4部(255ページ〜)で非常に詳細に論じられていて、この第4部の冒頭には「日本概論」とも言える内容の日本についての説明がなされており、ここでの記述は当時のヨーロッパの読者の日本観形成に大きな影響を与えたことでも知られている。
最初に到着した鹿児島、そして豊後、山口において君主から宣教活動の許可を得たり、仏僧と議論を交わしたこと、首都である京都へと向かい、再び山口を経て九州に戻るまでと、時系列に沿ってザビエルの日本での活動が細かく記されている。
第5部(338ページ〜)では、日本での宣教活動をより本格的に展開するために、中国での宣教を志して一旦離日して、中国へと向かおうとしたその矢先に病のために帰天したことまでが記されている。
第6部(424ページ〜)は、ザビエルの生涯を通じて確認された様々な奇蹟、また彼の死後にその遺骸が腐敗しなかったことなど、死後にも生じた多くの奇蹟についての記述となっている。
巻末には索引が設けられている。
索引末尾。
後年に施されたと思われるスウェード革を用いた装丁で状態は良好と言える。