書籍目録

『日本:2600年のあゆみ』

国際観光局 / 鉄道省

『日本:2600年のあゆみ』

1938年頃? 東京(大日本印刷)刊

Board of Tourist Industry / Japanese Government Railways.

JAPAN: PROGRESS THROUGH 2600 YEARS.

Tokyo, Dai-Nippoin Printing Co., Ltd, c1938?. <AB2023089>

Sold

20.0 x 22.3 cm, 12 leaves, Original pictorial paper wrappers.

Information

皇紀2600年(1940年)に向けて日本の伝統性と近代性をアピールするために製作された写真集

 このパンフレットは、その表題に「皇紀2600年」を前面に押し出していることからもわかるように、東京オリンピックと万博の同年開催が予定されていた1940年に向けて日本の対外イメージ向上と一層の外客誘致をはかるために製作、頒布されたと思われる「写真集」です。資料自体には「写真集」とは題されていませんが、明らかに写真を多用したビジュアル優先の構成となっており、日本の近代的な側面と伝統性の双方を写真作品で訴えるような内容のパンフレットです。全12葉の簡素なパンフレットではあるものの、非常に芸術性に重きを置いた写真を配置して誌面が構成されており、「写真集」としても極めて完成度の高い作品となっていることが特徴で。日本各地の観光地の具体的な紹介というよりも、当時日本が対外的にアピールしたかった「イメージ」形成が目的とされているように思われます。現代の視点から眺めることで、当時の日本の対外政策観が浮かび上がって来そうに思われるとてもユニークなパンフレットです。


「1930年、国際観光局が設置される。外国人旅客誘致を通じた経済振興を目的に新設された、鉄道省の外局である。この機関から海外向けの定期刊行物として1934年に小冊子『ツーリスト・ライブラリー』が、翌年にはグラフ雑誌『トラベル・イン・ジャパン』も創刊され、外客の誘致が外貨獲得のために官民を挙げて推進される。また、1933年の国際連盟脱退によって低落した日本のイメージの回復を図るべく、その翌年には外務省の外郭団体として国際文化振興会(国際交流基金の前身)が発足する。国際的国立が深まる中、日本文化を海外へと発信する諸機関がこの時期に相次いで立ち上がる。
 (中略)万国博覧会(1937年のパリ万博のこと:引用者注)出品の写真壁画としては日本初・日本最大となった《日本観光》の制作は、国際報道写真協会が請け負った。中央工房内に1934年に組織されたこの機関は木村伊兵衛や渡辺義雄、伊奈信男、原弘といった面々が名を連ねる写真エージェンシーとして、主に海外向けの写真を配信しており、国際観光局はこうしたフリーランスの集団に前述のようなグラフ雑誌の撮影をはじめとした事業・業務を発注していた。」
(小原真史ほか『富士幻影:近代日本と富士の病』IZU PHOTO MUSEUM、2011年、29ページより)