書籍目録

『日白研究會』創刊号〜第3巻(全36号)(全巻揃い?)

ベルギー・日本研究会

『日白研究會』創刊号〜第3巻(全36号)(全巻揃い?)

ブリュッセル日本公使館旧蔵 1906年〜1908年 ブリュッセル、横浜刊

Société d'Études Belgo=Japonaise.

Japon et Belgique.

Yokohama / Bruxelles, N. DEKONINK, 1906 (40me anné de l'ére de Meidji) - 1908 (41me année de l'ere de Meidi). <AB2018212>

Reserved

15.7 cm x 23. 4 cm, 36 issues in 3 vols. Vol. 1(1re anné):Half Title, Title, pp.[I], II-IX, pp. [1], 2-296, Vol. 2 (2me année): 4 lvs., pp.[I, II], III-VIII, pp.[1], 2-272, Vol. 3 (3me année): Half Title, Title, pp.[I], II-XIV, [1], 2-308 with many advertising pages in each, Contemporary three-quarter calf on marble boards.

Information

これまで未発見? 明治末にベルギーと日本との経済交流を目的に刊行されていた月刊雑誌

 ベルギーと日本との近代以降の交流は、1866年の日白(ベルギー)修好通商航海条約に始まり、1873年には岩倉使節団が王室を公式訪問しています。ヨーロッパにおいて比較的小国、かつ新しい国でありながら、国際政治において一定の地位を保っていたベルギーは明治政府にとって模範となりうる国の一つでした。本書は、明治末の1906年に、ベルギーと日本との経済的側面を中心とした交流を深めるために結成された「日白研究會(Société d'Études Belgo=Japonaise)」によって、ブリュッセルと横浜(印刷はブリュッセル)で刊行されていた月刊雑誌で、店主の管見の限りでは、これまでまったく言及されたことのない雑誌でないかと思われます。

 この雑誌刊行の目的については、下記のように記されています。

「日白両国の貿易を発達ならしめ且両国商人間の直節取引の途を開かん為当国駐在加藤公使閣下名誉会頭の下に左記の如く日白研究會を組織し以て両国商人間直節取引の便利を図らんと欲す 然して本號に廣告せる諸製造會社及諸商店の如きは皆富国有名の商社なれば従来の如く他国商人の手を経るの不利益を避け直節御取引希望の至りに御座候」

 ここで言われている「当国駐在加藤公使閣下」とは、明治、大正期に外交官、政治家として活躍した加藤恒忠(1859 - 1923)のことではないかと思われます(ただし、本書刊行期間は1907年に伊東博文と対立し公職を一時離れていた時期に当たるので確証はできず)。日本とベルギーの経済交流を促進し、ベルギーにある主要な会社との直接取引を進めることを目的にうたっていることを反映して、雑誌各号にはベルギーにある主要な産業に関連する会社の広告と、それぞれの事業内容を簡単に日本語で記した広告ページが20ページ前後掲載されています。例えば、第1号の最初に掲載されている広告は、SOCIÉTÉ ANONYME DE MERBES-LE-CHATEAUによるもので、英文で事業内容の詳細が記されていますが、それに合わせて縦書きで「諸種大理石類 家屋社寺建築、室内飾備に必用なる諸種大理石類確実且迅速に御注文相受可申候」と付記されています。また、RUELLE & Coという会社の広告には、「チョコレット及諸種菓子類併駆虫剤入菓子製造」と付記されています。このように、ベルギーの会社と取引をしようとする日本の商社や企業が容易にその事業内容を把握しやすいように独自の工夫を加えた広告が、毎号掲載されています。

 本文の構成は、号によって多少異なりますが、概ね同じになっており、論説記事、ベルギーの日本に対する関心の所在、ベルギーにおける日本の動向、産業と商業についての最新情報、極東地域の情勢と現地メディア掲載記事の紹介、主要会員の紹介、会則、日本とベルギーに関連する新刊書のレビューといった内容です。本文は基本的にフランス語で書かれており、ベルギー、日本双方の関係者に読まれることを想定しています。論説記事は読み切りが多いですが、複数号にわたる連載記事もあり、例えば第2号から第7号までは、「ベルギーと日本の経済関係」と題した連載記事が掲載されています。また、経済関係の記事だけではなく、広く文化、社会科学、自然科学双方の学問領域、音楽などの芸術といった分野にも視野を広げており、総合的な日本とベルギーとの友好関係を促進することをも図っていたものと思われます。

 
 この雑誌は、創刊号である1906年から少なくとも1908年までの3年間、毎年12号を刊行していたことは、本書によって確認できますが、その後も刊行を継続していたのか終刊となったのかは全くわかりません。そもそも、この雑誌自体について言及した文献が全く見当たらず、ベルギーの出版目録にも記録が見当たらないため、書誌情報が全く掴めないほか、「日白研究會(Société d'Études Belgo=Japonaise)」についても情報がありません。これほどの雑誌の存在がこれまで全く知られていないとは考えにくいのですが、国内はおろか国外においても全く所蔵機関が確認できないことも謎を一層深めています。

 さらに興味深いことに、各巻最初の号タイトルページに押印されてある蔵書印を見てみると、菊の文様の周りに「(ブリュッセル)日本公使館(AMBASSADE DU JAPON Bruselles)」とあることが分かります。つまり、少なくとも本書刊行当時のブリュッセルの日本公使館には本書が所蔵されていたことは間違いなく、ある程度政府関係者との関係の元に刊行されていたことが推察されます。

 このように、多くの謎に包まれている雑誌ですが、明治以降の日本とベルギーとの友好関係を研究する上で、極めて重要な資料ということは間違いないと思われます。

全3巻で各巻に1年分、計12合分が収録されている。
日白研究會(Société d'Études Belgo=Japonaise)の目的について述べた日本文。
本文の前後に色紙で広告が掲載されている。ここには広告代金も記されている。
大理石を扱う会社の広告。
ロウソク類を扱う会社の広告。
初号冒頭。
ベルギーの日本関連情報。ここに見えるベルギー会(BELGIQUE-KWAI)については不明。
ベルギーにおける日本の動向。
産業と商業に関する情報。
極東地域情勢の概況。
ベルギー、日本双方の外交官、領事館関係者名簿。
日本とベルギーに関する文献レビュー。
会則。
会の代表と主要会員名簿。
一般会員名簿。これを辿っていくだけでも面白そうである。
機関車製造会社の広告。
神戸にあったベルギーアジア貿易商会の広告。
各号の裏表紙が目次となっている。
  • 第2巻(1907年)明治四十年と言う表記は初巻から変わっていない。
  • 第3巻(1908年)同じく明治四十年とある。
ブリュッセルの日本公使館の蔵書印が、各巻最初の号のタイトルページ押されている。
元々は月刊の雑誌であったものを1年を1冊にして綴じている。ページナンバーは年間通しでつけられている。