書籍目録

『故郷における幸福』(江戸・シュヴィーツ日本人協会50周年記念劇脚本)

グリューニンガー

『故郷における幸福』(江戸・シュヴィーツ日本人協会50周年記念劇脚本)

(1907年) シュヴィーツ刊

Grüninger, Jakob (und einem lachenden Beirat).

Das Glück in der Heimat. Großes volksschauspiel der Japanesen=Gesellschaft in Jeddo-Schwyz anläßlich der Jubiläumsfeier ihres 50=jährigen Bestandes.

Schwyz, Caspar Triner, (1907). <AB201820>

Sold

13.0 cm x 20.0 cm, pp. [1(Title), 2], 3-64, Original paper wrappers.

Information

今に続くスイス、シュヴィーツの「日本人劇」、50周年記念開催劇の脚本。

 スイスの中央部、チューリヒ近くにある小さな村であるシュヴィーツ(Schwyz)で、150年以上にわたって今日に至るまで続けられている「日本人劇(Japanesenspiel)」については、これまであまり知られていないのではないでしょうか。本書は、この「日本人劇」が開始されてちょうど50年目の記念の年に当たる1907年に開催された劇の脚本です。

 シュヴィーツで「日本人劇」が始まったのは、なんと150年以上も前の1863年のことです。村民の娯楽と教養のために謝肉祭の時期に合わせてサーカス・カーニバル(Circus Carneval)と題した演劇の上演を1857年からシュヴィーツでは行っていましたが、この演劇の素材に日本を選んで最初に上演されたのが、1863年の『日本のスイス(Die Schweiz in Japan)』です。これは、エーベルレ(Ambros Eberle, 1820 - 1883)による作品で、ちょうど開国直後の日本にスイスから最初の使節団が派遣されたことを契機に、スイス国内、そしてシュヴィーツでも日本に対する関心が高まっていたことを背景にしています。この作品は、日本の首府である江戸(Jeddo)の皇帝である大君を主人公にした風刺喜劇で、これが大変好評を博したために、定期的に「日本人劇」を開催するための組織として「江戸・シュヴィーツ日本人協会(Japanesen=Gesellschaft in Jeddo-Schwyz)」が設立され、その会長を「ヘゾヌゾデ1世」としました。「ヘゾヌゾデ」とは、母音で終わる日本語の独特の音韻にヒントを得た擬似日本語のようで、『日本のスイス』の脚本には、ヘゾヌゾデ(He=so=nu=so=de)という文字が見えるそうです(宮下啓三「日本国を舞台にしたスイス人たちの劇」『帝京国際文化』第20号、2006年所収を参照)。こうして定例行事となった「日本人劇」は、その後定期的に上演が行われ、それは今にも続いており、2019年にも新たな作品の上演が予定されています。

 本書は、1917年に「江戸・シュヴィーツ日本人協会」の50周年を祝って演じられた演劇作品の脚本です。先の宮下啓三氏の論文によりますと、「日本人劇」とは、現実の対象としての日本を題材としているのではなく、その時々のスイスを取り巻く状況を批判的、歴史的に見るための「外部」としての役割を与えられており、娯楽的要素と共に、郷土愛、アイデンティティを確認するという役割も劇には認められるそうです。

「伝統の出発点になった1863年の『日本のスイス』では、スイス政府と議会による日本への外交交渉使節派遣という時事問題がテーマとされて、一貫した筋を持つ劇を成り立たせた。2回目以降は、もはや日本は謝肉祭の日だけのシュヴィーツの相性に過ぎず、日本国の「皇帝」とも呼ばれる「タイクン(大君)」は、劇を奉納された後に人々を楽しい行進に導く司会者に似た役割をつとめるようになった。日本と日本人を風刺したり揶揄したりする動機をそもそものはじめからシュヴィーツの人たちは持たなかった。
 2回目以降、スイスの歴史、とりわけ建国時代から伝承されてきた歴史物語が、重要な部分を占めるようになった。これに時々風刺が加わり、さらに現代のスイス人たちに対して、正しく生きよと呼びかけるメッセージが添えられた。無礼講の道化芝居出会って良いはずの行事であっても、健全なモラリズムが太い柱として内容を貫いていた。」(前掲論文)

 グリューニンガーによって書かれた本書も、基本的に上記のような特徴を備えているようで、スイス人の郷土愛を喚起させるような主題を軸としていますが、やはり「大君」は重要なモチーフとして健在です。50周年を祝うこの年の演劇上演は、非常に大規模に行われたようで、1月20, 23, 27日、2月3, 10, 12日の6回にわたって上演され、多くの来場者を楽しませたようです。

この「日本人劇」は、50周年を祝う本書に限らずこれまで、あまり日本研究の分野はもちろんのこと、演劇研究の分野からも注目されてこなかったようですが、日本とスイスの近代的な交流が開始された1863年から現在に至るまで続いている、日本を題材として演劇作品としては、あまりにも注目度が低すぎるのではないかと思われます。

「もっとも熱心な推進者であった人の死(上述の第1回『日本のスイス』の作者エーベルレのこと;引用者註)が「日本人劇」をも息絶えさせたかに見えたが、15年以上の長い眠りの後、1896年によみがえった。その後、一定しない間隔をおいてユニークな地元住民の協力による手作りの劇が生きながらえた。
 それほど長く生命力を保ち続けた「日本人劇」ではあるけれども、日本における演劇研究はもっぱら都会の劇場で上演された作品および主要な言語による戯曲の研究に終始していて、方言で書かれて特定の一地域だけで演じられる劇に視線を投げることがなかった。「日本人劇」もその例にもれなかった。スイスでさえ、広く知られることのないローカルな催しであったのであるから、演劇学者たちの怠慢を責めることは許されない。「日本人劇」の存在が日本で知られたのは、シュヴィーツ出身者であって上智大学のドイツ語文学の教授となったトマス・イムームスの著述*による。その伝統がすでに100年目を迎えた年のことであった。(*Thomas Immoos: Japanische Themen in den Theaterstücken aus der Schweizer Barockzeit. In: Sophia(上智大学), 1963, S. 12-22. / トーマス・イムモース(尾崎賢治訳)『変わらざる民族』、46〜80頁)

(前掲論文)

表紙。50周年記念を祝う文字が見える。
タイトルページ。
冒頭部分。「大君(Taikun)!、大君!、大君万歳(Vivelun Taikun)!」の連呼で劇は幕を開ける。このフレーズは2013年の劇でも使われているそうである。
裏表紙。