書籍目録

『日本、シャム、朝鮮という3つの強大な王国についての真正な記述』(「日本大王国志」「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「朝鮮幽囚記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか計17作品収録)

カロン著 / スハウテン著 / ハメル著 / メルクライン(訳注・著) / アーノルド(編・訳註)

『日本、シャム、朝鮮という3つの強大な王国についての真正な記述』(「日本大王国志」「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「朝鮮幽囚記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか計17作品収録)

(ドイツ語訳)大幅増補改訂版  1672年  ニュルンベルク刊

Caron, François / Schouten Joost / Hamel, Hendrick / Mercklein, Johann Jacob / Arnold, Christoph. (ed.).

Wahrhaftige Beschreibungen dreyer mächtigen Königreiche / JAPAN, SIAM, und COREA. Benebenst noch vielen anderen / im Vorbericht vermeldten Sachen: So mit neuen Anmerkungen und schönen Kupferblättern...

Nürnberg, Michael und Joh. Friedrich Endters, M. DC. LXXII.(1672). <AB2022262>

Sold

(Edition in German) Expanded & revised ed.

8vo (10.0 cm x 15.8 cm), [LACKING Front.], Title., 9 leaves, folded map, pp.1-50, 2 plates., pp.51-74, 1 Plate., pp.75-78, 1 Plate., pp.79-84, 1 Plate., pp.85, 86, 1 Plate., pp.87-92, 1 Plate., pp.93-116, 1 Plate., pp.117-166, 1 Plate., pp.167-208, [209], 210-248, 1 folded Plate, pp.249-298, 1 Plate., pp.299-316, 1 Plate., pp.317-370, 1 Plate., pp.371, 372, 1 Plate., pp.373-600, 1 Plate., pp.601, 602, 1 Plate., pp.603-608, 1 Plate., pp.609-698, 1 folded Plate., 699-946, 479(i.e.947), 948-1148, 18 leaves(Register).
Contemporary vellum. 刊行当時のものと思われる装丁の一部に傷みが見られるが概ね良好な状態。口絵のみ欠落しているが、その他の図版は全て完備。見開きに旧蔵者の蔵書票あり。[NCID:BA78136365]

Information

1662年のドイツ語版を2倍以上の分量に増補して改訂を施した、当時最新最大級の「東洋研究大全」

 本書は、17世紀後半のドイツ語圏における日本をはじめとした東インドに関する最新情報を凝縮した作品で、1,100ページを超えるボリュームを誇る「東洋大全」とも呼べるような充実した内容を備えた注目すべき書物です。本書の底本となったのは、同じ編者アーノルドが手がけた1663年の著作(Wahrhaftige Beschreibungen zweyer mächtigen Königreiche JAPPAN und SIAM…Nürnberg, 1663) ですが、その分量が2倍以上に達するほどの大幅な増補と改訂が本書には施されており、わずか10年の間にヨーロッパにもたらされた東インド情報に著しく大きな進展があったことがうかがえる、非常に興味深い作品です。 1663年版は、17世紀日本研究最大の古典とされる『日本大王国志』のメルクラインによるドイツ語訳を中心として『カロンとスハウテンによる日本とシャムという二つの強大な王国についての真正な記述』というタイトルで刊行されましたが、本書ではこれに「朝鮮」が新たに加わっていることからも分かるように、1663年版にはなかった新たな記事を多数収録しています。また、後述するように編者アーノルドによる全編にわたる膨大な注釈と図版の追加などが行われており、1663年の著作とは全く別の作品と見間違えるほどの増補改訂が施されていて、本書独自の大きな価値を生み出しています。

 本書に収録されている作品とその概要を簡単に記しますと、下記の通りになります。

1. フランソワ・カロン『日本王国の真正なる記述』最新1661年版のメルクラインによるオランダ語からの独訳と注釈による増補(pp.1-)

2. メルクラインによるカロン『日本大王国志』の注釈(pp.281-)

3. ヘンドリック・ハーゲナールによる『日本大王国志』の注釈(pp.311-)

4. マルティニ「日本人の起源と征服史」(pp.347-)

5. オルデンバーグによる二十の日本考察(pp.357-)

6. ハイスベルツ「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」(pp.367-)

7. クラメール「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」(pp.441-)

8. 日本の偶像崇拝と寺社、聖職者についての3つの付論(pp.475-)

9. 「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」(pp.646-)

10. カンプス「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」(pp.656-)

11. 「1663年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報」(pp.685-)

12. スハウテン「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」(pp.707-)

13. ネック、アルトゥジウス、ピント、スプリンケルの著作中に見られるシャム関連記事の抜粋(pp.799-)

14. ハメル「朝鮮幽囚記」(pp.811-)

15. マルティニ「朝鮮半島についての考察」(pp.883-)

16. メルクライン「1644年から1653年に至るまでの東インド旅行記」(pp.901-)

17. ヴルフバイン「東インドへと至るための陸路、海路についての小論」(pp.1132-)


 本書は、このように全17作品が1,100頁を超える分量で収録されており、しかもその多くが本書において初めて紹介されたものや、ドイツ語訳されたもので、当時のドイツ語圏における、最新東インド情報を凝縮したような極めて濃密な内容となっていることに大きな特徴と意義があります。以下、それぞれの代表的な作品について、その特徴と意義を簡単に記します。


1. カロン『日本大王国志』の内容と日本関係欧文図書としての重要性

 本書の中心となる作品である『日本大王国志』は、1619年から1641年までの長きに渡って日本に滞在し、オランダによる初期の対日貿易の基礎を築いたカロン(François Caron, 1600 - 1673)が、日本の政治・経済・社会について、オランダ東インド会社のバタヴィア総督の諮問に答える形で報告した著作です。同書は、著者カロンや書誌情報についての詳細な解説を付した邦訳(幸田成友訳『日本大王国志』現在は平凡社、1967年)が刊行されているほか、フレデリック・クレインス氏による詳細な紹介(『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、第4章参照)など、日本研究において広く知られている文献です。

 「カロンの報告は地理・文化・社会など多様な分野を網羅し、同時代の人々に大きな影響を与えたという意味において最も重要である。カロンは東インド会社の船の調理助手としてアジアに赴き、1619年に平戸に渡航した。平戸ではオランダ商館に配属され、そこに長く留まった。滞在中、日本人女性と結婚し、日本語も堪能になった。そのため、次第に通訳を担当するようになり、ついに商務員へと昇進した。カロンは1627年にヌイツの江戸参府に同行した後に、ヌイツと共に長年滞在した日本を出国し、台湾に渡ったが、そこでタイオワン事件に巻き込まれて、人質として再び日本に送還された。しかし、日本では自由の身にされて、事件解決までのすべての交渉に参加している。その際、カロンは日本側の理解者として幕府から厚い信頼を受けていた。その後も、カロンは毎年のように商館長やその代理の江戸参府に同行し、日本各地を観察する機会を数多く得た。また、ヌイツの釈放の交渉のために1633年および1636年に数ヶ月もの間江戸に滞在している。このように日本事情に精通したカロンは、1638年に平戸商館長に昇進し、出島移転までの難しい時期に日本における東インド会社の指揮を取っていた。商館長が1年以上日本に滞在してはならないという幕府の命令が下されたことを受けて、カロンは仕方なく日本を去ることになった。
 商館長に就任する前の1636年にカロンは、バタフィアに着任したばかりのフィリップ・ルーカースゾーン副総督からの一通の書簡を受け取った。ルカースゾーンはアジア貿易の全体像を把握するために各商館にその地域についての地理・統治・軍事・法律・宗教・儀礼・生活・貿易・産業についての質問票を送った。各商館はこれらの質問に対する報告書を提出した。これらの報告書のうち、カロンの日本報告及びヨースト・スハウテンのシャム報告が『東インド会社の起源と発展』に掲載されている。(中略)
 カロンの報告は、ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる。」

「カロンの報告は日本を内側から観察して記述していると言える。長期間にわたる平戸での滞在、幕府との交渉、数多くの江戸参府、そして何よりも日本人の妻やその親戚との親交を通じて、カロンは日本の社会や文化に精通しており、ルーカスゾーンの質問に回答するのに最も相応しい人物であった。勿論、報告書は、その性質上、政治・経済的視野の上に立って作成されているが、それでも当時の日本人の生活や文化について驚くほど詳細な記述を数多く含んでいる。」

「結果的に、カロンの報告書は、貿易政策に役立てるためのデータ集というよりも、内から見た日本文化の本格的な分析を提供するものになって、その文化的要素は長い間ヨーロッパの知識人を魅了した。」
(クレインス前掲書、107~110、147頁より)

「同書は、館長代理時代、バタヴィア商務総監のフィリップ・ルカースゾーンによる、以下の31の質問に回答する形で執筆されています。1.日本国の大きさ、日本は島国か、2.如何に多くの州を含むか、3.日本における最上支配者の特質と権力、4.将軍の住居・地位・行列、5.兵士の数と武器、6.幕閣およびその権力、7. 大名とその勢力、8.大名の収入とその源泉、9.処刑の方法、10.何が重罪に相当するか、11.住民の信じる宗教、12.寺院、13.僧侶、14.宗派、15.キリシタンの迫害、16. 家屋・建具、17.来客の接待、18.結婚生活、19.子供の教育、20.遺言が無い場合の相続、21.日本人は信用できるか、22.貿易および貿易従事者、23.内地商業および外国航海、24.商業の利益、25.外国との交際、26.日本の物産、27.貨幣および度量衡、28.鳥獣類、29.鉱泉、30.将軍への謁見、31.言語・写字・計算方法・子孫に歴史を公開するか。」
(国際日本文化研究センターHPデータベース『日本関係欧文史料の世界』図書『日本大王国志』英訳版解説(フレデリック・クレインス執筆)より)


2. メルクラインによるドイツ語訳独自の内容とその意義

 このように、17世紀における日本研究の最重要文献として知られる『日本大王国志』ですが、本書であるドイツ語訳版は原著オランダ語版にはない独自の興味深い記事を多数収録している点に大きな特徴と意義があります。ドイツ語への翻訳を行ったのは、長年オランダ東インド会社の医師として勤務し、カロンとも親しかったメルクライン(Johann Jacob Merklein, 1620 - 1700)で、彼自身も日本への渡航と滞在経験があったことから、『日本大王国志』の訳者としては最適の人物であったと言えます。『日本大王国志』は、カロンの認可を経ないまま1645年に公刊されて以降、さまざまな版が継続して刊行されましたが、本書は諸版の中でもカロン自身の校閲と改訂が施された決定版(1661年版)を底本としています(『日本大王国志』諸版の変遷については解説末尾参照)。

 メルクラインは単に本文のドイツ語訳を行うだけでなく、自身による注釈も新たに執筆(281頁〜)しており、この記事は原著オランダ語版にはない、メルクライン自身の日本滞在経験に基づいた独自の日本関係記事となっていることから注目に値する記事です。また、『日本大王国志』決定版(1661年版)では、それ以前の版には収録されていたハーゲナール(Hendrik Hagenaar)による注釈が削除されていますが、メルクラインはこの注釈をあえて翻訳してこのドイツ語訳版に欠かせない記事として収録(311頁〜)しています。ハーゲナールはカロンよりも日本滞在歴が浅かったにもかかわらず、オランダ東インド会社内の序列ではカロンの上司にあたる役職にあり、カロンとの関係が良好でなかったとされていています。この不和のため、カロンは『日本大王国志』決定版のための校閲の際に、ハーゲナルの注釈を「とんでもない誤りに満ちた」ものとして削除してしまいましたが、ハーゲナールの注釈は、カロン『日本大王国志』の註釈として優れた内容で、カロンにはない独自の視点からの考察も加えられていることから、メルクラインはあえてドイツ語訳版のために訳出して収録したものと考えられます。


3. 本書で新たに付け加えられた編者アーノルドによる膨大な注釈と多くの図版について

 本書においてさらに重要なのは、1663年版には含まれていなかった、編者アーノルドによる膨大な分量の欄外注と、数多くの銅版画が加えられたという点です。上述のように1663年版に掲載された訳者メルクラインによる『大日本王国志』の注釈は非常に重要なものですが、本書ではこれに加えて編者アーノルドが、時に本文の分量を大きく上回るほどの注釈を『大日本王国志』に限らず多くの作品の至る所で付け加えており、その結果、『日本大王国志』などはそのテキストの分量が1663年版と比べて、全く別の作品であるかと思われるほど多くなっています。アーノルドによる膨大な注釈は、彼自身の日本をはじめとした東インド研究の成果を踏まえたもので、1663年版の刊行以後に発表された著作等を参照、吟味した上でアーノルド独自の見解に基づいて記されていることから、その記述の質も高い大変重要なものです。

 とりわけアーノルドが随所で参照(批判も含め)しているのが、1663年版の刊行後の1689年(ドイツ語訳版)に刊行されたモンターヌス(Arnoldus Montanus)の『東インド会社遣日使節紀行』です。この作品は、カロン『日本大王国志』以後に発表された当時のヨーロッパにおける最新、最大の総合的な日本研究として知られている著名な作品で、数多くの銅版画を随所に収録したことでも、大いに人気を博しました。アーノルドはこの作品の記述を自身で入念に読み込んだようで、それ以外の日本研究書との比較、照合も行いながら、カロン『日本大王国志』本文中で、モンターヌス『東インド会社遣日使節紀行』と関連の深い箇所がある際には、膨大な注釈を付け加えています。さらに、モンターヌスの作品の大きな特徴であった銅版画も数多く転用して、カロンのテキスト中に配置するなど、あたかも17世紀を代表する二大日本研究書を統合したかのような感があります。

 さらに、アーノルドは未公刊と思われる関連史料をも駆使したものと思え、同時代、あるいはそれまでの関係書にはない独自の記述を注釈の中に散りばめている他、何らかの未交換史料に含まれていたスケッチなどをもとにしたと思われる興味深い図版も、本書注釈中に付け加えています。例えば50頁と51頁との間には、アーノルドによる日本の喫茶文化を考察した注釈に対応して、日本の茶器を描いたと思われる2枚の図版が収録されています。また、239頁には「崇禎通宝」と記された明の通貨を描いたと思しき図版が、さらには339頁には髷を結った男性を描いたと思われる胸像図が掲載されています。これらの図版は、店主の知る限り本書以外の他の刊行書籍の中には見出せないものばかりで、しかも、モンターヌスの作品に見られる挿絵がしばしば奇抜で、空想的なものが多いことに対して、アーノルドが注釈に付け加えた図版は、いずれもディテールがかなり細かく対象が正確に描写されていることから、何らかの来日経験のある人物のもたらした独自情報に基づいているのではないかと推察される、非常に興味深いものです。


4. 『大日本王国志』ドイツ語訳版の収録日本図と特徴

 また、『日本大王国志』決定版(1661年)は、折込の日本図をはじめとして、それ以外にも3枚の図版を初めて収録した版として知られていますが、このドイツ語訳版では、原著収録の日本地図に地名の追加等を施して地図情報の質を高めた改訂版日本図を新たに収録しています。この日本図は、同時代の西洋における日本図に類例を持たない独特のもので、その不正確さを批判されてもいますが、そもそもこの地図は正確に日本の輪郭を表現するためのものではなく、当時から問題となっていた蝦夷、ならびに本州がユーラシア大陸と切り離された島であるか否かを簡略的に示すためのものだったと言われています(この点については、ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』社団法人O・A・G・ドイツ東洋文化研究会、1993年、92頁参照)。このドイツ語訳版では、このユニークな日本図をサイズを縮小しつつ輪郭を忠実に再現し、その上で新たに多くの地名を追記している点に特徴があります。

「カロンが知り得た報告によると”津軽(Sungaer)とエゾのあいだの水域は、通り抜けできるような海峡でなく、西側が閉じている湾と考えられていた。しかし、本州とエゾのあいだには山岳と荒地が広がり、陸路での通行は不可能と思われた。したがって、交通手段は船で津軽湾を越えるほかない。その距離は英国マイルで120マイルと言われていた。日本人もまた、エゾ地の探検を何度も試みたがうまくゆかず、最果てまで行き着いていなかったと言われていた。同様の問題は『日本誌(The History of Japan…)』の中でケンペルとショイヒツァーも議論している。」

「地名はドイツ語に翻訳され、次の地名が加えられている。本州にNagata(長門)、Osakij(大坂)、Meaco(京)、Iedo(江戸)、Hizumi (淀川?;引用者追記)、四国に Samaki(讃岐)、Hijo(伊予)、Tonsa(土佐)、Ava(阿波)、九州に Cocora(小倉)、Umbra(島原?;引用者追記), Nagesaky(長崎)、Bungo(豊後)、Fiugo(日向)、Arima(有馬)。致命を増やしただけでなく、地理学的な必要性より装飾的効果をねらって陸上全般に山脈を描き加えることで、原版では海図のように見えたものを地図らしく変貌させた」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、238, 239頁, 239頁(地図番号033番)より)

 地図以外の図版については、原著収録の3枚の図版を忠実に再現しつつ1663年ドイツ語訳版のために新たに作成された図版を再録しています。原著では1枚の図版にまとめられていたキリシタンの拷問と処刑の場面を描いた3つの場面をそれぞれを独立させた図版としている点も、1663年ドイツ語訳版と同様です。これらの図版の解説は冒頭にまとめて収録されており、図版中に記されたアルファベットに従って、図版の意味と内容を読者が理解できるように配慮されています。これらの図版は、イエズス会士トリゴー(Nicolas Trigaout, 1577 - 1628)による『日本におけるキリスト教の勝利(De christianis apud Iaponios Triumphis…München, 1623)』などの書物に収録されている図版も参照したのではないかと思われます。また、先に述べたように、カロン『日本大王国志』原著にはない多くの図版を随所に追加していることに、この1672年版の大きな特徴と意義があります。


5. オルデンバーグによる日本論の一早い紹介と、アーノルドによるものと思われる独自の日本宗教論

 イギリス王立協会の初代事務総長を務めたオルデンバーグ(オルデンビュルグ、Heinrich Oldenburg, c.1618 - 1677)による日本論の原題は、「Some Obeservations Concerning Iapan」と題されたもので、王立協会の紀要『哲学紀要(Philosophical Transactions)』第4巻(1669年)の983頁から掲載された作品です。この日本論は、日本の地理、紀行、風土、植生、鉱物資源、動植物、日本の人々の気質、技芸、学問、商業、建築と町並み、統治形態と宗教などの多岐にわたる主題について、それぞれごく簡単にまとめた内容ですが、コンパクトながらもバランスの取れた優れた日本論となっています。日本に数年の滞在歴を持つ見識ある人物からの聞き取ったというもので、日本についての20の項目にわたる情報をまとめたこの記事は、当時最新の日本研究の一つと言えるものでしょう。オルデンバーグによる日本論そのものが、あまり知られているとは言えない貴重な作品ですが、それがいち早くドイツ語に翻訳されて多くの読者に伝えられていたことは、大変興味深いことと言えるでしょう。


6. 清朝において活躍したイエズス会士マルティニによる最新情報の収録

 1663年版にはない本書の大きな特徴の一つとして、当時ヨーロッパ人の中で最も清朝事情に通じていたと思われるイエズス会士マルティニ(Martino Martini, 1614 - 1661)による日本情報(「日本人の起源と征服史」)、朝鮮情報(「朝鮮半島についての考察」)を掲載していることが挙げられます。いずれも彼によるヨーロッパ初の中国地図帳である『新中国地図帳』(Novus Atlas Sinensis….Amsterdam: Joan Bleau, 1655)のラテン語テキストを底本として、ドイツ語に翻訳されたものですが、マルティニによる中国を起点とした日本、朝鮮情報は、当時西洋人が立ち入ることができなかった地域についての最新情報として大きな影響力を与えました。アーノルドはマルティニの記述の意義をいち早く認めるとともに、本書収録の他記事を補う重要な情報として本書に収録したものと思われます。


7. ヨーロッパに初めて本格的な朝鮮情報をもたらしたハメル『朝鮮幽囚記』の一早い紹介

 本書の刊行当時、ヨーロッパ人にとって朝鮮はほとんど未知の地域であって、断片的な情報は入ってきていたものの、実際に同地を訪れた人物による報告、記述というものはほとんど存在していませんでした。この状況を偶然にも打破することになったのが、オランダの貿易船の船長で1653年に日本へ向かう途上で朝鮮半島に漂着してから13年にわたって同地での滞在を余儀なくされた後に、1666年に日本へと脱走して幕府との交渉の末に帰国を果たしたハメル(Hendrick Hamel, 1630 - 1692)です。彼はこの苦難に満ちた経験を『朝鮮幽囚記』の名で知られるオランダ語作品にまとめて1668年に刊行したことによって、当時のヨーロッパにおける最新の挑戦情報をもたらすことになりました。編者アーノルドは、1663年版刊行後に発表された『朝鮮幽囚記』にいち早く注目し、ドイツ語に訳して本書に収録することで、本書を日本研究にとどまらない東インドの総合的な研究論集として編纂しているように見受けられます。上述のマルティニの朝鮮論は、ハメルの情報を捕捉する重要な情報として、『朝鮮幽囚記』諸版にも掲載されていたもので、これらをあわせ読むことによって、当時の読者は最新の朝鮮情報を入手することができたと言えます。


8. 驚くべき速さで報じられた国姓爺(Coxcenia)による「ゼーランディア城陥落」事件

 本書には、1663年版において初めて掲載された「1663年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報」と題した記事(263頁〜)が再録されています。これは、1624年にオランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺(Coxcenia)こと、鄭成功によって陥落させられた事件をいち早くヨーロッパに伝えたものです。この記事には、ゼーランディア城が鄭成功によって包囲されて攻め込まれる場面を、台湾の小地図とともに描いた折込図版が収録されていて、同時代の視覚資料としても大変興味深いものです。


9. スハウテンによる「シャム王国志」と、本書において初めて追加されたシャム情報

 また、本書後半には、スハウテン(Joost Schouten)「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」(707頁〜)が収録されていて、これはオランダ語原著にも収録されているシャム王国に関する情勢を報告した記事です。カロンが日本におけるオランダ東インド会社の商館長であったように、シャムにおけるオランダ東インド会社の商館長であったスハウテンが、国内情勢や貿易の見通しなどを会社に報告したもので、同時代のシャム研究においても大変重要とされている作品です。スハウテンは1632年にオランダ東インド会社の命を受けてアユタヤに商館を設立し1636年まで商館長を務めた人物で、本書ではシャムの政治、宗教、文化、商業、農業などを自身の豊富な知見に基づいて記されていて、当時のヨーロッパにおけるシャムの最新研究書として広く読まれることになりました。

 スハウテンのシャム論は、すでに1663年版において掲載されていましたが、本書では他の作品同様に編者アーノルドによる注釈が加えられている他、これを補う記事として、ネック、アルトゥジウス、ピント、スプリンケルの著作中に見られるシャム関連記事の抜粋(799頁〜)が新たに加えられています。先に見たハメル『日本幽囚記』と同じく、こうした補論をスハウテンの社務論と合わせて読むことによって、当時の読者は最新のシャム研究を本書から学ぶことができたものと思われます。


10. メルクライン「東洋遍歴記」と、それを補うヴルフバイン「東インドへと至るための陸路、海路についての小論」

 これらに続いて本書の最後には、メルクライン自身の旅行記である「東洋遍歴記」が収録されています。この「東洋遍歴記」も本書ドイツ語訳版でしか読むことのできない貴重な記事として注目に値します。この記事は、メルクラインによる1644年から1653年にかけて行った東洋各地への旅行に際して記していた日記を元にしたものとされていて、実際に各地を訪ねて実見を重ねた著者による旅行記、航海記として非常に高い価値を有すると考えられるものです。先の「ゼーランディア陥落記」と同じく本書において初めて公刊された記事で、このドイツ語訳版だけの独自記事として大変重要なものです。中でも日本滞在中にメルクラインが観察した日蘭貿易やオランダ商館の様子を記した箇所などは、これまであまり知られていない日本関係記事として興味深い記述と言えるでしょう。バタヴィアをはじめとしてインドシナや日本、台湾といった東インド各地を航海した著者による記録は、当時最新の東インド情報をもたらした重要な作品として、改めて注目すべき作品です。

 本書ではメルクライン『東洋遍歴記』を補う記事として、新たにヴルフバイン(Johann Siegmund Wurffbain, 1613 - 1661)による「東インドへと至るための陸路、海路についての小論」が追加されていることも注目に値します。ヴルフバインは、オランダ東インド会社社員として1632年から1644年までバタヴィアを中心とした東インド各地で活躍した人物で、メルクラインと同じく当時の東インド事情に最も通じた人物の一人と目されていましたが、本書刊行時点ではまだ彼の航海記は刊行されておらず、後年刊行されることになる主著に先駆けて、貴重な彼のもたらした情報を掲載したこの作品は当時極めて大きな意義を持ったものと思われます。


 本書は、このようにカロン『日本大王国志』の大幅な増補改訂版をはじめとして、当時のヨーロッパでほとんど知られていなかった、シャムや朝鮮について、さらにはバタヴィアをはじめとした東インドの最新情報をふんだんに盛り込んだ、極めて充実した内容を有している作品です。残念ながら本書では1663年版と同じ意匠で製作された口絵のみを欠いていますが、それ以外のすべての図版、地図、テキストは完備しており、研究、展示に存分に活用していただける良好な状態を保っています。この作品は近年の古書市場に出現することがほとんどなく、また国内研究機関の所蔵も極めて限られていることから、これまで本格的な研究がなされてこなかったものと思われますが、当時のヨーロッパ、特にドイツ語圏における東インド研究の実態を反映した類稀なる作品として、大きな研究価値を秘めた書物と言えるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁の一部に傷みが見られるが概ね良好な状態。
見開きには旧蔵者の蔵書票が貼られている。本書では口絵のみ欠落しているが、その他の図版は全て完備している。タイトルが示すように、日本、シャム、朝鮮をはじめとして「東インド」全般に関する当時の最新情報を凝縮したような内容となっている。
編者アーノルドによる序文冒頭箇所。本書に収録されている全17点の論説を紹介している。
上掲続き。
上掲続き。
上掲続き。
カロン『日本大王国志』原著オランダ語版(1661年版)に収録されていた図版の内容を解説する記事。図版中に記されているアルファベットに対応して解説が記されている。
読者への序文冒頭箇所。
1. カロン『日本大王国志』冒頭箇所。
カロン『日本大王国志』に収録されている折り込みの日本図。基本的に1663年版を踏襲している。
カロン『日本大王国志』は、よく知られているようにオランダ東インド会社への報告書して書かれたもので、約30の質問に答える形で記述されている。第一問は「日本国の大きさは如何に、また日本は島嶼なりや」(幸田訳書)。本文下段(欄外)には、より小さなフォントで編者アーノルドによる詳細な注釈がびっしりと記されている。
当時の武鑑から得た情報と思われる、全国各地の大名の名前と石高の一覧が掲載されている。ここに記されている人名の特定は幸田成友によって成し遂げられた。
第3問「日本における最上支配者の有する特質と権力とは如何に」
アーノルドによる注釈では、日本の喫茶文化について詳細に記されている。
この注釈に対応して収録されている、茶器を描いたと思われる図版。カロン原著にも1663年ドイツ語訳版にも収録されていなかった図で、アーノルドが独自に入手した情報から描かれたものと考えられる。
茶器の図その2。
この図は、1689年(ドイツ語訳版)に刊行されたモンターヌス(Arnoldus Montanus)の『東インド会社遣日使節紀行』に収録された大坂城図を縮小して転載したもの。
本書では随所にモンターヌスの著作に収録された図版の転用も見られる。上掲は江戸における皇帝(将軍)謁見図。後掲のカロン『日本大王国志』の図と比べると面白い。
平戸図。同じくモンターヌスからの転用。
同じくモンターヌスからの転用。
カロン原著に収録されていた図版をもとに作成された切腹図。
カロン原著に収録されていた図版をもとに作成された、穴釣りによるキリシタン拷問図。
本文中に描かれる図版には、本書の他に見られない独自の図版も見られ、その情報源も含めて興味深いものが多い。
「崇禎通宝」と記された明の通貨を描いたと思しき図版
カロン原著に収録されていた図版をもとに作成された、江戸における皇帝(将軍)謁見図。上掲のモンターヌスの図と比べると面白い。
2. メルクラインによるカロン『日本大王国志』の注釈(pp.281-)
カロンとも親しかったメルクラインによる注釈は、1663年版に初めて掲載されたが、本書では編者アーノルドが「注釈に対する注釈」を付け加えており、さらに内容の充実が図られている。
モンターヌスから転用した出島図。
カロン原著に収録されていた図版をもとに作成された、磔刑図。
3. ヘンドリック・ハーゲナールによる『日本大王国志』の注釈(pp.311-)
カロンのオランダ東インド会社での上司であったハーゲナールによるカロン『日本大王国志』の注釈。カロン『日本大王国志』オランダ語原著の1661年版(カロン校閲版)以前の版に収録されていたが、カロンによって「とんでもない誤り」に満ちた注釈であるとして1661年版以降の版では削除された。この削除措置はカロンとハーゲナルの個人的な確執によるものとされていて、ハーゲナルの注釈自体は非常に価値が高いとみなされている。ドイツ語訳1663年版にも収録されていたが、他の作品同様に多くの欄外注釈が付け加えられている。
髷を結った男性の図。店主の知る限り、他の書物にこのような図は見られず、編者アーノルドが独自に入手した情報に基づいて描かれたものと思われる。日本を訪れたことがないヨーロッパ人にとっては、想像が難しかった髷を見事に描いた貴重な図と言える。
4. マルティニ「日本人の起源と征服史」(pp.347-)
清朝で活躍したイエズス会士マルティニ(Martino Martini, 1614 - 1661)による「日本人の起源と征服史」で、彼によるヨーロッパ初の中国地図帳である『新中国地図帳』(Novus Atlas Sinensis….Amsterdam: Joan Bleau, 1655)中のラテン語テキストの一部をドイツ語に訳したもの。
5. オルデンバーグによる二十の日本考察(pp.357-)
ドイツ出身の学者でイギリス王立協会の初代事務総長を務めたオルデンバーグ(オルデンビュルグ、Heinrich Oldenburg, c.1618 - 1677)によるユニークな日本論を独訳したもの。同協会の機関紙『哲学紀要(Philosophical Transactions)』第4巻(1669年)に掲載された英語テキストからの翻訳。日本に数年の滞在歴を持つ見識ある人物からの聞き取ったという日本についての20の項目にわたる情報をまとめた内容で、当時最新の日本研究の一つと言える。
6. ハイスベルツ「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」(pp.367-)
カロン『日本大王国志』原著に収録されていた補論で、ドイツ語訳1663年版にも収録されていたが、他の作品と同様に多くの欄外注釈や図版が付け加えられている。
モンターヌスからの転載図。
カロン原著に収録されていた図版をもとに作成された、火刑図。
7. クラメール「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」(pp.441-)
カロン『日本大王国志』原著に収録されていた補論で、ドイツ語訳1663年版にも収録されていたが、他の作品と同様に多くの欄外注釈や図版が付け加えられている。
8. 日本の偶像崇拝と寺社、聖職者についての3つの付論(pp.475-)
本書において初めて掲載された作品で、日本の宗教事情を神道、仏教、修験道などに大別した上で、さらに細かな宗派毎に解説している。
日本の宗教論として非常に充実した内容で特筆すべき日本記事だが、他の作品に見られるような欄外注釈がないことから、編者アーノルド自身による論考とみられる。
モンターヌスからの転載図
モンターヌスからの転載図
モンターヌスからの転載図
9. 「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」(pp.646-)10. カンプス「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」(pp.656-)11. 1663年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報(pp.685-)
9. 「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」(pp.646-)
10. カンプス「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」(pp.656-)
11. 1663年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報(pp.685-)
カロン『日本大王国志』原著に収録されていた補論で、ドイツ語訳1663年版にも収録されていたが、他の作品と同様に多くの欄外注釈が付け加えられている。1624年にオランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺(Coxcenia)こと、鄭成功によって陥落させられた事件をいち早くヨーロッパに伝えた特筆すべき記事。台湾の小地図とともに描いた折込図版が収録されていて、同時代の視覚資料としても大変興味深い。
12. スハウテン「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」(pp.707-)
カロン『日本大王国志』原著に収録されていた補論で、ドイツ語訳1663年版にも収録されていたが、他の作品と同様に多くの欄外注釈が付け加えられている。カロンが日本におけるオランダ東インド会社の商館長であったように、シャムにおけるオランダ東インド会社の商館長であったスハウテンが、オランダ東インド会社の要請を受けて、国内情勢や貿易の見通しなどを報告したもの。
13. ネック、アルトゥジウス、ピント、スプリンケルの著作中に見られるシャム関連記事の抜粋(pp.799-)
上掲スハウテンによるシャム論の補論として、本書において初めて掲載されたもの。同時代の航海記や東インド論の代表的な著作から、シャムに関する記述を抜粋してドイツ語訳したもの。当時のヨーロッパにおけるシャム論の代表的な記述をまとめた内容となっている。
14. ハメル「朝鮮幽囚記」(pp.811-)
オランダの貿易船の船長で1653年に日本へ向かう途上で朝鮮半島に漂着してから13年にわたって同地での滞在を余儀なくされた後に、1666年に日本へと脱走して幕府との交渉の末に帰国を果たした、ハメル(Hendrick Hamel, 1630 - 1692)による『朝鮮幽囚記』の名で知られる1668年にオランダ語で刊行された著作をいち早くドイツ語に訳したもの。本書において初めて収録された。
「朝鮮幽囚記」は、朝鮮の内情を長年にわたって初めて実見することができたヨーロッパ人による最初の書物となっただけでなく、朝鮮を脱走してからたどり着いた鎖国下における日本での出来事についても詳細に記しているという点で、日本関係欧文図書として看過し得ない重要な価値を有している。
15. マルティニ「朝鮮半島についての考察」(pp.883-)
ハメル「朝鮮幽囚記」の補論として本書で初めて収録された記事。4と同じく、マルティニよるヨーロッパ初の中国地図帳である『新中国地図帳』(Novus Atlas Sinensis….Amsterdam: Joan Bleau, 1655)中のラテン語テキストの一部をドイツ語に訳したもの。
当時ヨーロッパではほとんど詳細が知られていなかった朝鮮についての最新研究と見做しうる重要記事。
16. メルクライン「1644年から1653年に至るまでの東インド旅行記」(pp.901-)
メルクラインによる1644年から1653年にかけて行った東洋各地への旅行に際して記していた日記を元にしたものとされていて、実際に各地を訪ねて実見を重ねた著者による旅行記、航海記として非常に高い価値を有すると考えられる。
ドイツ語訳1663年版に初めて公表された作品だが、本書に再掲するにあたって、他の作品と同様に多くの編者アーノルドによる膨大な欄外注釈が付け加えられている。
バタヴィアをはじめとしてインドシナや日本、台湾といった東インド各地を航海した著者による記録は、当時最新の東インド情報をもたらした。
独自の日本関係記事も収録されている。
メルクラインの航海をまとめた行程記事も収録されている。
17. ヴルフバイン「東インドへと至るための陸路、海路についての小論」(pp.1132-)ヴルフバイン(Johann Siegmund Wurffbain, 1613 - 1661)は、オランダ東インド会社社員として1632年から1644年までバタヴィアを中心とした東インド各地で活躍した人物で、メルクラインと同じく当時の東インド事情に最も通じた人物の一人であった。
巻末には詳細な索引網設けられている。
索引末尾。
1,100ページを超える非常に大部の著作で、書物そのものも相当のボリュームがある。