書籍目録

『中国誌』

アリヴァベーネ

『中国誌』

(第二版) 1599年 ヴェローナ刊

Arrivabene, Lodovico.

ISTORIA DELLA CHINA…Nella quale si tratta di molte cose marauigliose di quell’amplissimo Regno:…

Verona, Angelo Tamo, 1599. <AB2022158>

¥550,000

[2nd ed.]

4to (15.0 cm x 20.5 cm), Title., 11 leaves, pp.1-184, 189(i.e.185), 186, 187, 192(i.e.188), 193(i.e.189), 190, 191, 106(i.e.192), 193-232, [NO LACKING PAGES], 239-310, [NO DUPLICATED PAGES], 303-391, [392(blank), 393(blank), i.e. LACKING ?], 394, 395, [396(blank), 397(blank), i.e. LACKING ?], 398-498, 599(i.e.499), 500-574, 525(i.e.575), 526(i.e.576), 10 leaves(Tavola), 1 leaf(blank). Modern vellum, skillfully restored.
近年に改装が施されており、一部の紙葉に汚れが見られるが概ね良好な状態。上記書誌情報にあるように一部の紙葉に落丁?あり。

Information

ヨーロッパで最初の日本と中国を舞台にした「物語」作品

 本書は、ヨーロッパの文学史上において、最初に中国と日本をはじめとしたアジア諸国と人々を主題とした物語作品とされている大変興味深い作品です。本書が刊行されたのは、1599年というヨーロッパの人々と中国や日本を主とするアジア各地域の人々との交流が始まってからまだ日の浅い時期で、それまで未知の地域であったアジア地域に関する情報がヨーロッパに劇的に流入し始めていた時期に当たります。「物語」作品とはいえ、当時のヨーロッパに次々ともたらされつつあった日本や中国の情報を伝える当時最新の書物を数多く参照して本書は執筆されていることから、本書は単なる空想上の荒唐無稽な物語ではなく、ある種の「真実さ」をも追求した(それ故に「中国誌」と名付けられた)大変ユニークな作品となっています。

 本書の著者であるアリヴァベーネ(Lodovico Arrivabene, c.1530 - c.1597)は、イタリア北部のマントヴァ出身の聖職者、著作家です。青年期にゴンガーザ枢機卿(Cardinal Ercole Gongaza, 1505 - 1563)の付き人としてパリに滞在した際に、大航海時代以降に続々とヨーロッパにもたらされつつあった「新世界」の情報を伝える書物に親しみ、こうした読書経験に基づいて自身の執筆活動を始めたと言われています。マントヴァに戻ってからは聖職者としての勤めを果たしつつ、詩作や文芸作品の著述も精力的に行い、本書以外にも数多くの作品を刊行しました。これらの作品は当時から大いに好評を博し、アリヴァベーネは同時代のマントヴァを代表する著作家の一人として高く評価される一方で、カソリックの聖職者でありつつも、当時の対抗宗教改革の風潮とは一線を画し、その著作には信仰に関する主題があまりみられないことも大きな特徴であるとされています。

 本書は彼が最晩年に手がけた作品で、彼の生前最後の作品にして主著となったもので、四つ折り版で600ページに迫る大部の物語作品です。『中国誌』と題されている本書は1599年にヴェローナで刊行されたものですが、実はその2年前の1597年に『偉大なるヴィティ』(Il Magno Vitei…Verona: Girolamo Discepolo, 1597)という書名で刊行された作品の再版で、その意味では第2版と見做しうるものです。初版のタイトルにある「ヴィティ(Vitei)」とは本書の主人公である中国の王子の人名を指すもので、第2版にあたる本書は、より主題を明確に示すために『中国誌』というタイトルに変更されています。

 本書は、中国を主な舞台として、その統一を成し遂げた偉大な王である「エゾンロム(Ezonlom)」の長子にして、彼の子息の中で最も傑出した王子として名高い「ヴィティ」を主人公として展開されている物語作品です。テキストは大きく二部構成となっていて、第一部では、エゾンロムとヴィティによって統治されている中国の内情や、傑出した為政者としての才の数々、彼らが日本を含む近隣地域(韃靼、海南島、琉球、コーチシナ、カンボジア、日本等々)で繰り広げた様々な戦闘と各地の様子が主として語られています。第二部(410ページ〜)では、各地での戦闘において成功を収めたエゾンロムとヴィティの中国への帰還と、中国の都の様子がその偉大さとともに詳述されています。

 本書で展開されている物語は、ヨーロッパにおいて当時すでに長い伝統を有していた「騎士道物語」に連なる作風と言えるものですが、その舞台と主人公を当時のヨーロッパの人々にとってほとんど未知の存在であった中国や日本としたことに大きな特徴があります。大航海時代以降に急速にヨーロッパに流入することになった「新世界」の情報やアジア各地の情報は、航海記やそれらを編纂した著作、地理学書などの形で公刊されることで、当時の人々に伝えられることになりました。また、イエズス会をはじめとした宣教師によって認められた宣教各地の報告書簡の相次ぐ刊行も、これらの地域の最新情報をヨーロッパの読者に広く伝えることに大きく貢献しました。アリヴァベーネは、聖職者としてイエズス会関係者とも親しかったこともあって、これらの当時最新のアジア情報を報じた書物に触れる機会に大いに恵まれたものと思われ、アジア各地に赴いた宣教師による報告書や航海記集を本書のために数多く参照したことを、読者への序論の中で述べています。

 本書執筆に際して、アリヴァベーネが参照した書物の中でもとりわけ大きな影響を与えていると思われる作品は、アウグスティヌス会の修道士であったゴンサーレス・デ・メンドーサ(Juan González de Mendoza, 1545 - 1618)による『中国大王国誌』(Dell’Historia della China…Roma, 1585)で、この作品はヨーロッパに初めて包括的な中国の現地情報や歴史、文化について紹介した作品として当時広く読まれていたものです。エゾンロムやヴィティという本書に登場する中国の人々の人名の多くもメンドーサの『中国大王国誌』から採られたものと言われており、アリヴァベーネが本書の執筆に際して同書を大いに参照したことが伺えます。また、アリヴァベーネは同書以外にも、航海記作品の金字塔として名高いラムージオ(Giovanni Battista Ramusio, 1485-1557)による古今の航海記集成である『航海と旅行』(Navigationi et Viaggi… 3 vols. Venice, 1550-1559.)に収録されているマルコ・ポーロの旅行記をはじめとした多くの旅行記、航海記、イエズス会士による現地報告書といった当時最新の文献を数多く参照しているようです。本書は、著者がこのように当時最新の文献を多数駆使した上で執筆されているところに大きな特徴があります。本書である第2版において『中国誌』という一見するとフィクション作品とは思えないタイトルに変更されたのは、この作品が単なる著者の空想によるものではなく、このように著者が入手し得た当時最新の報告書を踏まえた上で、中国や日本といった物語の舞台と人物設定がなされていることが、大きな理由ではないかと思われます。

 本書は、ヴィティの為政者としての類稀なる才や行いが多くのエピソードを介して語られると同時に、彼が赴く各地の気候や人々の風俗、動植物なども詳述されていて、物語を楽しみながらこうした描写を通じて、中国や日本をはじめとしたアジア各地の最新情報に接する機会を読者に広く与えることになったのではないかと思われます。アリヴァベーネは聖職者でありながらも、アジア各地の宗教を含む風俗には極めて客観的な記述に努めているようで、ある種の文化相対的な視座に基づいているとも現代では高く評価されており、こうした文化相対主義的な視座を打ち出すことは、聖職者としてかなり危険なことだったのではないかと思われますが、アリヴァベーネは、本書を「物語」に仕立て上げることによって、こうした宗教上の危険を巧妙に避けつつ、当時のカソリックの宗教観に過度に囚われずに、アジア各地の社会や人々の様子を自由な視点で物語ることに成功したのだと言えるでしょう。その意味で本書は、単にヨーロッパの文芸作品において初めて中国や日本を主題としたというだけでなく、当時の支配的な宗教観や文明観に過度にとらわれることなく、アリヴァベーネ自身が「真実」であると見做しうることに基づいて物語られているということが大きな特徴であると思われます。

 本書には目次や小見出し等がないため、内容の概観を把握することがむずかしくなっていますが、末尾には目次が設けられていてこれを参照することで物語のトピックや舞台を知ることがある程度可能です。目次では日本に関係するキーワードも数多く確認することができ、例えば「山口(Amangucci)」、「大坂(Osacaia)」、「豊後(Bungo)」、「鹿児島(Cangoxima)」、「内裏(Dairi)」「関白殿(QUabacundono)」「長崎(Nagansachi)」「博多(Facata)」「薩摩(Saxuma)」「京(Meaco)」「五畿内(Gochinai)」「鳥羽(Toba)」などなど、主にイエズス会士の日本報告が情報源になっていると思われる固有名が掲載されています。本書において、日本は主人公ヴィティとその父が遠征を行う目的地の一つとして大きく取り上げられており、上記のような当時ヨーロッパに伝えられていた日本に関する固有名詞が頻出することからも、アリヴァベーネが物語を展開させるに際して、事前に日本情報を入念に調べていたことが伺えます。このことは、もちろん本書の主たる舞台である中国を描くに際しても行われているであろうことは言うまでもありません。

 本書は、現在の視点から見れば「フィクション」作品とみなすべきもので、現実の歴史、地誌を扱った作品ではないということから、歴史史料としては価値の低い作品と見るべきものかもしれません。しかしながら、そもそも当時のヨーロッパにおいて中国や日本といった遥か東方のアジア諸国、地域は、多くの人々にとって、その存在自体がいわば「物語」のようなものであったことに鑑みると、当時のキリスト教を基盤としたヨーロッパの世界観に(ある意味むりやり)当てはめて中国や日本を理解、叙述するのではなく、あえて最初から「物語」として、既知の社会とは異なる世界をそのままに描き出そうとする本書は、かえってある種の誠実さを感じさせるようにも思われます。また、当時は、現在ほど「歴史」と「物語」が完全に分離されていたわけではなかったことにも、十分注意を払った上で本書は理解されるべきでしょう。しかも、アリヴァベーネは空想の赴くままに荒唐無稽で珍奇な異世界として中国や日本を舞台にしているのではなく、当時入手し得た多くの文献に基づいた上で物語を展開させており、自身が世界の「真実」とみなしうることに従って、ヨーロッパ社会とは異なる人々や社会のあり方を描き出しそうとする態度は、ずっと後年になってみられるようになるいわゆる「オリエンタリズム」とは、一線を画しているようにも見えます。

 いずれにしましても、本書は当時ヨーロッパにおいてより多くの読者に中国や日本に対する関心を引き起こし、中国観、日本観の形成にも少なくない影響を与えたであろう作品だと思われます。その物語性のゆえにか、これまで同書に対する関心は日本ではほとんど払われてこなかったようで、国内研究機関における所蔵は残念ながら皆無のように見受けられますが、16世紀末という非常に早い時期に刊行された、中国と日本を舞台にしたユニークな「物語作品」として改めて注目されるべき興味深い作品ではないかと思われます。

*本書については、英語をはじめとした研究成果が一定数あるようですが、上記解説執筆に際しては、特に下記の2点を大いに参照しています。

Lach, Donald F.
Asia in the making of Europe. Volume II: A Century of wonder. Book 2.
University Chicago Press, 1977.
pp.219-223

Anderson, Kyle.
When the Yellow Emperor visited Urbino: Lodovico Arrivabene's "Il Magno Vitei"(1597).
The Sixteenth Century Journal. Vol. 46, No. 2 (Summer 2015), pp.269-290.

近年に改装が施されており、一部の紙葉に汚れが見られるが概ね良好な状態。
タイトルページ。1597年に『偉大なるヴィティ』(Il Magno Vitei…Verona: Girolamo Discepolo, 1597)という書名で刊行された作品を、『中国誌』とタイトルを変えて1599年に刊行した作品である。
本文冒頭箇所。本書は全二部構成となっており、中国を主な舞台として、その統一を成し遂げた偉大な王である「エゾンロム(Ezonlom)」の長子にして、彼の子息の中で最も傑出した王子として名高い「ヴィティ」を主人公として展開されている。第一部では、エゾンロムによる中国の統治状況や、傑出した為政者としての才の数々、ヴィティによる日本を中心とした中国近隣各地(韃靼、海南島、琉球、コーチシナ、カンボジア、日本等々)で繰り広げた様々な戦闘と各地の様子が主として語られている。
「日本のオーサカイア(Osacaia、大坂のことと思われる)で信仰されている偶像のことについて記した箇所。
本書では、物語の舞台として日本の多くの地名が採用されている。上掲箇所に見られる「Fitachi」という地名は「常陸」のことか。
「Cunixù(国衆)」「内裏(Dairi)」といった固有名詞は明らかにイエズス会士の日本報告を参考にしたものだと思われる。為政者としての「内裏」と「関白殿(Quabacundono)」は、この物語でもキーパーソンになっているようで文中に頻出する。
「豊後(Bungo)」にある「坊主(Bonzi)」の修道院(寺院)と、その地を治める二人の兄弟のエピソードを記した箇所。
日本を舞台にした場面は、本書第一部においてかなりの分量を占めている。
第二部では、アジア各地での戦闘において成功を収めたエゾンロムとヴィティの中国への帰還と、中国の都の様子がその偉大さとともに詳述されている。
巻末に設けられた索引はかなり詳細で、多くの日本の地名や人名を見出すことができる。