書籍目録

『教会、およびスペイン、アフリカ、東インド、西インドその他の世俗世界の年代記:その始まりから1689年まで』

クレメンテ / ミゲル

『教会、およびスペイン、アフリカ、東インド、西インドその他の世俗世界の年代記:その始まりから1689年まで』

1689年 バレンシア刊

Clemente, Claudio / Miguel, Vicente Joseph.

TABLAS CHRONOLOGICAS, EN QVE SE CONTIENEN LOS SVCESSOS ECLESIASTICOS, y Seculares de España, Africa, Indias, Orientales, y Occidentales, desde su principio, hasta el año 1642….ILVSTRADAS, Y AÑADIDAS DESDE EL AÑO 1642. HASTA el presente de 1689.....

Valencia, Jayme de Bordazar, 1689. <AB202220>

¥220,000

Large 8vo (14.1 cm x 20.3 cm), Title., 7 leaves, pp.1-205, 106(i.e.206), 107(i.e.207), 208-241, 342(i.e.242), 243-275, Contemporary parchment.
刊行当時のものと思われる装丁で、皮革に縮みが見られるが概ね良好な製本状態。刊行当時に近いものと思われる書き込みが本文や末尾の白紙箇所に多数見られるが、テキスト本文の判読に支障はない状態。

Information

「日の沈まない帝国」の公式年代記に頻出する日本関係記事

 本書はそのタイトルが示すように、キリストの生誕から刊行当時の現在(1689年)に至るまでに、ローマ教会とスペインを中心とした世界各地で生じたさまざまな出来事を記した年代記です。17世紀末時点のスペイン帝国公式の年代記とも言える作品で、1492年のレコンキスタ終結以降、急速にヨーロッパにおける大国として台頭したスペイン帝国を、カソリック教会と結びついた世界の中心に据えて描かれた年代記です。興味深いことに本書には日本に関する記事がさまざまな箇所に収録されており、スペイン帝国公式の歴史観において、日本が少なくない存在感を有していることに驚かされます。

 本書は、当初クレメンテ(Claudio Clemente)によって1642年まで記されていたもので、これをミゲル(Vicente Joseph Miguel)が継続する形で1689年までの記述を加筆して完成させた作品です。タイトルページに聖家族をモチーフとした図が挿入されていることからもわかるように、まず何よりもカソリック・ローマ教会を中心に据えた年代記として記されており、そこにカソリック教会の庇護国としての自負を強く持っていたスペイン帝国の年代記を組み合わせる形で本書は執筆されています。さらに、「日の沈まない帝国」とも称されたスペイン帝国を誇示するかのように、スペインが影響力を行使したアフリカ、東インド、西インド(アメリカ)といった世界各地の年代記をも組み込んで、文字通り「世界年代記」となることが意識されているのがうかがえます。

 本書の最初の部分は、こうした視点を反映して当然ながらローマ・カソリック教会の年代記から始められています。ここでは、キリストの誕生から初期キリスト教会の歴史が概略され、1689年当時に至るまでの歴代教皇の名前が列挙されていることを確認することができます。これに続いて、特に初期キリスト教会時代において数多く勃発したキリスト教迫害と殉教事件についての記事が掲載されていて、大変興味深いことにこの記事の末尾は日本における殉教事件についての記事(p.11)で締めくくられています。こうした記事に続いて、カソリック教会の発展において名を残した人物(聖人)を紹介する記事(ここではイエズス会創始者ロヨラやザビエルの名を見ることができる)や、大航海時代以降に行われた世界各地への布教活動についての記録が掲載されており、ここにおいてもザビエルによって布教が開始された日本のことを記した記事(p.26)を見ることができます。こうしたローマ・カソリック教会に関連する歴史的な出来事や人物をさまざまな角度から年代順に紹介する記事に続いて、スペイン帝国の年代記が掲載されており、カスティーリャ、アラゴン、バルセロナ、ナバラ、レオンといった、スペイン帝国統一以前に大きな役割を果たしてきた各国ごとに整理して詳細な記事が展開されています。

 本書の後半では、アフリカや東西インドにおける歴史的な出来事が、スペインとの関係を軸にして論じられていて、特にこの後半部分では多くの日本関係記事を見つけることができます。スペインのヨーロッパへの世界進出は、コロンブスによる航海をその起源として論じられており、コロンブスによる航海が「新世界」をもたらしていったことを紹介することから後半部分の記述は始まっています。日本とスペインとの関係については、まず1565年にスペインが征服したフィリピンに関連づけて、西インドでの出来事を論じた記事において紹介されています。1591年に西インドで生じた出来事を記した箇所(p.188-)では、日本の皇帝である太閤様(Taicosama)、つまり秀吉から、服従を求める書簡がフィリピンに届けられたことが紹介されています。1609年の記述(pp.190)では、秀吉の強行的な外交政策により関係が悪化していた日本とフィリピンとの間に平和が回復された旨が記されていて、これはドン・ロドリゴ(Rodrigo de Vivero y Aberruza, 1564 - 1636)の日本漂着を契機とした家康との謁見のことを指しているのではないかと思われます。これ以降の箇所でも西インドでの出来事を論じた記事において、フィリピンと関わりのある日本関係記事が随所に登場することを確認することができます。また、1633年から34年に関する記述(pp.192)では、フィリピンと日本との友好関係を快く思わなかったオランダによる日本皇帝への教唆が起因となって、日本におけるキリスト教迫害が激化した旨が記されていて、これは第一次鎖国令に関することを記した記事であると思われますが、キリシタン迫害の要因がオランダ人の嫉妬に基づく日本皇帝への教唆であるとされている点は興味深い記述です。さらに、こうした日本関係記事以外では、フランシスコ会やイエズス会といった海外布教活動に取り組んだ各修道会の記録も本書には収録されています(p.225-)。

 本書における日本関係記事が最も充実しているのは、東インドで生じた出来事を論じた記事(p.199-)においてで、ここでは1542年のポルトガル人の日本漂着(p.242)や、1560年に都(Meaco)においてイエズス会士のヴィレラ(Gaspar Vilela, 1525? - 1572)によって、京都における最初の教会が創建されたことを報じた記事(p.246)などを見ることができます。これは足利義輝との謁見を果たしたヴィレラが、ザビエル以来の悲願であった京都での布教許可を得た上で、自身の住居を教会とした出来事を指す重要な記述であると思われます。また、同じページには1561年に豊後(Bungo)においてイエズス会士のトーレス(Cosme de Torres, 1510 - 1570)の尽力によって、日本で最初の教会学校が創建されたことを報じた記事を見ることもできます。日本関係記事で特に充実した内容となっているのは、天正遣欧使節について報じた記事(p.248)で、ここではおよそ半ページを費やして使節の背景や動向が順を追って紹介されていて、使節がカソリック世界に与えた影響の大きさを窺い知ることができます。さらに、本書の巻末(p.258-)は、ザビエルのインド宣教を称えた収録されていて、ここでも短いながらも日本に言及した記事を見ることができます。

 本書はこのように、(すでに当時衰退しつつあったとはいえ)「日の沈まない帝国」とも称されたスペイン帝国がローマ・カソリック教会の庇護国としての強い自負心に基づいて編纂された「世界年代記」として帝国公式の歴史観が表現された作品で、その中に少なくない日本関係記事を見つけることができる大変興味深い著作です。これまで日本関係欧文図書として注目されたことがない作品と思われますが、世界各地における他の歴史的事件を論じた記事と比べながら日本関係記事を読み解くことによって、当時のスペイン帝国公式の歴史観において日本がどのように位置付けられていたのかを辿ることができるユニークな作品と言うことができるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁で状態は良好。
タイトルページ。聖家族をモチーフとした図が挿入されていることからもわかるように、まず何よりもカソリック・ローマ教会を中心に据えた年代記として記されており、そこにカソリック教会の庇護国としての自負を強く持っていたスペイン帝国の年代記を組み合わせる形で本書は執筆されている。
見返しの空白部分には刊行当時に近い年代のものと思われる書き込みが多数見られる。
本文冒頭箇所。ローマ・カソリック教会の年代記から始められていて、キリストの誕生から初期キリスト教会の歴史が概略が示される。
1689年当時に至るまでの歴代教皇の名前が列挙されていることを確認することができる。
これに続いて、特に初期キリスト教会時代において数多く勃発したキリスト教迫害と殉教事件についての記事が掲載されている。
大変興味深いことにこの記事の末尾は日本における殉教事件についての記事で締めくくられている。
カソリック教会の発展において名を残した人物(聖人)を紹介する記事では、イエズス会創始者ロヨラやザビエルの名を見ることができる。
大航海時代以降に行われた世界各地への布教活動についての記録が掲載されており、ここにおいてもザビエルによって布教が開始された日本のことを記した記事を見ることができる。
スペイン帝国の年代記では、カスティーリャ、アラゴン、バルセロナ、ナバラ、レオンといった、スペイン帝国統一以前に大きな役割を果たしてきた各国ごとに整理して詳細な記事が展開されている。
本書の後半では、アフリカや東西インドにおける歴史的な出来事が、スペインとの関係を軸にして論じられていて、特にこの後半部分では多くの日本関係記事を見つけることができる。上掲は、1492年のコロンブスによる「アメリカ発見」以降の「西インド」の年代記の冒頭箇所。
1591年に西インドで生じた出来事を記した箇所では、日本の皇帝である太閤様(Taicosama)、つまり秀吉から、服従を求める書簡がフィリピンに届けられたことが紹介されている。
1609年の記述では、秀吉の強行的な外交政策により関係が悪化していた日本とフィリピンとの間に平和が回復された旨が記されていて、これはドン・ロドリゴ(Rodrigo de Vivero y Aberruza, 1564 - 1636)の日本漂着を契機とした家康との謁見のことを指しているのではないかと思われる。
1633年から34年に関する記述では、フィリピンと日本との友好関係を快く思わなかったオランダによる日本皇帝への教唆が起因となって、日本におけるキリスト教迫害が激化した旨が記されていて、これは第一次鎖国令に関することを記した記事であると思われるが、キリシタン迫害の要因がオランダ人の嫉妬に基づく日本皇帝への教唆であるとされている点は興味深い。
フランシスコ会やイエズス会といった海外布教活動に取り組んだ各修道会の記録も収録されている。
本書における日本関係記事が最も充実しているのは、「東インド」で生じた出来事を論じた上掲箇所から始まる章においてである。
1542年の記事では、ポルトガル人が偶然漂着したことによって日本が「発見」された旨が記されている。
1560年の記事では、都(Meaco)においてイエズス会士のヴィレラによって、京都における最初の教会が創建されたことを報じた記述を見ることができる。これは足利義輝との謁見を果たしたヴィレラが、ザビエル以来の悲願であった京都での布教許可を得た上で、自身の住居を教会とした出来事を指す重要な記述であると思われる。また、同じページには1561年に豊後(Bungo)においてイエズス会士のトーレスの尽力によって、日本で最初の教会学校が創建されたことを報じた記事を見ることもできる。
日本関係記事で特に充実した内容となっているのは、天正遣欧使節について報じた記事で、ここではおよそ半ページを費やして使節の背景や動向が順を追って紹介されていて、使節がカソリック世界に与えた影響の大きさを窺い知ることができる。
巻末にはザビエルのインド宣教を称えた収録されていて、ここでも短いながらも日本に言及した記事を見ることができる。
本文末尾。