書籍目録

『最新日本報告、全5部:公方様が治める日本帝国下における(1612年から)1615年までの教会の現状と発展、ならびにそこで生じている多大なる迫害や、数多くの殉教事件について』

ピニェイロ / (天草コレジヨ)/(アダム荒川)

『最新日本報告、全5部:公方様が治める日本帝国下における(1612年から)1615年までの教会の現状と発展、ならびにそこで生じている多大なる迫害や、数多くの殉教事件について』

フランス語訳版  1618年 パリ刊

Pigneyra (Pineyro), Louys(Luís). / B. I. (Tr.)

LA NOVVELLE HISTOIRE DV IAPON DIVISEE EN CINQ LIVRES, OV IL EST TRAICTE AMPLEMENT DEL’ESTAT DE SA Chrestienté, du progrés de la foy Catholique, des grandes persecutions...soubs l’Empire de Cobusama, iusques à l’année mil six cens quinze.

Paris, Adrian Taupinart, M. DC.XVIII.(1618). <AB2022255>

Donated

Edition in French.

8vo (9.5 cm x 16.3 cm), pp.[1(Title.), 2], 3-16, 1-125, 162(i.e.126), 127-255, 236(i.e.256), 257-596, 567(i.e.597), 598-637, 839(i.e.638), 649(i.e.639), 640-672, [NO LACKING PAGES], pp.675-741, 745(i.e.742), 743-781, 775(i.e.782), 783-818, 619(i.e.819), 820-879, 5 leaves (Table), Contemporary full leather.
装丁の皮革の背上部に欠落や端部に摩耗による消耗箇所あるが概ね良好な状態。小口は三方とも朱染。 [Laures: JL-1618-KB4-336]

Information

禁教令以後に急変する日本各地のキリスト教、政治、社会情勢をいち早く詳細に報じた作品の仏訳版

 本書は、イエズス会士ピニェイロによって執筆された、1612年から1615年にかけて日本で生じた様々な出来事、キリスト教会に対する迫害や殉教事件について詳細に報じた作品です。本書刊行の前年1617年に大型本で500ページを超える大部の著作としてスペイン語で刊行された作品を底本として、これをすぐさまフランス語に翻訳して1618年にパリで刊行されたものです。スペイン語原著は、フェリペ3世に捧げられており、迫害が激化し始めた時期の日本のキリスト教をめぐる厳しい状況と、それにも関わらず日本の信徒が迫害を恐れず信仰を守り通りして殉教していることを報じることによって、イエズス会による日本宣教活動の正当性を述べると共に、スペイン王の庇護と援助を求める目的で執筆されており、その意味では、同時代の日本の状況に対するイエズス会の公式見解とみなしうる重要な作品です。
 
 また、本書は、当時の日本の状況についての貴重な記事を多数収録されていることに加えて、ヨーロッパにおけるイエズス会とフランシスコ会との対立をはじめとした錯綜する利害関係の中で刊行された作品でもあることから、日本の宣教活動がこうしたヨーロッパ史の文脈と複雑に絡み合っていたことを示唆してくれる非常に興味深い書物でもあります。さらに本書は、長年にわたって激しい論争が続けられてきた「天草コレジヨ」の所在地をめぐる論争の終止符を打つ決定的な記事を収録した作品としても、近年俄かに注目を集めています。
 
 ピニェイロ(Luys Piñeyro, 1560 - 1620)は、ポルトガルにルーツを有するタラベラ出身のイエズス会士で、1576年にコインブラにあったイエズス会のノヴィシャードに入学し、1600年以後は、サン・ミゲル等のコレジオで教鞭をとっていたことで知られています。1615年から1618年にかけてはマドリッドに置かれていたイエズス会の連絡所(Procura)における日本管区の代表者であるプロクラートルを勤めており、この間に出版された本書が彼による唯一の著作として伝えられています。ピニェイロ自身は、日本に赴いたことはなく、本書刊行から間もない1620年にリスボンで亡くなりました。

 本書は、1612年から1615年にかけて日本で生じた様々なキリスト教の迫害と殉教事件について詳細に報じたものですが、このような書物が刊行された背景には、本書でも詳しく取り上げられている1612年の岡本大八事件に端を発する日本におけるキリシタン弾圧の激化があったことはいうまでもありません。それまでの15年間近くの間、徳川幕府によるキリスト教に対する態度は曖昧なもので、それほど大規模な迫害事件は生じていませんでしたが、キリシタン大名が事件の当事者であった岡本大八事件以降は、はっきりとキリスト教を禁じる方針に転じ、1614年にはキリスト教の禁止令を発するまでに至ることになります。これによって、まずは家康の膝下であった駿府、そして岡本大八事件の当事者であった有馬晴信の所領地であった有馬においてキリスト教迫害が本格的に始まり、それ以降、全国的な広がりを見せていくことになりました。このような日本のキリスト教をめぐる状況の劇的な変化は、衝撃をもってすぐさまヨーロッパに伝えられました。長年にわたって日本における宣教活動の中心的役割を果たしてきたイエズス会としては、こうした日本のキリスト教をめぐる状況の劇的な変化に対して、詳細な実態報告と迫害の背景事情の説明を行う必要が生じていたということが、本書刊行の大きな一つの要因としてあります。

 また、それと同時に、本書が刊行された背景には、三十年戦争前夜のヨーロッパにおける聖俗両界における複雑な利害関係の錯綜状況があったことも間違いありません。イエズス会の日本宣教に対しては、すでにフランシスコ会などの托鉢修道会画素の独占に対する批判を兼ねてから行なっていましたが、日本におけるキリスト教迫害が激化するようになってからは、その原因をイエズス会による宣教方針の失敗に求める批判の声が上がっていました。こうした批判に対して、日本におけるイエズス会の宣教方針が、いかに正当なもので多くの成果を上げてきたのかを喧伝する必要が生じており、本書のような書物の刊行が促されることにつながりました。また、それと同時に日本における非常に厳しい状況に対して、フランシスコ会の「不当な批判」に対する弁明を行うと同時に、スペイン王フェリペ3世の庇護と財政支援を求めることもイエズス会において企図されることになりました。

(トリエント公会議後の決定事項と聖俗両界に渡る影響力の視点から本書を紹介した研究として、Rady Roldan-Figueroa. Father Luis Piñeiro, S.J., the Tridentine Economy of Relics, and the Defense of the Jesuit Missionary Enterprise in Tokugawa Japan. In Archiv für Reformationsgeschichte. Volume 101, Issue 1. ないしは、同論文を収録した、Rady Roldán-Figueroa. The Martyrs of Japan: Publication History and Catholic Missions in the Spanish World(Spain, New Spain, and the Philippines, 1597-1700).(Studies in the History of Christian Traditions 195), Leiden: Brill, 2021. が参考になります)

 このように本書は、日本における迫害の激化とヨーロッパにおける複雑な政治状況を背景に出版されていますが、このような背景の元にイエズス会から刊行された書物は本書が最初のものではなく、本書刊行の前年1616年にイエズス会士モレホン(Pedro Morejón, 1562 - 1639)が『日本殉教録』(Breve relacion de la persecucion que huuo estos años contra la Iglesia de Iapon,...Mexico, 1616)を刊行していました(同書とその解説については邦訳書である、佐久間正訳『日本殉教録』キリシタン文化研究会、1974年を参照)。モレホンはピニェイロと異なり、20年を超える日本での宣教経験があったイエズス会士で、日本の苦境をヨーロッパに伝えるために日本管区プロクラートルの補欠として一時帰国した際に、同書を刊行しました。同書は初版がモレホンの帰路途上のメキシコで出版され、1617年にはサラゴサでも刊行されています。モレホンは、マドリッド滞在中にピニェイロと協議した上で、自身の『日本殉教録』を素材により広範囲な読者を得るための著作刊行を計画し、その結果として刊行されたのが本書であると考えられています。従って本書は、その記述内容の多くをモレホン『日本殉教録』に負っており、これに日本のイエズス会士から送られてきていた書簡等を参照した上で執筆されています。この作品は、ヨーロッパ、特にその庇護を願ったスペイン語圏におけるより多くの読者の理解とスペイン王フェリペ3世の援助を得ることを最大の目的の一つとして執筆されていることから、結果的により親しみやすく、わかりやすい筆致となっていることが独自の大きな魅力となっています。

 本書は、タイトルページに続いて、フランス語訳版独自の献辞文が掲載されており、日本で信仰のために迫害を受けて多くの血が流れていること、それにもかかわらず日本の信徒たちが信仰を守り抜こうとしていることを賞賛し、このような出来事をフランスの読者にも伝えるべく本書が刊行された旨が記されています。これに続いて、各種の出版の許認可関係の記載や、本書をよりよく理解するための注意書き(日本についての概説)が掲載されていることが注意を引きます。本書は全5部構成となっていて、各部が個別の殉教事件やトピックによってさらに細かな章に分けられています。その構成とページ数を簡単に示しますと下記のようになります。

第1部「日本における状況と駿河と有馬で最初に生じた迫害の原因について:(1-162頁)
第2部「日本帝国内の様々な王国で生じた迫害について」:(163-380頁)
第3部「神父たちが亡命を余儀なくされ、殉教者が生じることになった日本の迫害について」:(381-622頁)
第4部「神父たちが追放された後に日本で生じた迫害について」:(623-781頁)
第5部「日本における迫害と、我らが主が日本の新しい教会になし給うたことについて」:(782(ページ付乱丁のため775となっている)-865頁)
補遺:本書執筆完了後にもたらされた最新の日本情報について(866-871頁)
補遺:1615年までに殉教した1574名のうちの(主要な)殉教者目録、ならびにイエズス会がかつて運営していた日本各地の教会施設目録(872-877頁)
補遺:イエズス会が日本各地で運営している教会施設目録(878-879頁)

 本書で記されている1612年から1615年にわたる日本のイエズス会を中心としたキリスト教界の状況の報告は、同時代の多数の報告を参照し、日本での豊富な宣教経験を有するモレホンの助力を得た上で執筆されていることから、非常に詳細な記述となっており、かつ多くの読者の共感を得られるような筆致で認められていることが、類書にない本書の魅力となっています。例えば、イエズス会神父追放後の天草志岐において宣教活動に従事していたアダム荒川(Adam Aracana)についての記事(第3部第22章、518頁〜)では、アダム荒川の同地における活動だけでなく、富岡城主である寺沢広高(志摩殿、Ximandono)が禁教令後にキリシタン弾圧を強化していった様子など当時の社会情勢が詳細に記されていて、その上で事件の経過が臨場感を持って細部にわたって論じられており、事件からわずか数年でこれほど詳細な記録が同時代のヨーロッパの読者に伝わっていたことに驚かされます。また、当時のヨーロッパでもその名が広く知られていた高山右近のマニラ追放とその逝去についても第三部で非常に詳細に記されているのを確認できます。

 このように非常に充実した内容で構成されている本文に続く補遺では、この間の日本における殉教者の名簿や、破却を余儀なくされたイエズス会の教会や住居、学校施設などが掲載されています。この早くされたイエズス会施設リスト中には、その所在地が本渡であるのか河浦であるのかを巡って、半世紀以上にわたる激しい議論が続けられてきた「天草のコレジヨ」の所在地を確定させる根拠となる「河内浦(Cavachinoura)」の記述を見ることもできます(この発見の詳細については、天草テレビ出版『天草キリシタン 10の謎』2020年を参照。また、天草コレジヨの所在地をめぐる議論の経過については、玉木讓『天草キリシタン史:イエズス会宣教師記録を基に』新人物往来社、2013年、ならびに、同「天草コレジヨ所在地論争を検証する」『潮騒』第36号、2021年所収論文を参照。)

 イエズス会が総力を上げて企画した同時代の「殉教録」である本書は、既に翻訳のあるモレホンの著作と比べて言及されることが少ないですが、スペイン語原著刊行の翌年に早くもフランス語訳版が登場していることからも分かるように、当時果たした役割と後世に残した影響力の大きさの点では、モレホンの著作と同等かあるいはそれ以上のものがあったのではないかと思われることから、今後より一層の研究がなされることが待たれます。しかも、このフランス語訳版は、本書含めて同年に3種類(本書と同じ構成ながらも出版社の異なるパリ版:Laures: JL-1618-2-334-217 と タイトルも構成も異なるドウェー版:JL-1618-5)も刊行されており、いずれも買い求めやすい八折り本(原著はフェリペ3世に献呈されていることもあって高価な大型本)であることから、フランス語訳版は原著以上に多くの読者を獲得したのではないかと思われます。その意味でも、このフランス語訳版は原著スペイン語版との比較も含め、非常に重要な意味を持つ作品であると考えられます。

 なお、1621年にはモレホンが、1615年から20年までの日本の状況を論じた『続日本殉教記』(Historia y relacion de losucedido en los reinos de Iapon...Lisboa, 1621)を、本書の続刊として刊行しています。