書籍目録

『バチカンにて1862年6月に列聖される(日本の二十六)聖人たちの伝記と列聖式典』

(日本二十六聖人)

『バチカンにて1862年6月に列聖される(日本の二十六)聖人たちの伝記と列聖式典』

ベルギー版 1862年 メヘレン(マリーヌ)刊

(Vingt-Six Saints Martyrisés au Japon)

MANUEL DES CÉRÉMONIES QUI ONT LIEU A LA BASILIQUE VATICANE DANS LES SOLENNELLES CANONISATIONS DES SAINTS, AVEC LA LISTE DE TOUTES LES CANONISATIONS ANTÉRIEURES ET LES BIOGRAPHIES DES VINGT-SEPT SAINTS QU'ON SANCTIFIERA DANS LE MOIS DE JUIN 1862,...

MALINES, STEENACKERS-KLERX, M.D.CCC.LXII. <AB20184>

Sold

L'EDITION BELGE.

15.5 cm x 24.0 cm, pp. [I-V (Fly Title, Title)], VI-VIII, [1-3], 4-76, full page lithograph illustrations [3], Original paper wrappers.
紙表紙の端部分に痛みあり。

Information

1597年に日本で殉教した二十六聖人の伝記と式典、ベルギー版にしかない貴重な挿絵を収録

 1597年2月15日に長崎の西坂の丘の上の刑場で26人のキリスト教信者が処刑された事件は、豊臣秀吉による大規模なキリスト教迫害事件として、当時在日していた宣教師ルイス・フロイス(Luís Fróis, 1532 - 1597)による報告によって、当時からヨーロッパで広く知られ、また衝撃を与えました。事件から30年後の1627年に、殉教者26人は福者としてウルヴァノ8世によって列福されたことで、この事件はその後もヨーロッパで長く記憶されることになり、様々な出版物が生み出されています。

 その後、1858年に江戸幕府が西洋諸国との通商条約を結び、再び外交関係が開かれるようになった1862年、26人は時の教皇ピウス9世によって、聖人として列聖されることになり、この事件に対する再注目と出版物の増加を呼びました。開国後の日本には数多くの宣教師が再来日を試みており、カソリック、プロテスタント双方からの活動が活発化していきますが、再びヨーロッパ諸国に開かれた日本におけるかつて殉教事件が再注目されたのは、こうしたことも背景にあったのではないかと思われます。

 本書は、二十六聖人関係の当時の出版物の中でも、最も基本的な情報となる列聖式典と列聖される26人についての情報、ならびに事件の詳細を報告したものです。この種の書物の多くはローマで出版されていますが、本書はベルギーのメヘレンで刊行されている大変ユニークなもので、ローマで刊行された類書にはない殉教者を描いたリトグラフを収録していることからも、独自の研究価値を有しているものです。列聖にあたってはその根拠となる事項が詳細、かつ明確に示される必要があったことから、過去の文献や資料から纏められた多くの情報が本書には掲載されており、結果的に日本研究文献史料としても大変有用なものとなっています。

 なお、浦上地方のキリシタンが、1862年11月プチジャン神父によって「発見」されるといういわゆる「信徒発見」の場面となった大浦天主堂は、本書のテーマである二十六聖人に捧げられてるほか、事件の舞台となった西坂は、現在の西坂公園として史跡に指定されています。

口絵とタイトルページ。二十六聖人のうちパウロ三木らイエズス会士の殉教の場面を描いたもので、本書にしか掲載されていない貴重なもの。
本書ベルギー版のための序文。
二十六聖人のうちフランシスコ会士23人の帰天を描いたもの。
刊行当時の紙装丁で痛みが見られるが、雁皮紙によってカバーがかけられている。